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前編
「え、なんで?ねえ、なんで!?」
なんで誰もいないんだよおおおぉーッ!
「ちょっと煙草吸いに行ってただけじゃん。席外したの五分くらいだろ?ていうか、上司に挨拶もなしで帰るか普通!?」
もちろん、返事なんて返ってこない。
誰もいないんだから当たり前だし、むしろこの状況で返事があるとかの方がやめてほしい。
そう分かっていて、それでも頭の中の疑問はすべて声に出したかった。
出すべきだと思った。
だって夜のオフィスにひとりきりなんだよ!?
さっきまでみんなで一緒に残業してたじゃん!
新人くんのうっかりミスを、課一丸となってフォローしてやろうって言ってたじゃん!
スローガンは一致団結だって燃えてたじゃん!
「なのになんでひとりぼっちにするんだよォーッ!」
確かに問題は片付いたよ。
みんなで一緒に頑張ったおかげで、終電ギリギリになるかもって心配がなくなるくらい、早く片付いたよ。
だから、よしここで一服、って喫煙所に行ったんじゃん。
俺は優しい上司だから?
フレンドリーな上司だから?
もし課内に煙草仲間がいたら、
「お前も一本吸うか?」
なんて親しげに声かけて、肩組んでルンルン気分で喫煙所に連れていくよ?
でもしょうがないじゃん。
みんな嫌煙者ばっかりなんだからさ!
タバコは身体に悪いって分かってて止められないのは俺の弱さだし、個人的嗜好なんだから別にいいじゃんって開き直っちゃってるのは俺のエゴ。
そう理解しているからこそ、普段からにおいには人一倍気を使ってたし、タバコ吸った直後はコーヒー飲まないようにしてたし、涙が出そうになりながらストロング・ブラックタイプのミントを四六時中バリバリ噛み砕いてた。
それなのに。
それなのに!
戻ってきたら、見事に誰もいなかった……!
無人のオフィスは、とても静かだ。
見渡せば何十体とあるパソコンが、ウンともスンとも音を立てずにただそこに置かれている。
油断したら、黒くなった画面が一斉につきそうで怖い。
ただでさえ節電推奨中で不必要な電気が軒並み消灯されていて、一寸先は闇なのだ。
まるで、自分の部署だけがぽっかりと浮かび上がっているよう。
明るいところから見る暗闇は、どこまでも濃く、深い。
カチ、コチ、カチ、コチ、カチ、コチ。
普段は昼間の雑踏に紛れて気にすらならない掛け時計の音でさえ、はっきりと聞こえてくる。
カチ、コチ、カチ、コチ、カチ、コ――…
「よ、ようし、帰ろう!」
そうじゃないか。
なにやってんだよ、俺。
さっさと帰ればいいんじゃん!
だって今日の仕事はもう終わってるんだから!
「明日できることは明日やる!」
そうだそうだ!
「ら〜らららら〜らら〜♪」
大声で歌っていれば、ひとりでだって怖くない!
ガタッ。
「ヒィッ……!」
あっぶな……!
チビるとこだった!
音源らしき方向に目を凝らすと、隣の部署のキャビネットが揺れていた。
「な、なんだ、風か……って風!?オフィスの中なのに、棚がガタンッ……なんて揺れるほどの風なんて吹くか!?」
ガチャッ。
「え……?」
ガチャガチャ。
動いている。
オフィスと廊下を隔てる扉のドアノブが、小刻みに動いて――…
ガチャンッ!
「ひいいぃぃっ!」
なんなんだよなんなんだよなんなんだよおおぉぉぉッ!
「も、もうやめてくれええぇぇっ!」
謝るから!
なにに対してかわからないけど、謝るからァッ!
「成仏してくださいお願いします南無阿弥陀仏同胞 同胞同胞ァッ……!」
俺はただ祈った。
埃くさい床に這いつくばって、頭の上で両手を合わせ、人ならぬ彷徨える魂に向かって、ただひたすらに祈った。
入ってこないでください。
こっちに来ないでください。
だから来るなって言ってるだろ!
あ、いや、頼むから、お願いしますから、来ないでください。
だって俺なんか食べても美味しくありません!
だから今すぐその足で元来た道を引き返して……え。
足?
「なにやってるんですか、水無月 課長」
「角南 ……!」
そこにいたのは、俺もよく知るひとりの生きた人間だった。
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