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第16話

 太陽のように眩く、星のように輝くシャンデリア。その下には華やかな容姿の人々が集う。彼らは生まれ持った美しさに更に磨きをかけ、煌びやかな衣装と装飾品を身に纏っていた。見た目の美しさのみならず、優雅な立ち振る舞いに、品の良い言葉遣いで社交辞令を交わしながら、音楽を楽しみ、料理を楽しみ、会話を楽しむ。  そんな美と雅が溢れるような世界の中で、希望はぽつん、とひとり、憂鬱だった。    希望はとある海外のホテルにいた。  ここ数週間、ブランドの会社社長である母と父と共に、いろんな社交場に招かれている。  今晩も、その一環でゴージャスでエレガントなパーティー会場にいた。    希望は、他人と話すのは楽しくて好きだ。見目麗しいお姉様たちにちやほやされるし、みんな品が良くてセクシーで、紳士だったり淑女だったりするので嫌な思いはしなかった。ここでも、さっきまでいろんな人が声をかけてくれていた。  きっと、ひとりでため息をついている自分を励まそうとしてくれたのだろう、と希望は思っている。  けれど、優しいお誘いを丁重にお断りして、希望はテラスで風に当たっていた。  ぴゅーっと風が吹き抜けて、希望は思わず「ひっ」と悲鳴を上げて震える。    ……寒い。    しっかりとスーツを着ているし、薄着ではないが、季節が季節だ。  暖かく過ごしやすいようにと調整された室内から外に出れば、澄み切った冬の冷たい風が身に染みた。想像していたよりもずっと寒くて、希望は少し後悔した。そういえば他の誰もテラスに出ていない。  しかし、誘いを断って出てきてしまったので、すぐに戻るのは恥ずかしかった。  見てた人や誘ってくれた人に「あ、寒かったのかな?」なんて思われたら恥ずかしくて死んでしまう。思春期のプライドは高いのだ。  特に今はパーティーという社交場で、大人の世界にいる。だから、格好つけていたかった。今の希望は『名家のご子息モード』なのだ。  希望は仕方なく、テラスの柵に寄りかかり、外の美しい景色を眺めているかのように装うことにした。アンニュイに見える背中はぶるぶると震えているが、気づかれないだろう。気づかないでほしい。    震えながら、希望はスマホを取り出した。  いくつか通知はあったが、希望が待ち焦がれている相手からのものは一つもない。 「ライさん……」  ぽそり、と呟くと、吐息が白くなって、ゆっくり消えていく。  海外を巡って一ヶ月近く経つが、その間にライからの連絡は一度もなかった。  一週間前、希望が意を決してメッセージを送ってみたが、その返事もない。  それどころか、既読にもなっていないようだ。  いつまでも変わらないメッセージ欄が悲しくて、希望は一際大きなため息をついた。落胆のため息は、ふわりと白くなって揺らめき、空へ上っていく。    きっと、ライにとってはどうでもいいことなのだろう。  希望がいてもいなくても、ライは変わらずに過ごしているに違いない。  会えなくても我慢できるが、ライが同じ気持ちでないことが寂しかった。  寂しがってほしいとは思わないが、今の希望と同じくらい「会いたい」と思ってほしかった。求めてほしかった。  両想いになったはずなのに、まだ片想いしているみたいだ。    愛しさと切なさと寂しさ、そして気温的な寒さで、希望はズズッと鼻を啜った。  俺はこんなに寂しくて切なくて震えているのに、ライさんめ、と希望は自分の身体を擦る。    本当に寒い……。身も心も寒い……。    震える身体を希望は一生懸命擦って暖める。  もう戻ろうかな。ホテルの部屋のお風呂、結構大きかったし帰って入ってみようかな、と考えていると、背後でコツッ、と靴音がした。 「こんなとこで寒くない?」  誰だろう、と希望が疑問に思うよりも早く、声をかけられる。  その低く響く声に、ビリッと希望の身体に電気が走った。  希望が驚いて振り向こうとすると、ばさりと、乱暴にジャケットを肩にかけられる。  身長の高い希望でもすっぽりと覆う大きさのジャケットと、その温もりに心臓が一際高鳴った。  ジャケットの持ち主は希望の側に寄り添い、僅かに身体を傾けて希望の顔を覗き込む。 「ひとり? お嬢ちゃん」  そう言って悪戯っぽく笑うライの姿に、希望の体温はぶわり、と一気に上がった。 「……あっ、ラ、ライ、さ……!?」  希望は真っ赤になった顔でぱくぱくと口動かすが、声は上手く出てこない。  そんな希望の様子を、ライはより笑みを深めて眺めている。    ライさんだ。  本物だ。    震えるほど会いたかった人が目の前にいる。相変わらず深い緑色の瞳は暗くて鋭くて怖いけど、じっと希望を見つめてくれる。  希望も潤んだ眼差しを向けて、見つめ返した。驚きと喜びで、じわりと視界が滲んでいく。  