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さよならバームクーヘン
そもそもこの場に俺を招くこと自体、酷い話だと思う。淀みなく語られる新郎新婦の紹介文句に、ケッと顔を顰める。はらりと落ちてきた前髪を苛立ちまぎれに後ろに撫でつけると、会場の隅に控えていたスタッフらしき人と目が合った。ふわ、と目元が細められる。端麗な笑みに、俺はぎこちない笑いを返した。
俺もあれだけ容姿が整っていたら、捨てられた挙句結婚式に参列させられるなんて惨めな思いはしなかったのだろうか。八つ当たりじみた考えに、ハァと溜息を漏らす。溜息が思っていたより大きかったのか。隣に立つ同僚から肘で小突かれる。軽く頭を下げ、せめて聞くフリだけはしておこうと司会の方に向き直る。
「お二人の出会いは学生時代から始まりました。お互い共通の趣味であるゲームを通し――」
二人の紹介はいつの間にか馴れ初めへと移ったらしい。照れたように目を伏せる新婦と、その横でいたずらっぽく頬を緩める新郎。学生時代ってなんだよ。俺よりも長い付き合いじゃんか。浮気だ浮気だと思っていたが、案外俺の方が浮気相手だったのかもしれない。笑えない想像に口元が引き攣る。いかん。祝いの席なのに微塵も祝福する気が起きない。
「そんな二人が本日っ、結婚されます! 皆さま、盛大な拍手をお願いします!」
会場のあちらこちらにセットされたスピーカーから聞き覚えのあるメロディーが流れだす。司会の言葉に促され、オーディエンスは両手を打つ。音楽の盛り上がりに合わせるように、拍手は次第に数を増していく。沸き立つような祝福の波に、お粗末な俺の拍手が入り混じり、掻き消される。この場で俺だけが異物だ。他の誰でもない、あいつもそれを知っている筈なのに。俺はなぜここにいるのだろう。
◇
新郎、塩永 八 は俺の恋人だった。別れたのはつい一ヶ月ほど前の話だ。会社の同じ部署所属。部署内の空気が疲労で淀んでいる時、冗談を言って和ませるようなムードメーカー。顔が好みというのもあったが、皆を笑わせようとするその姿勢に、気が付いたら心を奪われていた。俺はゲイで、相手はノンケ。しかも同じ会社の同僚ときた。報われない恋だと、胸の奥に仕舞いこんだんだ。今にして思えば、そのまま忘れてしまえばよかったのだ。
忘年会。酒に弱いくせに勧められるまま飲んだ俺は、塩永に介抱されることになった。自宅の場所が分からないからと、家に上げられた頃には、すっかり出来上がっていたらしい。想い人の家に上がり込んだことなど記憶の彼方。すっかり自分の家に帰ったつもりになって寛いだ。当の家主がさっさと風呂に行ってしまったのもよくなかった。俺は、いつもと違う“自分の部屋”が、塩永の匂いを纏っていることに興奮して――。
「……尻って気持ちいの?」
唐突な問いに、ハッと顔を上げる。タオルを濡れた頭に被せ、こちらをじっと見つめる塩永は、職場で目にするような柔い雰囲気をかなぐり捨てていた。カチ、カチ、と時計の時を刻む音に、そういえば自分の家の時計はデジタルだったなと思い出す。酒気の抜ける音が聞こえた気がした。弁解をしようと考えを巡らせるも、指は尻穴に入っている。どう考えても詰んでいる。
「そ、そうっ! 最近ちょっと興味出てきて試してみたら~的な?」
ヤケクソ気味にハハッと笑い答える。塩永はへぇと薄いリアクションを返す。感情の読めない瞳に、何を考えているのかと身構える。あとさぁ。塩永が言う。
「臼居 、お前俺のこと好きなの?」
行為中に俺の名前呼ぶなんてさ。
頭の中が真っ白になる。待て待て待て言ったっけ、言ったかもしれないどうしよう、嫌われた? どうしようどうしよう、気持ち悪いよな、なんで俺は、最低だ、もうきっと、
パニックで、気が付かなかった。昂ぶりの持ち上げられる感覚に我に返る。塩永が、俺の熱の先を摘まんでいた。
「すっげ、とろとろ」
