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香りだけでもそばにいて

 かれこれもう一年以上も遠距離恋愛を続け、慣れてきたような気はするけれど、やっぱり会いたい時にすぐに会えない寂しさは拭えない。そもそも、付き合いだしたらすぐ同棲したいぐらいの勢いで、恋人とは常に一緒にいたい性質のリョウだから、なおのことだ。逆によく一年以上続いているもんだと、本人ですら思うことがある。  同僚や友人が、彼女からの急な呼び出しにしぶしぶ応じていたり、毎日の電話攻撃にうんざりだと愚痴をこぼしたりしているのを苦笑いで受け流しながら、本当は羨ましくてたまらない。急な呼び出しをしあえる距離ではないし、リョウの恋人・アヤは連絡不精もいいとこで、たまに電話の機会に恵まれても、業務連絡みたいな内容ですぐに切られてしまう。    自然、毎回長い長いお預けを食らってからの逢瀬となる。会えるなり嬉しくて暴れだしそうなリョウとは違い、アヤはどんな時も憎たらしいぐらい冷静だ。もうちょっと嬉しそうにしてくれたって、と内心ボヤく。  声は電話で聴くことができる。  顔は数少ないながらも写真で見ることができる。  だけど、こうして会えないと感じられないのは、  直接触れ合うぬくもり、そして香り。  リョウがアヤを好きになる引き金にもなったこの香り。ほんのわずかに香るムスクのような妖しさ、を覆うように白檀のような甘さ。それにプラスして、吸っている煙草。全部合わせても、本当に鼻を体に擦り付けでもしないとわからないほどの微々たる香り。アヤが就いているホテルマンという職業にもなんら支障のない程度だ。だが嗅覚が特に鋭いリョウは、鼻を体に擦り付けたりする間柄になる前から嗅ぎつけてしまった。さらに不思議なのは、アヤが香水も柔軟剤も使っていないということだ。リョウは勝手にアヤ特有のフェロモンだと思っている。  ある逢瀬の別れ際。心地よい、幸せな時間はあっという間に過ぎてしまう。また今夜から、次に会える日を指折り数えて暮らす日々が始まるのだ。 「アヤ、ひとつおねだりしていい?」 「何」 「アヤの服何か一枚、持って帰っていい?」  一聴するとただの変態のような発言に、アヤは言葉を返さず黙り込んだ。眼鏡の奥の視線が冷たい。 「……用途による」 「ナイショ」 「じゃあだめ」  こんな申し出をするのはいくらリョウでも一応、恥ずかしいのだが。  一人の夜もアヤの香りに包まれて眠りたい、だなんて。 「笑わへん?っていうか引かへん?」 「約束はできないけど」 「いやもうそこは嘘でも『うん』って言うてえな。……あの、会われへん間、せめてアヤの匂い、を」  恥を忍んで懸命に言ってみたものの、そこまででリョウはとうとう口を噤んでしまった。  アヤはそんなリョウを強く抱き寄せた。 「いいよ、どれでも好きなの、何枚でも」 「ほんまはこれ持って帰りたいねんけどな」 リョウは蕩けるようにはにかんで、アヤを抱きしめ返しながらそう言うと、アヤもわずかに目を細めた。  別れの時は刻一刻と近づいている。  今だけ、あともう少しだけ、このぬくもりに、香りに、包まれていたい。 【おわり】

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