目の前にいる恋人の、暗い色のスーツに整えられた髪、見慣れない正装を着こなす姿は魅力的だった。これまで参加してきたどのパーティーにも、とびっきり恵まれた容姿の人々がたくさんいた。なのに、なんということだ。その中でも一番セクシーでカッコいい。  もしかして、俺の彼氏が世界で一番かっこいいのでは?! と希望は気づいてしまった。    ライ相手にもはや何度目かわからないが、また恋に落ちてしまった。希望はぽーっとした赤い顔で、ライを見つめたまま動かない。  ライは構うことなく、希望の頬に手を伸ばした。  ひやりと冷たくなった頬に、ライの掌の熱が心地よくて希望は思わずすり寄る。熱い掌にほっとして、自分の両手で包んでうっとりとライを見上げた。  ライはじっと希望を見つめて、頬を撫でる。 「こんな冷たくなるまで、ひとりで何してんだよ」 「う、うーんと……」  希望はライから目を逸らした。  ライと会えなくて寂しくて、そしてうっかり外に出たら寒くて、いろんな意味で震えていたなどとは言いづらい。 「……ラ、ライさんこそ、なんでここに……? 何しにきたの? ていうか、どうやって……?」 「お前が強請ったからだろ」 「? ……え?」  きょとん、とした顔の希望を見て、ライは呆れたように笑う。 「『会いたい』って」  希望は一週間前に自分がライへ送ったメッセージを思い出した。  意を決して送ったのに、返事もなかったし、読まれもしなかったのだろう、と思っていた。 「……あれ、見てたの?! でも……!」 「別に放っておいてもよかったんだけどさ。面白いから」 「……!!」  俺の切ない恋心をなんだと思ってんだ! と希望はじっとライを睨む。  たった四文字のメッセージを送るまで、何時間も悩んだのだ。  呆れられるかな、とか。面倒なやつと思われるかな、とか。何度も消して、何度も考えて、悩んで、ようやく送った大切な想いだった。  それを嘲笑い面白がっていたなんて、許せん。なんて性格の悪い男だ。あ、うん、知ってたけど。    とにかく酷い! と訴えるような希望の眼差しを、ライはフッと軽く笑った。 「……まあでも、そういう連絡くるの珍しいし、アレ送るだけでも相当頑張った方かと思って。お前にしては」 「! ……う、うん……」  希望は照れて少し俯いた。頑張ったことを認められるのは嬉しい。  先ほどの怒りなどあっさり投げ捨てて、希望はふにゃふにゃと照れて、微笑んだ。  よかった。おれのきもち、わかってくれてる、と嬉しくて、じっとライを見つめる。  その顔を、ライは頬を撫でる手とは反対の手も添えて包み込んだ。 「だからご褒美」 「え」  目の前に迫る濃いエメラルドのような瞳に、希望は目を見開いた。  ぐい、と少し強引に引き寄せられて、ライの厚めの唇が触れる。  熱さにドキッとしたのは一瞬だった。すぐにパーティー会場から見えてしまうのではないかと焦り、離れようとライの腕を掴む。  けれど、希望は手を止めた。ライは会場側に背を向け、希望を覆い隠すように立っていることに気づいたからだ。  いつの間に、と不思議に思ったが、この口づけが誰からも見られないことに希望はほっとした。  秘密のキスに、少しドキドキしながら、希望は安心して目を瞑る。ライからのキスを受け入れ、ぎゅうっとライの腕を縋るように引き寄せる。より深く絡み合いたくて、少し背伸びをすると、ライも応えてくれた。  それが嬉しくて、希望は背筋がぞくぞくと震える。  先ほどまで寂しくて寒かったのが嘘のように、ライの体は熱くてドキドキする。自分の内側にも熱が満ちて、蕩けてしまいそうだった。 「ふぁ……、はぁっ……」  ライが離れると、希望はゆっくりと息をついた。ライの吐息と希望の吐息が白く混じり合って、暗い空に消えていくのをぼんやりと眺める。  指先で自分の唇に触れると、しっとりとしていて熱かった。    これが『ご褒美』だなんて、なんて自信家だろう。  でも、希望にとって間違いなくこれが『ご褒美』だ。  会いたかった人に会えた。その熱を感じることができた。  それがたまらなく嬉しくて、幸せだ。    でも。  もっと、してほしい。  キスして、抱きしめて。離れていた分、寂しかった分にはまだ足りなかった。  低い声で、甘い言葉で、溢れるくらいに満たしてほしい。   「……なんて顔してんだよ」 「……?」  希望は夢心地でふわふわとしたまま、ライを見上げた。呆れたように笑うライを見て、首を傾げる。  両手で自分の頬に触れてみたが、ぽかぽかと暖かい。先ほどまで凍えて震えていたのに、あっという間に熱に冒される体が恥ずかしくなった。 「俺、どんな顔してた……?」 「もっと口説いてぇ、って顔」 「……っ!!」  ますます顔を赤らめて、希望は俯いてしまった。  恥ずかしい。自分の気持ちをわかってくれるのはいいが、何もかもお見通し過ぎるのは恥ずかしい。 「なあ」 「……?」  ちらり、と上目遣いでライに視線を向けると、ライの顔がすぐ近くに迫っていてどきりとする。  