「なっ……!?」
信じがたい光景に、硬直する。塩永は俺の反応を意に介さず、ふぅんと興味深そうに頷いた。
「こんな先走りで濡れてるのに半勃ちなのな。ケツだけじゃこれが限界?」
後孔に指二本を仕舞いこんだ尻の表面を、塩永の指がすぅっと走る。
動かしてみてよ。
手に手を重ね、無造作に動かされる。自分の指なのにいつもとは違う動き。自慰にもかかわらずセックスを連想させるぎこちなさに、俺はあっさりと達した。
「うわ、エロ。乳首も起ってるし」
きゅ、と摘ままれ、喉奥から高い声が漏れる。悲鳴にも似た喘ぎ声に、塩永は一瞬呆気にとられた顔をする。ありだな、という呟きを皮切りに、塩永はズボンの前を寛げる。現れた屹立に、びくりと身を縮ませた。
「えっ」
「いいだろ?」
悪くは、ない。悪くはないが、あまりの生々しさに臆してしまう自分がいるのも確かだ。塩永は聞きはしたものの返事は待っていなかったようで、溝に屹立を埋めこんだ。
「~~~~~~ッ、」
一気に貫かれ、息が詰まる。塩永は俺の様子を気にかけることなく腰を動かし続ける。自分の快感をひたすら追っているようだった。あー、と吐息混じりに唸り、俺の腰を引き寄せる。前立腺を掠める快感に、背筋が反る。手が伸び、乳首を引っ張られる。胸を寄せ、揉まれる。
「男のくせに」
瞳をギラつかせ、塩永は突起を口に含む。ちゅう、と吸い付き弾くようにポンと口を離す。立てられたわざとらしい音に羞恥心を煽られる。遠慮なく振られる腰が尻骨に当たり、ガツガツと音がなる。尻たぶが熱い。
「クッ、」
前屈みになった体が俺にのしかかる。深く挿し込むように角度を変えた屹立に体が震える。快感に反った喉がハク、と空気を求め喘ぐ。暫くじっとしていた塩永は、快感の波が去ったのかはぁと溜息を落とす。付き合う? ついでのように落とされた言葉に、思わず固まる。
「何言って」
「だってお前俺のこと好きじゃん? 俺も案外お前いけそうだし。どう?」
「え、いや、え?」
そりゃ好きだ。好きだからこんなおかしな事態になっている訳だし。塩永は聞いたくせに答えを待つ気はないらしく、じゃあ決まりなと強引に結論づける。混乱しつつも徐々ににやけはじめる顔を押し殺し、こくりと頷く。ノンケと付き合える訳がない。打ち明けるつもりもなかった。そんな恋心の成就の兆しに、食いつかない方がおかしいだろう。
「さすがにあんな振り方する奴だって分かってたらこっちだってなぁ……!」
ワイングラスを置く。おい、とかけられた注意に、恨み言が声に出ていたと気付く。酒弱いんだから、と苦笑する同僚。すまんと謝り、小さくなる。一刻も早く帰りたかった。情けないし、つらいし、惨めだ。同僚に迷惑をかけるのも申し訳ない。フッたくせになんで呼ぶんだよ。わめき散らしたいが、その実理由は分かっている。端から見たら俺と塩永は仲のいい友人同士でしかなかったからだ。社内の誰もが、塩永は結婚式に俺を呼ぶと思っていた。そして俺も、塩永の結婚を快く祝福するのだと。
塩永八は、外面のいい男だ。外の人間には愛想よく接し、場を盛り上げる。そんなところに惹かれたのだが、どうやら塩永は身内に対してその性質を発揮しないらしい。臼井君を呼ぶんでしょ? と聞かれ、調子のいい返事をした塩永は、当然のごとく俺を招待した、という訳だ。断ろうにも、周りはすでにお祭り状態。俺の返事など聞きもしない。クソヤロウと罵りたい気分だった。
再び恨み言がこぼれそうになった時、トントンと事務的なリズムで肩が叩かれる。横を見ると、先程のスタッフが控えている。
「臼井様。お時間です」
「あ、はい」
