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言葉が足りない

 高校に入学してすぐに、生涯の友と呼べる存在ができた。  バスケ部所属でガタイのデカいあいつと、タッパだけはあるけどヒョロヒョロ眼鏡な俺は、初対面のときからなぜか気が合って、気付けば無二の親友みたいな関係になっていた。  そんな俺たちを周囲は凸凹コンビと笑ったが、そんな言葉すら当時の俺には嬉しく感じた。  人と接するのが下手で、親友と呼べる存在なんていなかった俺の、初めての友だち。しかもあいつは人付き合いがよくて社交的、なんでも器用にソツなくこなし、気付けば周囲に人が寄ってくるタイプだと言うのに、俺を一番の友として常に側に置いてくれた。  俺のスペックを考えれば、あいつは本当に最上の友だちだろう。  あいつと仲良くなれた自分を褒めてやりたい。  二年に進級し、俺たちはクラスが離れた。  しかも教室は互いに校舎の端と端。えらい遠い。  だけどあいつは休み時間のたびにやって来る。昼飯も当然一緒。放課後は部活があるから別々だけど、部活が休みのときは必ず一緒に帰ったものだ。  楽しくて、優しくて、頼もしい男。  ……好きになるな、なんて方が難しいだろ。  だけど告白なんてできなかった。  あいつの性的嗜好は完全に女性に向いている。某国民的アイドルの熱狂的なファンで、ファンクラブにまで入っている。  一度、自分が推しメンをどれほど好きか二時間ほど語られたこともあるから、ガチで女が好きなんだろう。  だからあいつが好きだと自覚しても、告白なんてできない。  自分の心をひた隠しにして、あいつの一番の親友ポジションに収まりながら、高校だけでなく大学時代も共に過ごしてきた。  けれどさすがに就職先は別だった。  少し、いやだいぶ残念だったが、こればかりは仕方ない。  心に大きな穴が空いたような虚無感を抱えることになった俺とは対照的に、あいつは入社早々彼女を作った。  それをLINEで知らされた俺は、「おめでとう」と型通りの挨拶を返した。  あぁ……報告されたのがLINEでよかった。じゃなきゃとんだ醜態を晒してるとこだったな。  どんどんと溢れて止まらない涙を拭いながら、ぼんやりとそんなことを考えた。  いつも俺と一緒に過ごしていた土日は彼女のものになり、代わりに平日の夜飲みに行くことが増えた。週に一・二回の楽しみ。彼女ができてもあいつは、俺との関係を大切にしてくれる。そのことが嬉しくて……少しだけ辛かった。  もう俺なんて切り捨ててくれていいのに。  ずっと彼女の側にいてやればいいのに。  けれどその言葉を口にすることはできない。  言ったら最後、俺たちの関係はそこで終わる。  嫌だ、終わらせたくない。歪な関係でもいい、今のままでいたいんだ。  俺はこの気持ちを一生封印する。だからずっと、お前の側にいさせてくれ。  そう思っていたのだが……現実は甘くはなかった。 「結婚、しようと思ってさ」  彼女と付き合って約一年。あいつがそう切り出した。 「へ、え……オメデトウ……」  それしか言えなかった。  あいつは照れながら、新居を購入しただの披露宴は日本でやるけど、挙式自体は海外にするつもりだの、散々惚気ている。俺はその言葉をただ呆然と聞いていた。 「それでさ、披露宴ではお前に友人代表スピーチを頼みたいんだけど」  くったくのない笑みでお願いされる。 「あぁ……もちろん。喜んで、やらせてもらうよ」  その後の会話は覚えていない。  適当なところで切り上げて割り勘で会計を済ませると、居酒屋の前で別れた。普段と変わらぬパターンだ。  夜風がやけに涼しく感じる。  あいつと別れて一人になった途端、ジワジワと寂しさがこみ上げてきた。  俺、ちゃんと笑えてたかな。  彼女ができたって告げられたときみたいに、泣いたりしてないかな。  親友であるあいつの晴れの門出だ。記憶に残るようなスピーチをしてやろう。そうするべきなんだ。  だけど……頭ではわかっていても、感情が追いつかない。  たった一年しか付き合ってないような女に、あいつを取られた。  結婚してそのうち子どもが生まれたらきっと、あいつはいいマイホームパパになるだろう。そうしたらますます俺と過ごす時間は減るに違いない。  そしていつか完全に、俺の手が届かない存在になってしまうんだ……。  鼻の奥がツンと痛む。  涙が滲むのを止められない。 「あー……だっせぇ……」  こんな結末が待っているなんて思いもしなかった。あいつが俺の前からいなくなるなんて想像もしなかったんだ。  これはきっと罰だ。  あいつとの関係を壊したくなくて勇気を出せなかった自分に、神さまが下した罰なんだ。  