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甘い夕景
日の光が瞼を照らして、くすぐったくて目が覚めた。
視界の隅では、自ら光を放っているかのようなオフホワイトのカーテンが揺れていた。
窓の向こうから聞こえてくるのは蝉の声。
カーテンの隙間からは入道雲が見える。そしてベランダには白いシーツがはためいていた。
午前八時。
久々に、こんなにぐっすりと眠れた気がする。
ベッドサイドにあるアロマディフューザーを見つめながら感激した。
昨日、亮一 さんがわざわざ用意してくれたものだ。
ベッドの中で丸くなって、ベルガモットの甘い残り香に包まれながら幸福感に浸った後、着替えて一階に下りた。
亮一さんは柔和な笑みを浮かべてじっと見つめてくるものだから照れてしまい、すぐに視線を逸らして軽く頭を下げた。
「おはようございます。すみません、手伝いもせずにこんな時間まで」
「いいですよ、気にしなくて。よく眠れましたか?」
「あ、はい。亮一さんのお陰でぐっすり眠れました」
「そう、それは良かった。朝ご飯出来ているから、冷めないうちに」
ウッドテーブルの上には湯気のたった朝ご飯と淹れたばかりのホットコーヒーが用意されていた。
亮一さんと出会ったのは四日前。けど随分と前から亮一さんの事を知っている。
高校でも家でもうまくいかなくて人間辞めたくなっていた俺の唯一の心の拠り所はSNSだった。
ここのカフェの美味しそうなメニューの写真を見て癒され、そしてそれに添えられる亮一さんの今日の一言をチェックするのが楽しみだった。
五日前、俺の心のコップの水が溢れ出して、身体中が大洪水になった。
気付いた時には「助けて下さい」とここのアカウントにリプをしていた。そうしたら店主の亮一さんから「ここに来て」と連絡があった。
逃げたかったのかもしれない。
誰かに必要とされたかったのかもしれない。
亮一さんは涙を流す俺の頭を撫でて「ここにいて下さい」と言って抱き留めてくれた。
冷静になって考えると、あんな風に自分の弱い所をさらけ出してしまってとても恥ずかしく思う。けれど亮一さんは受け入れてくれて、カフェの二階に住まわせてもらう事になった。
この夏休みの間だけ。
その先の事は、まだ何も考えていない。
「今日は定休日だから、部屋でゆっくりしていていいですからね。夕方になったら買い物に行きましょう」
「え、俺と?」
「ふふ、他に誰がいるの。今日は一緒に夜ご飯を作りましょう」
亮一さんはいつも敬語とタメ語を入りまじらせながら話す。
鷹揚な亮一さんらしいなと思う。
こんな大人になれたらいいな。はやく、大人に。
暑さが少々和らいだ夕方、隣を歩く亮一さんが尋ねた。
「何か食べたい物はありますか?」
「……特に、無いです」
「あ、僕には遠慮しなくていいって、この前言ったのに」
「……」
自分の本音を素直に言うことはとても悪い事のように思えてしまう。そんな俺を、亮一さんは見抜いていた。
「ゆっくりでいいので、僕には言えるようになってくれたら嬉しいです。僕はいつでも、君の味方ですよ」
「……」
「君の周りは、君が思っている以上に優しいですよ。自分はどうしたいのか、何が好きで何が嫌いなのか、僕はとても興味があります。少しだけ、僕を信じてみませんか?」
自分の周りが優しいだなんて、今は到底信じられない。
けれど亮一さんは信じられる。
見ず知らずの俺を、あたたかく迎え入れてくれたのだから。
「じゃあ、鉄板ナポリタン……」
「え?それって……」
昨日も食べたよね?と反応されると、やっぱり言わなきゃ良かったってカーッと顔が熱くなる。
けれど店の看板メニューでもあるナポリタンは、毎日食べてもきっと飽きない。
亮一さんは俯く俺の腰を手で何度か叩いた。
「いいですよ。作り方伝授してあげます。厳しくするから覚悟しておいて下さいね」
歯を出して笑う亮一さんの横顔が、オレンジ色の夕陽に照らされて綺麗だなって思った。
そしてずっと隣にいれたらいい。
もしも俺の周りは、世界は、自分が思っているよりも数倍優しいとちゃんと自覚する事が出来たら――俺達の関係も少しは変わるのだろうか。
くすぐったい気持ちになりながら、いつもよりも甘く見える夕陽を背に受けて、俺は亮一さんと歩幅を合わせた。
*Fin
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