すっかり忘れていた。というのも、ただ挨拶をするだけでは面白くないと言う周囲に流され、俺はコスプレをして祝辞を述べることになったのである。式場側も、コスプレをなさる時間に更衣室にご案内しますね、と協力的で、外堀を埋められるとはこのことかといった所感だ。周囲のお祝いムードと悪乗りが暴走したこの結果に、何度すっぽかしてやろうと考えたことか。この結婚式が終わったら絶対転職しよう。憂鬱な気分で立ち上がり、スタッフについていく。この人も男のコスプレのために仕事を増やされるなんて、相当運が悪いのだろう。そう思うと、先程整った顔面に嫉妬したことが申し訳なくさえ思えてくる。
「あの……、なんか、すみません」
謝る俺に、スタッフは足を止めこちらを振り返る。腰に付けたナプキンに、ONISHIMAと刺繍されているのが見えた。このイケメンの名前だろうか。変わった名前だ。
「何が、でしょうか」
「や、あのぅ……、わざわざ案内をしてもらっちゃって……」
まさかコスプレのためにしょうもない仕事を増やして、と馬鹿正直に言える筈もなく、口ごもりながら誤魔化しにかかる。微妙そうな空気を出した彼は、とんでもございません、と微笑み、案内を再開した。中途半端に声をかけたことで、先程よりも沈黙が辛く感じる。苦し紛れに出たのは、彼の名前に関する話題だった。
「鬼島 さんっておっしゃるんですね」
「えっ、」
驚いたように俺の顔を見た鬼島さんは、自分のナプキンを見てああと頷く。
「そうです。あんまり聞かないですよね」
「ええ、初めて伺いました」
「珍しいといえば、ご新郎の方のお名前もそうですよね」
予想外の角度から振られた塩永の話題に、咄嗟に反応しかねる。そうですね、と曖昧な返事をすると、何かを察した鬼島さんは今日の料理のメニューについて話し出した。話に相槌を打っている間に、鬼島さんは足を止める。更衣室に着いたのだ。
「それでは、私はここで控えておりますので。何かありましたらお呼びください」
「あ、はい。あの、ありがとう、ございます」
いえいえと笑う鬼島さんにぺこりと頭を下げ、更衣室に入る。大きな鏡と、社内の誰かが用意した紙袋。中にはコスプレの衣装が入っている。鏡に映る自分の顔に、俺もイケメンだったらなぁと内心ぼやく。いや、駄目か。振られた時の言葉を思い出す。ああもう最悪だ。苛立ち紛れに袋を開ける。中に入った衣装に、今度ばかりは声が出た。
「最悪だ……」
◇
「本当にすみません……。着替えの手伝いまでして頂いて……」
項垂れる俺に首を振り、鬼島さんは背中のファスナーを上げてくれる。
「いえ、役得でした」
「変なこと言いますね。こんな似合ってもない……、気持ち悪いでしょう」
言ってて凹む。俺に当てられたのは黒レザーのバニーガールの衣装だった。見た瞬間同僚に連絡した。どう考えても間違いだと思ったのだが、返信によると衣装に間違いはないらしい。女装なんだが、と送るとそれくらい振り切ったものじゃないと笑えないとかなんとか。新郎新婦の好きなゲームのキャラクターだからとのことだったが、俺からするとただのバニーだ。ご丁寧に編み上げタイツまで着いてる。嫌がらせのクオリティがえげつない。なんだこの露出度。
不満に思いながら衣装を着る。身につけたところで気付く。しまった。背中のファスナー、一人で上げられない。困った俺は、廊下で待機してくれていた鬼島さんに声をかけたという訳だ。本当に申し訳ない。前世で何をしたら男にバニーを着せる手伝いをする羽目になるのだろう。気の毒だし目の毒だ。体を小さくすると、鬼島さんはがっと俺の肩を掴む。
「いえっ!」
大きな声で反論した鬼島さんは、しまったという表情で硬直する。気まずそうに目を逸らし、ぽつり。
「俺は、似合ってると思います」
俺、という一人称に彼の素が見えた気がして。バニーが似合ってるなんて嬉しくもない言葉に、少し照れる。逃がした視線の先には、かぱりと胸から浮いた布。両手で押さえフィットさせようと試みるも、何せ中身がないだけにうまくいかない。俺の試行錯誤に、鬼島さんは詰め物をしましょうかと提案する。女装が本格的になるのは嫌だが、衣装が浮くより幾分かマシだ。ブライダルって、そういうのも置いてあるんだな。あの新婦の胸も実は詰め物だったりして。だとしても、男の俺より胸はでかいか。下世話な想像に自分でツッコミを入れる。思っている以上に振られ際の言葉を気にしているらしい。乾いた笑いをこぼし、せっせと胸元にパットを仕込む。すっかりらしくなった胸に、眉根が寄った。
