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第2話【鑑賞(後編)】

 男子トイレに辿り着いた真駒はポケットに入れていたティッシュを取り出し、水で濡らす。濡れたティッシュを首元に当て、こびりついた血を丁寧に拭き取り始めると……そんな様子を、青年が後ろで眺めていた。 (こんなの……見て、楽しいのかな……?)  真駒が首を引っ掻き、血を出す度に……青年はトイレまで付いてきて、真駒がティッシュで血を拭き取る様子を眺める。真駒には青年の考えが分からないけれど、拒絶する理由も無いので、何も言わない。  傷は浅かったらしく、既に出血が止まっているのを確認した真駒は、蛇口から水を出して爪を洗う。この動作は、真駒にとって日課のようなものだ。そして後ろに立つ青年にとっても、日課のようなものだった。  蛇口をひねり水を止めた真駒は、後ろに立つ青年を振り返る。 「い、いつも……すみません」  そう言い……真駒は青年に向かって、小さく頭を下げた。  頭を下げた真駒に対して、青年は可笑しそうに笑いだす。 「そう思ってるなら、その癖……早く治してね?」 「善処します……」 「あははっ。君の返事はいつもそれだ」  笑いながら、青年は真駒の前を歩き始める。続いて、真駒も男子トイレから退出した。  解いたらどのくらいの長さなのか……一つに結ばれた黒い髪が揺れる度、チラチラと覗く青年のうなじから、真駒は視線が逸らせず……黙って、見上げ続ける。  自分より頭一つ分程背が高い青年の顔を、真駒は思い出せない。同じ課の女性職員が『イケメン』だなんだと騒いでいるのは思い出せても、肝心の顔は……何一つ、思い出せなかった。  青年と共に、自分達が所属する課の事務所へ戻ると……突然、青年が真駒を振り返る。 (たれ目、だったっけ……?)  細く、たれ目気味な青年に見つめられ、真駒は素早く視線を逸らした。視線を逸らされたというのに青年は気にした様子もなく、ただ笑っている。 「今日も一日、頑張ろうね」  そう言った青年は自分の席へ向かい、歩き出した。青年の席には【課長】と書かれたプレートが立てられている。  真駒は自身の首元へ手を伸ばし……慌てて下げると、青年に倣って自分のデスクへと向かう。  席に着き、一瞬だけ青年を盗み見てから……真駒は、深い溜め息を吐いた。  真駒が自身の首元を掻くのは、無意識でも癖でもない。けれど真駒は、誰にもそのことを伝えていなかった。  癖じゃないのなら、どうして首を掻き続けるのか……そう問われることを、恐れたからだ。  真駒は、理解を求めていない。共感を諦めた時から、口に出すことすらも諦めたのだ。  もう一度だけ青年を盗み見て、真駒は短く息を吐く。 (綺麗……)  そう言ってしまいそうになり、慌てて言葉を飲み込む。  課内……或いは、社内で一番容姿が整っていると噂されている青年に対して、真駒はいつだって『綺麗』だと思っていた。  ――けれどそれは、顔に対してではない。 『その癖……早く直してね?』  青年の言葉を思い出し、真駒は胸の中で問い掛ける。 (俺が、首を掻かなくなる方法……教えたら、課長は……協力、してくれるんですか……?)  俯きながら外を歩いて、出血するリスクを負ってまで首を掻き、社内一のイケメンだと噂される青年の顔を憶えていない……それらは全て、真駒の性癖が原因だ。  真駒は青年を見つめ、自身の首元に手を当てた。 (あぁ……なんて、綺麗な首なんだ……っ)  心の中で感嘆の溜め息を吐き、真駒は青年の首を眺めながら……自身の首を、掻き始める。  真駒摘紀……彼は重度の【首フェチ】だ。中でも特に、彼の首が……好きだった。  だが、ただの首好きではない。真駒の首に対する思い入れは、フェチという言葉で片付けられるものではないことを、本人が一番よく分かっていた。  ――真駒は、彼……椎葉(しいば)依弦(いづる)の首を、絞めたくて堪らないのだ。

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