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第8話

「あ。目ぇ覚めましたか」  ソファに仰向けに横たわった筧が、ゆっくりと目を開けた。  ふわふわと宙を舞う視線。ようやく焦点が定まり、君島の顔を見て一瞬不思議そうな顔をした。 「……あ、れ? 俺……」  「すいません。さすがに、調子乗りました」  そう素直に謝ったのは、自分が強引に続けた浴室での行為で、筧がのぼせ気を失ってしまったせいだ。  付き合いとはいえ、外である程度の量の酒を飲んだあとだ。アルコールがまわった身体にあんな無理をさせたのだから無理もない。  筧が辺りを見渡し、ようやく状況を察知したらしく大きく息を吐いた。 「君島。水……」  筧の言葉に君島は弾かれたように慌てて立ち上がると、冷蔵庫から冷えたペットボトルを取り出し筧に手渡した。 「頭、超痛てぇんだけど」 「すいません」 「おまえ、ほんと無茶苦茶すんな」  確かにやり過ぎたと反省している。  自分はもう少し理性的であると思っていたのだが、この男にかかるとそのタガはいとも簡単に外れてしまうらしい。──とついさっき自覚したところだ。 「さすがに慌てました。筧さん、倒れちゃうんで」  君島が、筧が横たわっているソファの頭側の端にそっと座ると、筧が寝転んだまま少し頭を上げて君島の腿を枕代わりにした。いわゆる膝枕の状態だが、これはこれで君島にとって悪くないシチュエーションであるため黙ってそのままされておくことにした。  膝の上の筧の頭の重みが、なんだかとても心地いい。 「おかげで、頭まだガンガンしてるわ」 「すいません」  無理をさせてさすがに申し訳ないという気持ちから、君島が少し遠慮がちに筧の髪を撫でると、筧が俺を見上げて笑った。  まだ生乾きの筧の短い髪が腿をくすぐるのがこそばゆく、それでいて筧が安心しきった様子で自分に体重を預けていることに自然と口元が緩む。 「おまえさー、もうちょいクールキャラじゃなかったっけ? 俺の中でおまえのイメージの崩壊が進んでくんだけども」 「知りませんよ。俺も、自分で戸惑ってるくらいですから」  そう返事をすると、筧がゆっくりとこちらに手を伸ばして君島の頬をぺチぺチと叩いた。  眼鏡のないせいで、少し細められた目元の皺。その皺でさえ、自分以外の誰にも見られないように閉じ込めてしまいたいなどと思う思考に君島自身も何度辟易していることか。 「ほんと、アホな。俺のことになると。……そんな俺が好きかよ?」 「好きですよ。自分でも引くくらいに」 「ははっ。自分で引くのか」 「ああ。引きますよ、ドン引きです」  本当、どうしてこうなったのか。どうしてこの男相手には、こうなってしまうのか。  自分でも不思議としかいいようがない。 「なぁ、君島」 「はい」 「どっちかっていうと自信家のおまえが、どうしてそうなんだよ? もちっと堂々としてたらどうだよ? 一般的に見ればな、イイ男レベルは俺なんかよりおまえのほうが何十倍も高いんだぞ? そんな色男が俺なんかに嫉妬して暴走すんなっての」  筧が笑いながら君島の頬をむにむにと引っ張った。 「自信ないすもん。正直」 「は?」 「付き合うのだって、俺が半ば強引に押してどうにか付き合って貰ったみたいなもんだし。俺は、本来アンタが好きなカワイイ系の男でもないし、タチだったアンタにはそっち方面でもいろいろと無理強いしてるわけだし」  他の事だったなら何だって堂々としていられる。  誰に何と思われようと平気であるし、仕事に関しては誰にも恥じない努力はしていると自負している。  けれど、こと筧に関して自信が持てずにいるのは、自分が筧に強いていることが多過ぎるからだ。  