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番外編:後編
◇
外の空気はキンと冷たく寒かった。
何気ない話をしながら歩く商店街は、先ほど足を踏み入れた広いマンションよりもずっと身近に感じる場所で、思わずホッと息をつく。
「何にしようか、何が食べたい?」
「得意料理とかあるんですか?」
「大抵のものは作れるよ、独り身長いからね」
そう言って俺を見下ろすその顔は、どうして独身なんだろうと疑問しか浮かばないほど出来が良い。
少し長めの髪がよく似合う、甘いマスク。色白なのに貧弱には見えない、服の上からも分かるしっかりと鍛えられた肉体。同じ男の俺から見たって魅力的なんだから、女性からみれば生唾ものの優良物件だろう。
「肉…が食いたいです」
「肉か」
その美しい顔に見蕩れながらぼんやりと答えたその先で、誰かの悲鳴が聞こえた。
「なに…?」
数十メートル離れた辺りに、人だかりができている。その輪の中から誰かが叫んだ。
「誰かっ! ガイドさんはいませんかっ!!」
は、とひと呼吸するよりも早く隣から栗原さんが駆け出した。釣られるようにして、俺もその後ろを追った。
「どうされました」
「あなた、ガイドさん?」
「そうです」
「彼女、多分センチネルで」
「倒れたんですね…大丈夫ですか?」
栗原さんがしゃがみこんだその足元に、俺よりも少し若いだろう女性がぐったりと倒れ込んでいた。
「すみません、腕に触れます」
言うが早いか、栗原さんは彼女の細く白い手首を掴んだ。それから、数秒で状況は変わり始めた。
青白かった女性の顔に血の気が段々と戻り、握りしめている腕に力が戻って来た。まるで癒しを求めるかのように、自身の腕を握る栗原さんの手にもう片方の手を重ねしっかりと握る。
やがて瞳を開けるまで回復し、倒れていた躰を支えられながら起こすことができた。ここまで、数分の出来事だった。
「気分はどうですか」
「あ…あの、驚く程良くなりました」
彼を見上げるその瞳に、嫌な予感がした。それは、大きな期待を込めた瞳だったから。
「それは良かった。今日は遠慮なんて無しに直ぐにでもパートナーを呼んで、しっかりと癒してから、念の為に病院へ行かれることをおすすめします」
「はい…本当にありがとうございました」
お礼を言い終わっても、彼女はその手を離さない。
「すみません、そろそろ手を」
「あ、あの! こんなことを急に言うのは失礼だと承知なのですがっ、」
やめて…
「こんなに早く治るということは、私たち、相性がとても良いと思うんです」
やめてくれよ…
「よかったら、私とパートナーを契約して」
そこまでが限界だった。俺は栗原さんの後ろで踵を返し、ひとり来た道を引き返す。
拒みたくないのに拒んでしまう、セックスもろくにできない面白みのない男の俺と、あんなにか弱そうな、美人で、触れられることになんの抵抗もない女性だったら、一体世の中の男はどっちを取るだろう? 俺に勝算なんて微塵もないじゃないか。
最後まで見せ付けられるくらいなら、いっそこのまま何処かへ消えて失くなってしまいたい。そう思ってふらふらと歩いていると、後ろから凄い力で腕を引かれた。
「どこ行くの!」
「…栗原さん……なんでここにいんの?」
「なに…?」
「あの人は?」
「え?」
「さっきの…」
栗原さんの目が吊り上がった。
「言ってる意味が分からない」
「だって」
「〝だって〟なに? 俺があの人と何だって言うの」
掴まれた腕が捻り上げられる。
「いたっ、痛いっ」
「時間をかけてゆっくりと思ってたけど…君には荒療治の方が良いみたいだ」
「あっ」
今度はふたりで、来た道を引き返していった。
「ひっ、や…あっ!」
ベッドに投げられ、素肌を曝け出した躰。縛り上げられた腕。さっきは優しくゆっくりと与えられていた愛撫も、今では嵐のように俺の躰を翻弄していた。
舐められ、時に歯を立てられた胸の突起は真っ赤に腫れてジンジンと痛むのに、それでも躰は彼の触れた場所に熱を溜める。
「くり、くりはらさっ、や…やだ…」
段々と触れる場所が下へと下がっていく。
徐々に増える恐怖心に躰が震えるが、いつもなら止めてくれるその手を、栗原さんは止めてくれなかった。
「あっ!!」
下着の下に手が滑り込んだ。硬くなったソコを無遠慮に握りあげられる。
「ひっ!?」
その刺激が過去を思い起こさせ躰が跳ね上がる。無意識に逃げようとした躰を、腕を、強く引き止められた。
「いま、誰が君に触れてるのかちゃんと見ろ!」
「やっ、」
「光っ!!」
頬を捕まれ、無理矢理目を合わせられた。ゆらゆらと頼りなく揺れていた俺の視線は、向けられる強い視線に捕まり動けなくなる。
「見ろ、光。いま、君に誰が触ってる?」
「ひ…、う、ふぅ」
怖くて怖くて仕方なくて、瞳から涙が溢れた。それを、懐かしい優しさがぬぐい取ってくれる。
「ひかる」
「うぅ…」
「光、俺を見ろ」
「くり…はらさ、」
「そう、今君に触ってるのはアイツじゃない。俺だよ」
「栗原さん」
シュッ、と腕に巻かれた紐を解かれ栗原さんに抱きついた。
「栗原さん…栗原さんっ、」
「うん」
「くりはらさっ、れを…すて…な…でっ、おねがっ」
「ひかる」
「おねがっ、なんでもする…ひっ、な…でも、するからぁ」
「馬鹿野郎ッ」
「んんっ」
頭ごと強く引き寄せられ…だけど優しく、口付けられた。
本当は、ああいう綺麗な人こそこの人の隣に相応しいのかもしれない。分かってる。けど、それでも、やっぱりこの人を俺は手放したくない。誰にも、渡したくない。
「先に手を離そうとしたのは光だろ」
「ごめっ、ごめ…なさ」
「約束してくれただろう? 俺を助けてくれるって。俺を救い出してくれるって」
「栗原さんっ」
「君しかいないよ。俺を救えるのは、君しかいない。俺は光じゃないと駄目だ……二度と勝手に手を離そうとするな」
「んっ!」
再び重ねられた唇。滑り込んできた舌に、思考を蕩けさせられる。
「ぁ…ン、」
「まだ怖いか?」
「ンンっ、あ、ンあっ、あっ」
ぬるぬると、俺のソレに絡まった栗原さんの指が動く。
強く握りこまれたときは怖かったのに、今の刺激は生まれて初めて受けるもので…不思議と怖くなかった。それどころか、気持ちよすぎて腰の辺りまでジンジンしてきて、
「ぁあっ、や、」
「怖いか?」
「あっ、足りな…あ、もっと、ン! もっと…さわって」
栗原さんの躰を挟んでいた足をもじもじと動かし、つま先を彼の腰に滑らせる。と、
「まさか煽る余裕があったなんてな」
「へ…?」
自分がした行動が一体どんな作用を生んだかなんて、この時の無知な俺は全くわからなくて…。
「くり…はらさ…?」
「今日の俺にトラウマを持ってくれるなよ?」
「え? ひゃっ、あああっ!!」
俺は童貞処女から…ハリケーンのように処女だけ失い見事、童貞非処女という稀な存在になった。
引越して、同棲して、初めて食べた食事はカップラーメンでした。
END
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