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第22話

矢千は悪戯っぽく笑って首を傾げる。高科は口を開きかけたが、また閉じて先を歩いた。海を背に、かつての恋人を追い越し、前へ進む。 「なぁ」 振り向くことはせず、拳を強く握り締めた。 「もし……、嫌じゃなかったら、俺と二人で住まないか?」 迷いに迷った末の提案。最後の方は声が震えてしまった。拒絶されることも予想している。ところが、返ってきたのは素っ頓狂な声と台詞だった。 「えっ。ほとんど一緒に住んでるようなもんじゃありませんか。高科さんって仕事に取り憑かれてほとんどオフィスで寝泊まりしてるし、俺と同じ社畜でしょ? ……いや、現場のトップが社畜って悲しいですね。結局胡座かいて最高級のワインが飲めるのは会社の社長。の、奥さんですもんね!」 「…………」 せっかく振り絞った勇気を粉々に打ち砕かれ、何とも言えない虚無感に支配される。 やはり段階をもっと踏むべきだった。アクションが早かったことを後悔していると、矢千は小走りして隣に並んだ。肩が触れ、力なくぶら下がる指先に熱を与えられる。 「一緒に住むってことは、いよいよ本格的にお世話してもらうことになっちゃいそうですけど。本当に良いんですか?」 「あ、あぁ。……俺は、本気」 「へぇ。嬉しいなぁ」 潮風が頬をくすぐり、矢千の髪を不規則に揺らす。手を繋げ、同じ方角を目指した。 「上司と部下じゃない時間もつくれますか?」 「もちろん」 即答すると、彼はやったーと言ってガッツポーズした。いつ見ても幼い子どものようだ。昔の“彼”を思い返したら有り得ない。 「じゃー明日からまた仕事頑張ります! 俺は今の仕事も誇りに思ってるので。ばんばん依頼と相談受けて、この世に幸せなカップルを増やしましょう! えいえいおーっ!」 「はいはい」 ポジティブなのはけっこうだが、お調子者過ぎるのも困りものだ。苦笑しながら、彼がどこかへ行かないようしっかり引き留める。 太陽が高い。風が雲を運んでいる。 足元は不安定だけど、コンディションは最高だ。 辛いことばかりじゃない。それをまた教えてもらった。 一度は彼と夢見た幸せな日々。この手でつくりだせるように生きていこう。 「……あ! そうだ、指輪!」 「え?」 「え、じゃなくて。その指輪、俺のでしょ?」 矢千は慌てた様子で高科の左手を指さす。その薬指にはいつかのシルバーリングがはめられていた。 「あー……」 高科は気まずそうに頬を掻き、指輪を外した。矢千が病院へ運ばれた時、お守り代わりにと自分がつけていた。それをすっかり忘れ、今までずっとつけていたようだ。気まずく思いつつ矢千に手渡す。 それほど大切にしてる素振りもなかったし、てっきり彼も忘れていると思ったのに。意外としっかりしている。 それとも彼にとってはこの指輪が唯一のよすがなのだろうか。だとしたら、存外嬉しいことだ。 「良かった~。これがないと何か落ち着かないんですよ。高科さんも指輪が欲しいなら自分で買ってください! 俺と違ってお金持ちなんだから」 「いや、つい、な……。ごめん」 「別に良いですけど。……これは大切なものなんです。大切な人からもらったものだから」 足が止まる。気付けば矢千も立ち止まって……指輪を押さえながら、泣いていた。 その表情に目を奪われる。息が止まる。 「俺の為に買ってくれたんでしょ。……今度は、要が忘れちゃった?」 零れ落ちる大粒の雫。それを美しいと思ってしまうのは、きっと……君が、泣きながら笑っているからだ。 心の底に隠して、ずっと背負っていこうと思っていた覚悟を、いとも容易く連れ去ったから。 ……あぁ。何か、俺の方がずっとかっこ悪いな、と恥ずかしくなった。 全てを明かすきっかけ。それをどこかで願っていたのも確かで。結局彼がその架け橋をしてくれた。 不器用ながらも折り畳んだ記憶がゆっくりと開かれていく。 不揃いな感情は時と風が攫っていく。 残るは、君を愛しく想う気持ちだけ。 「……ごめん。一緒に帰ろう、深月」 元来た道を戻るだけかもしれない。でも次に選ぶ道は、今までとは違うものになるだろう。 いつか今日の出来事を笑える日が来る。それまではただがむしゃらに、子どものように無邪気に、君と紡ぐ人生図を描いてこう。

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