俺がちゃんと告っていれば、未来は変えられただろうか。  思い切って一歩踏み出せば、俺はずっとあいつの側にいられただろうか。  ……いいや、それはないな。  だってあいつは女が好きだから。男の俺のことなんて、ただの親友としか思っていないから。  どう転んでも俺の恋が成就するなんてことはない。  失恋するのが早いか遅いかの違いだけだろう。  告らなかったおかげで今まで一緒に過ごしてこれた。  だから……結局はこれでよかったんだ。  よかったのに……溢れる涙を止めることができない。  頭ではわかっているんだ、本当に。  だけど俺たちが過ごしてきた時間を、「これでいい」の一言で済ませることは、やはりできなかった。 「くっそ……俺の方が好きなんだっつーの」  ポッと出の彼女なんかよりも。  ほかの友人たちの誰よりも、俺があいつのことをわかってる。  あぁ、ほんと、だせぇ。道の往来で泣くしかできないなんて、マジだせぇ。  だけどそれだけ。 「好きだったんだよ……どうしていいかわかんないくらい」  己の心を小さく吐露したそのとき、後ろから肩をグイッと引かれた。 「えっ」  驚いて振り向くと、そこにあいつがいた。 「じゃあなんで、スピーチするなんて言うんだよ」  怒気を孕んだ声に、思わずビクリと震えた。 「俺のことが好きなら、なんでおめでとうなんて言うんだよ」 「だ……って……親友の、門出で」 「俺が幸せなら、お前の気持ちなんてどうでもいいのかよ!」  大声で俺を詰る。  その声に弾かれたように、周囲を歩く人々が一斉に俺たちを見る。 「ちょ、ちょっとこっちに来い」  俺は奴の手を取って、裏路地へと連れ込んだ。 「お前、どういうつもりだよ」  なんで今さらそんなこと言うんだよ。  忘れなきゃいけないって思ってるのに……どうして忘れさせてくれないんだ? 「お前こそどういうつもりだよ」  相変わらず苛立ちを隠せない口調で俺に詰め寄る。 「どうもこうも……お前は結婚するんだろ?」 「お前、俺のこと好きなんだよな」 「なっ……!」  誤魔化そうと思ったが、「好きだ」と呟いた言葉を聞かれていたことを思い出して口を噤んだ。 「なんで諦めるんだよ。お前にとって俺はその程度の相手でしかなかったのか?」  俺よりも他の女を選んだ癖に、自分のことを棚に上げて酷いことを言う男に、俺はだんだんと怒りが湧いてきた。 「じゃあどうしろって言うんだよ! 先に彼女を作ったのも結婚を決めたのもお前だろ!? 彼女とは別れてくれ、結婚なんてやめてくれって言ったらお前、本当にやめるのかよ!」 「あぁ、もちろんやめるに決まってる」 「はっ?」  予想だにしなかった言葉。  こいつは今、なんて言った? 「お前が望むなら、彼女ができたってすぐに別れるし、結婚なんて絶対しない。と言うか、本当は彼女もいないし結婚の話も嘘だ」 「……はぁっ?」  奴は「やっぱり気付いてなかったか」と大きなため息をつきながら、ガックリと肩を落とした。 「彼女なんていないんだ」 「ごめん、理解が追いつかない」 「俺に彼女ができたらお前が焦ってくれるかと思って、嘘を付いた」 「なんのために」 「お前が……好きだから」 「意味わかんねぇ」 「だよなぁ」  その後しどろもどろになりながら語ったところによると、こいつは高校時代から俺のことが好きだったらしい。 「実は一目惚れだった」  奴は中学生のときにはもう、自分の性的嗜好が男に向いていることに気付いていたらしい。しかしそれを誰かに言うことは憚られるし、誰もが知る国民的アイドルのファンだと公言してまでノンケであることを装った。  そして高校に入り、俺と出会った。  自分の持つコミュ力を最大限に駆使して“友人”のポストに収まったはいいが、俺の態度は友だちの域を超えることはなく――そりゃそうだ、俺だってこの気持ちを気付かれるわけにはいかないと思って、必死に押し殺してきたんだから。  そんな俺の態度に半ば諦めに似た気持ちを感じながらも、高校、大学と一緒に過ごしてきたのだと言う。  しかしついに、別々の道を歩むときが来てしまった。  お互いに専門学部が違ったため、同じ会社に就職することは難しかったのだ。  それでもきっと、離れていても大丈夫。俺はあいつの“無二の親友”なのだから。大学時代から土日は大抵一緒に過ごしていたし。就職してもそれは変わらないって言ってくれた。  だからきっと、俺たちは大丈夫だ。  しかしその想いは、入社後一ヶ月で脆くも崩れ去ってしまう。  俺の会社は半ブラックで、突然の残業や土日の出勤や出張はわりと当たり前。その分給料はちゃんと出るものの、あいつと一緒に過ごす時間は格段に減ってしまったのだ。  しかもそんな状態にも関わらず、俺の口からは文句や愚痴は出て来ない。