1 / 11

「傘」 1

 朝からどんよりとした雲におおわれていて、雨が降るかもしれないと思っていたのに折り畳みの傘を持たずに家を出た。  明石潮(あかしうしお)がそれを後悔するのは大学を出て少したってからだ。  外へ出た時はまだ小雨だった。これくらいならと歩いていたのだが、雨は徐々に激しくなり、近くにある公園の東屋へと逃げ込んだ。  流石に公園には誰もおらず、ひとまず雨脚が弱まるまで待とうとしたが、いっこうにその気配を見せない。  どうせ全身とカバンの中身まで濡れているのだ。帰ろう東屋をでようとしたその時。 「雨宿りかい?」  その声にビクッと肩を震わせた。声を掛けられて驚いた訳ではない。声の主が誰だか知っているからだ。  雨音で気が付かなかった、そういうことにできないだろうか。  だが、声に気が付いたことは、その相手にもバレているだろう。  いったい、どうすればここから逃げ出せるのかを考えていたら、 「潮君」  と下の名を呼ばれて腕を掴まれてしまった。これではもう逃げられない。しかたなく顔を向けてため息をつく。 「こんにちは」  彼は樋山智仁(ひやまとしひと)といい、同じ大学の先輩だ。  潮は地味で目立たぬ男だ。しかも人見知りもあり、大学に友達がいなかった。お昼は外のベンチで一人で食べていて、誰にでも優しい彼は、大学に馴染めないで一人でいた潮に声を掛けサークルに誘ってくれた。  潮は人見知りで、サークルでもうまく話をすることができずにいた。  黙って座っていると、樋山が隣に座り話しかけてくれる。だが、話しなれなくて素っ気ない態度をとってしまう。  根暗な男、そう思われている潮は狙いの人にとっては邪魔でしかなく、一部のメンバーにいじめにあっていた。  それが嫌でサークルを抜けたのだが、樋山は納得がいかぬようで、何度も潮の元へときて誘うようになった。  次第にそれが重荷になり、樋山に対して苦手意識を持つようになった。 「気が付かないふりをしようと思っていたでしょう?」  言い当てられてしまい、ぐっと喉が鳴る。未だ腕は掴まれたままだからだ。  潮にとっては苦手な人物である。今だって傍にいるだけで心が乱されている。 「離してください」  腕を振り払い雨の中へと足を踏み入れる。  とにかくこの場から離れたい。  今、潮の頭の中は、樋山から離れることしか考えていなかった。  早歩きをすれば、水しぶきが飛び散り、だけどそんなことに構ってはいられない。  樋山は気がつけば傍にいる。しかも、潮がどこにいようが探し当てる。彼が纏う、温かく優しい空気。それを感じるたびに辛くて胸が苦しい。  

ともだちにシェアしよう!