もしかしたら、筧はそれを苦にしているかもしれない。今はよくても、いずれそれが原因で別れがやってくるかもしれない。そう考えると、不安で仕方ないなどと言ったら笑われるだろうか。 「ほんと、アホだな、おまえ」  筧が君島を見上げて呆れたように、でも楽しそうに笑った。 「そこは調子乗れよ……本来得意だろ? だいたい、俺が好きでもない奴とそれこそ社内公認で付き合ったりするかよ。おまえは正直何に関してもイケメン過ぎてたまにムカつくが、こんななりして案外カワイイとこあんのも知ってるしな」  そう言った筧が何かを思い出したように君島を見つめた。 「そりゃ、俺だってたまにはおまえ抱く側にまわってみてぇなーとも思うけど。おまえにされんのも悪くないし、新しい扉開けたっつーか、オイシイ思いしてる部分もあんだよ」 「……」 「──つまり、無理しておまえと付き合ってるわけじゃないんだよ。俺も、好きでおまえの傍にいんだから、そこはもうちょっと図々しいくらい自信持ってもイイと思うぞ?」  本当にそうなのだろうか。  確かにこの男は、器用に嘘をつけるような男ではない。それでも、自分の強引さに押し流されて、後に引けなくなっているだけなのではないのか。 「どうしたら、信じるんだよ?」  筧がまるで子供をあやす様な優し気な声で訊ねる。  まぁた、そういう違う顔出してきやがって!  と嬉しいような、照れくさいような感情を持て余しつつも、ずっと心に引っ掛かっていた言葉が、喉に競りあがってくる。  自分には到底縁のなかった女々しすぎる言葉を口にするのを一瞬躊躇うも、ここまで来て体裁を気にするのもバカバカしい気になった。 「俺、アンタに好きだとか言われたこと一度もないんですけど」  君島が少しふてくされ気味に言葉を発すると、筧がこちらを見上げて眉を寄せた。 「は……⁉」 「や。“は⁉” じゃなくて」 「何だ、その乙女チックな発言は」 「チッ、煩いな。自分でもキモイって思ってますよ」 「言ったことなかったっけ?」 「俺の超優能な脳内メモリーには残ってません」 「はは。マジか」 「笑いごとじゃないんですけど」  付き合い始めてそろそろ一年。その間、一度もそういう事を言われたことがないのは、相手の想いに自信が持てない理由にはならないか? 「結構頻繁に囁いちゃいるんだけどなー」  筧が笑いながら言った。 「何をですか」 「だから、好きだっつって。おまえの寝顔に」 「──はぁっ!?」  今度はこちらが驚く番だ。ていうか、寝顔に、とか何だよ。  そんな筧の姿を想像して、心の中で何かが悶えまくる。  ──それはそれで、くっそ、可愛いじゃねぇかよ! 「おまえ、意外に照れ屋だから、言われんの嫌なのかと思ってこっそりな」 「何すか、それ! 勝手に決めつけないでくださいよ! 面と向かって言われたいに決まってんでしょ! そっちこそアホなんすか!」  好きな男に、好きだと言われたい。  極めてシンプルかつ、真っ当な要望。 「──そういう 顔面(つら)と中身のギャップも意外にグッとくるしな」 「グッとくるだけすか?」 「グッとくるだけじゃ不満かよ?」  筧がニヤと笑った。  ああもう。結局、言う気はないのだ。掌の上で俺を転がして余裕顔で。  ほんっっっっとに! ムカつく!!  けれど、それでも好きなのだ。この男が。 「俺ばっか、好き好き言ってる気が」 「んなことないだろ。俺だって思っちゃいるし、たぶんこれからもっと好きになってくんだろうと思う」  そう言った筧が、依然膝枕状態の仰向けの姿勢をを急にうつ伏せに変え、君島の下腹部の辺りにそっと顔をうずめた。 「──!」  筧の熱い息が布越しではあるが、君島の敏感な部分に掛かる。 「ちょ、筧さん? 