「忙しいけどやりがいはある」なんて言葉を聞くに至り、このまま一緒に過ごす時間が減ったらどうしよう……と、焦ったらしい。  思い悩んだ末に、奴はある行動に出ることにした。  それが『彼女ができた』と嘘を付くことだった。 「なんでそんな馬鹿げた嘘付こうと思ったんだよ」 「俺に彼女ができて一緒に遊ぶ時間が減ったら、悲しんでくれるかなって思って」 「お前、バカだろ」 「俺もそう思う……」  とにもかくにも、こいつは俺を嫉妬させたくて、彼女ができたなんて嘘の情報を伝えてきたらしい。それに対する俺の返事が「おめでとう」だったものだから、奴は酷く落ち込んでしまったのだとか。大馬鹿者にも程がある。  しかも奴の苦難(?)は続く。  俺が祝福してしまった手前、あれは嘘だったと言い出せなくなってしまい、結果俺と土日を共に過ごす機会が格段に減ってしまったのだ。  毎週土日を俺と過ごしていたら、いくら俺だって変だと思うからな。 「お前に疑われて、嘘付いたってバレるのが怖かった……」  そうして一年が過ぎたのだが、俺の態度は相変わらずで。  しかも一緒に飲んでるときも「俺なんかより彼女を優先させてやれよ」なんて言われ続けて、苛立ちと悲しさとやるせなさが募った奴は、今日も俺の口から「俺なんかより」と出た瞬間、ついポロッと口走ってしまったらしい。 「大丈夫。その、彼女とさ、結婚、しようと思ってるから」  ……と。 「本当はあんなこと言うつもりなんて、全然なかったんだよ。言った直後に焦って変なことばっか口走るし。頭の中はパニックで死にそうだったよ。なのにお前は祝福するし、友人代表スピーチもするなんて言い出すし。もう絶望しかなかった」  ふぅ……と大きく息を吐いたが、ため息つきたいのはこっちの方だ! 「それで一回別れたけど、でもこの嘘は突き通すことはできないし、今までのことも全部ちゃんと謝ろうと思って追いかけたら」  俺の呟きが聞こえた……と言うことだった。 「信用できねぇ」 「なんでだよ」 「だってお前の話を総合すると、俺にずっと嘘付き続けて来たってことじゃねーか」  奴はグッと息を飲んだ。 「でも……お前のことが好きだってのは、信じて欲しい」 「って言われてもなぁ……」  俺を前にすると何も言えなくなり、思ってもいなかった事ばかりが勝手に口をつく?  こいつのくだらない嘘で、俺がどれほど傷付いて悩んだことか。  腹が立って仕方ない。  欲しい言葉も与えてもらえず、嘘をつかれ続けた俺の身にもなってみろってんだ。    だが同時に、なぜだかとてつもなく愛おしいと感じてしまった。  なんでも器用にソツなくこなす男が、俺の前では不器用で愚かな真似を繰り返すことしかできない。  こんな男の姿を見られるのは、きっと俺だけだろう。  目の前で、気まずさに顔を顰める男。  俺だけが、こいつにそんな顔をさせられるんだ。  そう考えただけで気分が高揚する。 「とりあえず、今までのことを許すわけにはいかない」 「……だよなぁ」 「もしお前が今までのような関係を続けたいのであれば、今後は嘘なしで全力でぶつかってこい」 「それって!」  目を見開いて、なおも言葉を続けようとする男のネクタイをグイッと引き寄せ、強引に唇を奪う。  無理やり舌をねじ込むと、微かにウイスキーの味がした。  後頭部を押さえて、口内を好き勝手に散々貪る。ようやく気が済んで口を離したのだが、奴は目を見開いたまま呆然と立ちすくむばかりだった。 「いいか、期限は一年。お前が俺に嘘をつき続けたのと同じ期間だ。その間に俺の信用を取り戻せない場合は」 「……場合は?」 「俺は彼女を見つけて一年後に結婚する。披露宴ではお前に友人代表スピーチをさせるから。覚悟しろよ」  ニヤリと笑ってそう告げる。 「絶対に信用を取り戻す! そしたらまた……キス……」 「したいなら、せいぜい頑張ることだな」  そう言い残して俺はその場を後にした。  一瞬遅れて背後から「うぉぉ!!」と雄叫びが上がる。  それにクスリと笑いながら、なおも歩き続けた。  きっとあいつのことだから、これからの一年は必死になることだろう。  そして俺はと言うと、一年経たずにあいつを許す予感がしている。いや、むしろ確信に近い。  けれど敢えて、これからの一年は絶対許さないポーズを取り続けようと思う。そうしなければ腹の虫が治まらないのも、たしかなのだ。 ――これくらいの罰、きっと許されるよな?  後ろからバタバタと姦しい音が聞こえる。きっとあいつの足音だ。  その音を耳にしながら俺は、俺たちの新しい未来について、思いを馳せたのだった。 

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