「少しずれてますね」
失礼、という一言の後、鬼島さんが胸に手を入れる。指先が肌を掠める。どくん、と高鳴る鼓動。自分がこの状況に緊張しているのだとバレるのではないか。そんな思いから思わず息を殺す。
「はい、できましたよ」
手が胸から離れる。直されたパットに、入れ方が悪かったのだと気付いた。妙に意識してしまった自分が恥ずかしくて、すみませんと謝る。いえ、と少し不思議そうに微笑んだ鬼島さんは、俺に向かって腕を差し出した。
「では、臼井様。参りましょうか」
さながら執事のような紳士ぶりに、へにゃりと眉が垂れる。……こういうのに弱いんだよな。自覚はしているものの、手はすでに鬼島さんの腕の上。クスリと笑んだ鬼島さんは、更衣室のドアを開けた。
◇
祝辞を述べ終わり、さっさと着替えようと壁際に立つ鬼島さんを見やる。俺の視線に気付いた鬼島さんは、心得たとこちらに頷く。ああよかった。これで解放される。ほっと頬を緩め、退場しようと足を、
「臼井」
聞き慣れた声に振り返る。塩永だ。シャンパングラスを片手に歩み寄る主役に喉が強張る。よくいけしゃあしゃあと声がかけられたものだな。ふてぶてしさにいっそ感心すらしてしまいそうだ。逃げ腰気味の俺に構うことなく、塩永はずんずんと歩を進め、俺の前へとやってくる。どうしよう、と視線を彷徨わせるも、新しく運ばれてきた料理に夢中で誰もこちらを見ていなかった。
「へぇ」
塩永は面白がるように俺の胸を触る。
「パット入れてんだ? 俺の奥さんに対抗心でも出しちゃった?」
「誰がッ」
怒りに任せ手を払う。塩永は表情を変えることなく俺の手首を掴んだ。動きを止められ無性に焦る。
「臼井お前、かわいいね。あんな酷く振られたのにまだ俺が好きなの?」
好きな訳がない。そう言いたいのに、塩永は答える間もなく俺の耳に舌を挿し込む。ぞくりと走る快感に、口元を押さえる。こんなところで、こんなことをされているなんてバレたくない。
さわり。
塩永の手が胸をまさぐった。
「臼井、俺と付き合う?」
「は?」
「アイジン」
何を言われているか理解できなかった。ぴしりと固まる俺に、塩永はにこりと笑う。決まりな。いつも通りの勝手な言葉を遮ったのは、一人の声。
「塩永様、お色直しの時間になりますので、奥様の隣にお戻りください」
鬼島さん。さすがに様子がおかしいから来てくれたんだ。
「あぁ、ありがとうございます」
突然の外野の登場に鼻白んだのか、塩永は不格好な返事をする。じゃあ二次会で。逃げるように席に戻った塩永を、ぼんやりと見送る。あまりにショックで、何をどうしたらよいか分からない。
「臼井様」
かけられた声に、ノロノロと顔を上げる。ごちゃごちゃといろんな思考が頭を巡る。なんだか泣き出しそうな気分だった。
「着替えましょうか」
ね、と俺の頭を撫でる鬼島さんに、こくりと頷く。俺が壁際を歩くようエスコートする鬼島さんに気付く。逃げ場を作ってくれたのだ。今だって壁際を歩いているのは、周囲から俺の情けない表情を隠すためだろう。すみません、と謝ると、鬼島さんは困ったようにどういたしましてと笑った。
◇
「新郎の塩永は、俺と付き合ってたんです」
着替えながら先程の事態に至った経緯を話す。つい一ヶ月前に振られたんですけど、と付け足すと、鬼島さんはひっそりと顔を顰める。
「……一ヶ月前、ですか」
問い返し、自分の声色に気付いたのだろう。すみません、と鬼島さんは頭を下げた。
「いえ、いいんです。なかなかの急展開でしたから。別れる時、あいつなんて言ったと思います?」
「……分かりかねます」
思い出し、笑う。