何してんすか?」 「おまえの、喜びそうなこと」  そう答えた筧の声と掛かる息の熱さに、君島の身体がビクと震えた。 「……ちょ、っ」  筧が君島の部屋着のスウェットの上から、下腹部を刺激する。  最初は口の先でちょっかいを掛けるように、そのうち部屋着越しの俺を()むように。  ゆっくりゆっくり、何度も何度もやわやわとした刺激を与えられ、否が応にも身体の熱が次第にそこに集まってくる。  筧が部屋着に指を引っ掛け、今度は下着の上から君島の熱くなった部分に唇を寄せる。すんすんと鼻を鳴らし、熱い息をかけ、先程と同じように君島のそれを食む。部屋着に比べ薄い下着の上からの刺激は今までの刺激に比べるとより生々しい。 「筧さん、そんなことすると……」 「不満か? 伝わんだろ? 愛が」 「不満なわけないでしょ。つか、嬉しいですけども、……っあ」  高まりつつある興奮を抑えるのが困難になる。 「また、そういう気に──」 「なりゃいいだろ? おまえ、今夜俺を抱き潰すつもりだったんだろが。元はと言えば、俺がおまえ不安にさせたのが悪いんだろ? 責任とってやるっつってんの」  ああ、くそ。  こういう妙に男らしいとこも、俺をいちいちグッとさせるんだよ!  筧が少し身体を起こし、ソファに肘を付くように体制を変えた。下から君島を見上げ、ニヤリと笑うその目は、見たこともないほど雄の目をしている。  ああ、こんな顔もするんだ、とまた新たな一面に新鮮味を感じた。  筧が俺の下着に手を掛け、ズルと引き下げた。そしてそのまま直に唇を寄せ軽くキスをしたあと、硬くなったそこを舌で一気に舐め上げる。 「──っ」  筧の熱い舌の感触に、身体がゾクゾクと震えた。 「も、ヤバ……い、んすけど」  声を漏らすと、筧が再び君島を見上げた。 「いいか、よく聞けよ? こんなんできんのも。相手がおまえだからなんだよ」 「……ん、っ、ふ」 「イケメンらしく、生意気に自惚れとけや」 「───っ、つ、あ」  堪えきれず高まったものを全て吐き出すと、筧がそれをすべて舐め取り、満足そうに手の甲で口の端を拭った。  その表情がまた何とも言えず雄々しく映り、ますます惚れ直さずにいられないのが悔しい事この上ない──と、結局、負けを認めずにはいられなくなる。 「──くっそ好きですよ! あんたのことが」  言わずにはいられない。  こんなにも自分の中から溢れそうなほどに湧きあがる感情があったのかと。  溢れて溢れて、伝えずには、触れずにはいられない。 「……参るな、おまえには」 「何がですか」 「クソ生意気かと思えば、意外に従順で」 「俺もこんな自分初めて知りましたから」 「ははっ。可愛くてしかたねぇよ、ホント」  筧の優し気な目が細められる。愛おしそうに自分を見つめるその目に胸が痛くなる。 「ちゃんと、好きだからな」  ──ああ、だめだ。くっそ、ムカつく! 「それ、もう百回くらい聞きたいっす」 「欲張るなぁ」 「自惚れていいって言ったのアンタでしょ。つか、今度はちゃんとベッドで抱きたいんすけど。アンタがいいなら、マジ朝まで抱き潰しますよ」 「──望むところだ」  結局、俺のどんな我儘も、笑って受け止めて、甘やかしてくれる。  他の誰が何と言おうと、自分にとっては誰より男らしくて、誰よりカッコよく眩しく映るんだ、この男が。 「死ぬまで、アンタ離しませんから」 「はは。なんだ、それ。プロポーズか?」 「そう取ってくれても構いませんよ」  酷い執着だ。好きで好きで好きで。  日々、その愛しさに溺れまくる自分が、人生史上未知過ぎてまいる──。 -end-

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