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運命よりも脆く、細い糸
気が付くと、俺は自宅に帰ってきていた。
授業は、結局でたんだっけ…学生証、船津に渡せばよかったな…
家に、どうやって帰ってきた…?同棲をするのに、大学近くの物件を選んで良かった…
思考が上手く働かない。霧がかかったように、脳みそも視界もぼやけている。
はぁ…と、肺からでる熱い溜息をつくと、途端に力が抜け、膝が笑っているようだ。
アキさんと番になってから、発情期がしっかりくるようになったけれど、番がいるΩはフェロモンで他のαを誘惑することはない。だから、発情期がきても、俺は大して気にすることなく、生活を送っていたというのに…。番っていないαの船津が、俺の匂いに反応した…?
足をなんとかして動かし、寝室へと向かう。ベッドにそのままダイブすると、アキさんと二人で決めたベッドが俺の身体を受け止めてくれる。
枕に顔を埋めると、どうやらアキさんの枕だったようで、番の匂いが脳を溶かす。
その枕をそのまま抱きしめて、寝室のクローゼットへ向かう。
身体が軽い。さっきとはまるで違う。霞む脳に、冷たい空気が流れ込んできたようだ。頭が冴えて、一つの目的のみが頭を支配する。
アキさん用のタンスを下から開けていき、中身を全部ひっくり返すように出していった。
鼻を、衣服に埋めて匂いを嗅ぐ。は~~~落ち着く…。でも、足りねえな…。
ひっぱりだした洋服をすべてベッドに投げて、その足で脱衣所へと向かう。洗濯かごをひっくり返した。あ、アキさん今日朝洗濯モノするの、忘れてるな。この曜日は、俺が一限からであの人が二限からだから、朝の洗濯はアキさんの係なのに…。
ひっくり返した洗濯モノから、アキさんの洋服を漁る。あ、パンツ。
持てる限りの彼の衣服を抱えてベッドにまた運ぶ。彼が最近お気に入りのシャツを枕に着せる。彼のパンツを近くに置いて、後は匂いが強い順に内側に並べていく。
首筋の証を確認することなく、ベッドに沈んだ。
***
ひっついてくるΩを引き剥がし、急いで家に帰ってきた。
さすが、「運命」とやら。匂いで強制的に俺の脳みそを麻痺させる。それでも、俺の立派な息子が元気になることはなく、それより他のαと一緒にいるサクが気になってしょうがなかったのだ。
様子を遠くから見ていると、突然彼の匂いが教室中に広がった。いや、正確には隣にいる優秀なαには感づかれてしまうくらいの、発情。
今朝彼が具合悪そうだったのは、このためか。歯ぎしりが止まらない。なにが番だ。パートナーの体調も把握できずに。…ちょっと待て、番ではないαが、彼の匂いに気付く…?それは、ありえないというのに。
心臓が悪魔に掴まれたような心地になり、急いで教室からでていくサクを追って俺も教室を飛び出した。
しかし、彼の姿は大学構内には見当たらず、家に帰ったのかと急いで玄関のカギを開ける。
「サク…?」
電気もついておらず、静まり返った部屋に問いかける。脱ぎ散らかしたサクの靴はあるので、いるのだろうが几帳面なところがある彼としてはめずらしい。
後ろ手で鍵を閉め、自分の靴と彼の靴を揃えて部屋に入る。途中で脱衣所から洋服が散らばっており、それを回収しつつ寝室へ向かう。
(…んだ、よ…この、可愛い生き物は…!)
優秀なはずの脳みそが、IQ3まで下がった瞬間だった。
長い手足を折りたたみ、俺のシャツを着せた枕に抱き着いて眠るサク。俺の洋服に囲まれて、すやすやと眠る姿が普段αだと思われているほどに凛とした彼の姿とギャップがありすぎる。
愛しさが溢れ、発情しているのであろう身体に触れるためにベッドにそっと乗り込む。彼の頬にそっと触れ、やはり自分の番はサクなのだ、という安心とともに大学での彼の瞳を思い出す。こちらをちらりと見た彼の目は、悲しみの色を帯びていた。少し長い栗色の前髪から覗くその色に、俺は後悔を募らせる。いっそのこと、この運命を殺してしまえば、楽になるだろうか、その思考も己にある欠片程の倫理観がストッパーになる。
彼の髪をそっと撫で、額に口づける。あぁ、サク。早く起きてくれ。
そのままなぞったうなじに違和感を覚える。
首筋から、冷たい汗が一筋、流れた。
噛み跡が…薄くなっている…
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