「だってお前おっぱいねぇじゃんって」
声は自嘲の色を纏っていた。
「新婦の見ると、あいつが何見て選んだか一目瞭然ですよ」
ギャグみたいな振られ方をしたのに、こんなにも虚しいのは振られた本人だからか。バニーの耳を落とす。カチューシャの床に当たる音。続けて手袋を取ろうと手をかける。
「まだ、お好きなんですか」
かけられた声に、一瞬手を止める。んー? と考えながらしゅるりと手袋を脱ぎ去る。さわり、腕を撫でる空気が心地よかった。
「分からないです」
曖昧な答えだが、これが正直な思いだった。
「さっき、愛人になれって言われてたんです」
「はぁ?」
「意味が分からないですよね」
低い声で唸った鬼島さんに、そりゃ引くよなぁと苦笑する。コメカミに血管を浮かばせた鬼島さんに、彼は自分の職に誇りを持っているのだと感じた。新郎新婦のために働いているのに、その新郎が不誠実な男だと分かって気分のよい筈はない。絡まれているところを見られたとはいえ、事情を話しすぎたか。悩む俺に、鬼島さんは歩を進める。お手伝いしますという言葉に、背中のファスナーを下げようとしてくれているのだと気付く。大人しく背後を預けると、チチチという音の後、背中が布から解放された。そのまま離れるかと思われた鬼島さんの手は、予想に反し体の前へと回ってくる。俺を引き寄せるようにして後ろから抱きしめた彼は、そっと肩に頭を埋める。
「俺なら、あなたを傷つけません」
「え、」
「俺にしませんか」
耳朶をくすぐる甘い呟きに頭が混乱する。え、やあ、といった意味をなさない声を上げる俺に、鬼島さんはクスリと笑う。緩んだ唇が肩を柔く掠めた。
「……手伝いは終わりましたので、外でお待ちしますね」
では、と鬼島さんは更衣室から出て行く。は、と息をし、へたり込む。壁にもたれかかり視線を落とす。
「反則だろ……」
◇
二次会に行こうと出て行く同僚たち。引き出物の入った紙袋を手に持ち、立ち上がる。テーブルの上に置かれたメッセージカードをそのままに、俺は式場から出て行った。出席者全員に新郎新婦が書いたものらしいが、あいつからメッセージをもらったところで邪魔なだけだ。
外へ行くと、式の出席者がわいわいと談笑している。着替えの終わった新郎新婦が出てくると、まばらな拍手とともに二人は友人に囲まれた。こちらに気付いた塩永は、片手を上げ友人を躱し、近づいてくる。
「お待たせ」
「……待ってない」
じゃ、行こうか。二次会へと背を押す塩永。
パシ。
その手を払った人物に、思わず目を見開く。
「鬼島さん?」
「……メッセージカードをお忘れですよ」
余裕のない表情。走ったのか、少し乱れた髪。はらりと顔にかかった前髪が、彼をブライダルスタッフから一人の男にしていた。
「っ、すみません」
塩永からあっさり俺を攫い、腕の中へと収めた彼は、小声でひっそりと俺に告げる。
「これは捨てておきますね」
スタッフとしては限りなくアウトであろうその発言に、ふるりと背筋を震わせる。求められていると強く感じた。はい、と頷く俺に、鬼島さんはふわりと笑う。目には塩永への敵意をたたえたままの彼が、途端に愛おしく思えた。
「……いいんですか?」
スタッフなのに。濁した言葉は、正しく伝わる。鬼島さんは苦々しそうに眉を垂らすと、良くないですと言う。でも。掠れる続きに彼を見返す。
「俺が嫌なんです」
やっぱり、ずるいと思う。そんな声で。そんな表情で。そんな眼差しで……、求められたら応えたくなるじゃないか。
「お前、ただのスタッフだろ。俺にそんな態度を取っていいと思ってるのか」
横柄な態度で言う塩永に、お前が言うなと顔を顰める。俺と似たような顔をした鬼島さんに気付き、思わず笑いが漏れた。
「……彼は、俺の男なので」
言い訳にもならない言い分。職務怠慢。公私混同。杜撰な主張にキュンとしてしまうのだから、仕方ない。迷惑をかけてごめん。言いかけた口を噤み、彼の胴体を抱きしめる。