希望が見つめたまま固まっていると、ライはふっ、と少し笑って耳元に唇を寄せた。 「口説いてやろうか?」  ライの低くて甘い声に、希望の体の奥がびりびりっと痺れた。ゾクゾクッ、とした震えが、頭のてっぺんから足の先まで走っていって、力が抜けていく。  希望は潤んで蕩けた瞳でライを見つめて、こくこく、と何度も頷いた。  それに応えるように、ライは希望の腰に手を回して、じっくりと擦る。 「あっ……」  希望がびく、と震えて、ライを見上げた。  ライは希望の頬を撫で、髪に触れて、耳元でゆっくりと囁く。 「……ここのホテル取ってあるけど、一緒に来る?」 「はぅんっ……♡」  希望はくらり、と目眩を起こしそうになった。  ひゃぁぁん攻め様のやつだぁぁぁそういうとこ好きぃぃ、と心が叫ぶ。それは声にはならないまま熱く甘い、吐息だけが零れてしまう。 「どうする?」 「あっ、い、いくぅ……♡」 「パーティー終わるまで待てる?」 「んっ……!」  ライが希望の腰を、両手で掴んでじっくりと撫でる。希望はそんな刺激でふるふると震えてしまった。 「あっ、はぁっ……やだぁ、待てないよぉ……♡」 「じゃあ、……二人で抜け出しちゃおうか」 「うん♡」 「ちょろすぎだろ」 「あっ!」  ライは希望に羽織らせていたジャケットをはぎ取った。 「口説きがいがねぇよ。脳みそまで溶けてんのかてめぇは」 「ひ、酷くない……?」  甘く低く響いていた声は急に冷たく突き放し、包み込むような温もりと、ライ自身が離れてしまう。  希望は急に寒さに晒されて、ふるふると震えた。 「寒いよぉ、貸してよぉ……」  希望がライの腕に絡みついて、上目遣いで見上げる。ライに触れると暖かいから、腕にしがみついた。  ライは鬱陶しそうにしながら、希望の紅く染まった頬に触れる。冷たかった希望の頬は、もう十分暖かく、柔らかい。 「もういいだろ」 「やだ! ライさん寒いの平気でしょ!」 「寒ぃに決まってんだろ馬鹿。なんで外出てんだよ。ナンパ待ちか?」  ライの冬の風よりも冷たい眼差しに、希望はムッとして眉を寄せた。 「ナンパじゃないけど、声かけてくれた人断って外出たの!」 「そいつならさっきから中でお前が戻ってくるの、そわそわしながら待ってるよ」 「え? なんで俺を待って……、ん? え? あれ?! なんで知ってんの?! 見てたの?!」 「さあ」 「そんな前からいたならもっと早く声かけてくれればいいのに!」  キッと希望がライを睨む。けれどライはさらりと受け流してしまう。  どうでも良さそうな、興味のなさそうな態度に、希望は少し傷ついた。悲しみで傷ついた心は、怒りを滲ませる。  希望は拗ねたように俯いた。 「ライさんがいるなら、俺、外で寒い思いしなくて済んだじゃん。いじわる。性悪。メッセージだって、すぐ返してくれれば……。頑張って送ったの、わかってるならちょっとくらい……」  希望が唇を尖らせて文句を言っていたが、その途中で、ライが急に希望の肩を抱き寄せた。  それだけのことなのに、希望はきゅんっとときめいて、びくっと怯えた。  希望が恐る恐る見上げると、ライが呆れたように笑っている。 「そんなに怒んなよ」 「……」 「お前が寂しくて死にそうって顔してたから、他の奴の誘いを断れるのか見てただけ」 「趣味が悪いし、性格も悪い!」 「何とでも言え。……まあでも、良い子にしてたから、ご褒美やんなきゃなって。いらねぇの?」 「……」 「ん?」  睨む希望に、ライは薄ら笑ったまま、首を傾げて覗き込む。  何もかも見透かされている。希望の答えなどわかっているだろうに、希望の口から言わせたいのだ。それがわかっていながら、希望はその答えを言わざる得ない。 「……いる……」 「じゃあ来いよ」 「……うん」  不本意ながら、ご褒美はほしい。ライと一緒にいられるなら、他のことは我慢できる。少しなら。  希望は唇を尖らせたままだったが、ライに従った。  その顔を見て、ライが少し笑う。 「今日はちゃんと可愛がってやるから、機嫌直せって」  な? とライが笑う。  希望はその顔を見て、きゅぅん、とときめいてしまった。  肩を抱く手が少しだけ優しくなって、低い声は甘く響く。  だから、考え直した。    理由はどうあれ、今日はずっと一緒にいられるんだ。わざわざここまで会いに来てくれた。それだけで十分じゃないか。  どうやって関係者以外立ち入り禁止の会場に入ったんだろう、とか、あまり考えないようにしよう。そんなのは野暮ってもんだ。  今夜は、可愛がってくれる、らしいし。   「う、うん……♡」  ふにゃあ、と希望が笑って頷くと、ライが可笑しそうに笑った。 「だからさ、お前、素直すぎ」    何とでも言え。  俺は恋人相手に意地も見栄も張らないのです。

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