「……終わるまで待ってる」
「っ、はい!」
聞いた鬼島さんと塩永の反応は対極だった。
「二次会は! お前は俺のものだろ!」
塩永が俺の腕を掴む。パンと払うと、塩永は呆気にとられた顔をした。いつも自信満々な男の、間抜けなリアクションにクスリと唇を緩める。
「俺はお前のものじゃない。……さよならだよ、バーカ」
バームクーヘンでも食っとけ。式中に引き出物の中身を確認した同僚の言葉を思い出しながら紙袋を投げつける。いよいよもって愕然とした塩永に、少し気分が晴れる。やっと言いたいことが言えた。鬼島さんに向き直り、もう一度抱きしめる。
「早く終わらせてきてくださいね」
「はい……! 急ぎます!」
では、と式場へと踵を返す鬼島さん。塩永が何かを言い立ち去るが、もう気になんてしてられない。頭の中は鬼島さんでいっぱいだった。
◇
ぱちゅん! ラブホテルの狭い室内で音が弾ける。快感に身をよじる。俺を抱きしめながら、鬼島さんは好きだと言った。
「好きです……、好き、好き、かわいい……」
「ぁ……っ! んっ、ぁ、俺も好きぃ……っ!」
応えると、耳を食まれる。堪らないといったそのがっつき具合に目を細め、鬼島さんの頭を撫でる。さらりとした髪が指の間を通る。柔い髪を梳かし遊んでいると、構えと言わんばかりに耳孔に舌を挿し込まれる。ぬるりとした感触に、快感を引き出される。ぞくぞくとした、脊髄を直接舐め上げるような刺激に喉が反った。自然と足を閉じかけると、鬼島さんは間に割って入る。中断していた抽送の再開に、喘ぎ声が漏れる。ゆったりとしたリズムで、鬼島さんは快楽を刻んでいく。挿し込まれるごとに、愛が、気遣いが、楔のように打ち込まれる。
鬼島さんと一つになりたい。うわ言のように呟くと、鬼島さんは一番奥に自身をねじ込み、抱きしめ、持ち上げる。俺を抱え歩き出した鬼島さんに、最奥だと思っていた場所が、そうではなかったことを知った。視界がチカチカと瞬き、白む。ひっきりなしに聞こえる甘ったるい声に、うるさいなとぼんやり思う。かわいい、とキスを落とした鬼島さんに、そのうるさい声は自分の喘ぎ声だと気付いた。
「ひっあぁぁっ、あ〜っ、あっ、あっ!」
歩みとともに漏れる声。鬼島さんは、クローゼットの前に立ち止まる。バンザイ、と宥めるように言われ、素直に従う。両手を挙げると、何かが腕に通された。チチチ、とファスナーを上げる音に、服を着せられたのだと理解する。
「見て」
鏡の前に立つ鬼島さん。映るのは、スラリとした長身の彼と、白いウエディングドレスを着た俺の姿。快楽の涙でボロボロになった顔はしかし、どこかうっとりとした色に濡れていた。
「ここのラブホテル、衣装の貸し出しがあるみたいで」
俺と結婚前提にお付き合いをしてくれませんか。
決断が早いだとか、男同士なのに、だとか、言いたいことは色々あった。それでも、結局口に出たのは一つの歓喜。
「……俺が花嫁でいいの?」
嬉しい。鬼島さんの胴に足を強く絡めると、角度が変わったのか刺激が走る。自分のやったことで声が漏れ、恥ずかしい。これじゃ強請ってるみたいだ。鬼島さんも、そう思ったらしく、中の自身が大きくなる。再びベッドに寝かされる。
「あなたがいいんです」
分かってと諭すように、ゆっくりと愛おしげに腰を動かす鬼島さん。甘えるような仕草に、胸がキュンとする。あぁもう本当に、どうしてくれよう。
大好きと笑うと、俺もですと返される。今日、結婚式に来てよかった。鬼島さんの唇の先にキスを落とす。
「……とんだ魔性だな」
どっちが。
「鬼島さん、実はコスプレさせるの好きですよね」
エッチ、と意趣返しに揶揄うと、鬼島さんはバレたかと頬を緩める。
何気ないやりとりが、堪らなく幸せで。一人には戻れないなと鬼島さんに鼻先を付けた。
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