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ボスの息子

「おいコウ介。モク寄こせ。モク」 私は持っている電話から目を離して、傍らの肘掛椅子に縛り付けてある若い男の顔を見た。椅子の横の床に所在無さげに座り込んでいたコウ介と言うチンピラは、男にそう声をかけられるとバネ仕掛けのようにぴょこんと立ち上がり、慌てた様子でジャンパーのポケットからタバコの箱を取り出した。コウ介が中の一本を咥えさせると、縛られている男は口の端だけ動かして、鷹揚に 「火」 と言う。 「あ!へい!」 そばにいたもう一人のチンピラ――こちらはヒデと呼ばれている――ヒデが慌てて返答し、身を屈めて男の前に跪くような姿勢になり、うやうやしく両手で差し出したライターでタバコに火を点ける。その様子をずっと見ていた私は思わず呆れて、彼らに声をかけた。 「ヒデさん……コウ介さんも……今その人は只の人質なんですよ……ぺこぺこする必要は無いんじゃありませんか?」 「えっ!?は?いやそのこれは……つい習慣で」 二人が恐縮したように下を向いて頭を掻く。 私たちのその会話を聞いて咥えタバコの男は煙を吐き出しながら軽く声を立てて笑った――彼は天目兵馬(てんもくひょうま)と言って、とあるヤクザの組長の次男坊だ。朽ちかけた倉庫の片すみで、粗大ゴミ置き場から拾ってきた薄汚れた椅子に括りつけられている状態にもかかわらず、尊大さを失わずにいて――そこは、さすが兄を差し置いて次期組長候補だと陰で目されているだけのことはある、とほめるべきなのかもしれない。 兵馬は普段組の若い連中と行動する事が多いせいか態度と口の利き方は乱暴なのだが、体つきはごく普通だし、よく見ると母親似の案外やさしげな顔立ちをしている。最近コンタクトから変えたという真新しい眼鏡も彼の雰囲気を和らげる手助けをしており――そんな彼相手だったから、私はこの計画を実行する気になったのだ。もし兵馬が他の幹部連中のように強面のごついタイプだったら、さすがに誘拐しようとは思わなかっただろう。 私は一年ほど前、コンピューターシステムの管理技術者として、そこがヤクザの息がかかった会社だとは知らず、経営の責任者だと言う兵馬に雇われた。入社してすぐに胡散臭い仕事だと言う事は気がついたのだが、今日までそ知らぬ振りをして勤め続けた。そして――頭の軽いチンピラ二人をそそのかして仲間に引き入れ――隙を見てまんまと兵馬の誘拐に成功したのだ。今頃は連絡を受けた組長――彼の父親が身代金を用意しているはずだ。金額が揃えば、指定した番号に電話をかけてくる約束になっている。 「フロント企業の雇われモンと小物チンピラごときが組に楯突くみてえな真似しやがって……どうなっても知らねえぞ?」 言葉だけ聞くと脅しているようだが、彼の声音にはどこか……状況を楽しんででもいるような陽気な響きがあった。 「身代金さえもらえれば、私達はすぐに日本を離れるつもりですから」 「高飛びすりゃ逃げおおせられるってか?甘いんじゃねえの?ウチの組はそりゃ小さいが、一応組織の傘下にあるんだ。連中が動けば、それこそ海外までだって追っかけられる」 「上層部がそこまでして、あなたの組のために仕返しするとは思ってません」 私は答えた。 「組長があなたの身代金を払ってしまえば上納金が暫くは滞るかもしれません……でもその位彼らには大したダメージじゃない。海外まで我々を追いかけさせる方が……手間も資金もかかります」 「かー腹立つ!ウチみたいな弱小なとこが面子潰されても、組織にとっちゃべつに痛くも痒くもないってか!――そりゃあその通りなんだけどよ!」 私は天井を仰いで文句を言っている兵馬に近付くと、彼が咥えているタバコを指で挟んで取り上げた。 「あなた普段から――ちょっと吸いすぎだと思います……これからは、少し減らした方がいい。でないとそのうち身体壊しますよ」 兵馬は私を見上げ、滑稽そうに言った。 「俺の命と引き換えに金せしめようとしてる奴が、俺の健康の心配してくれんの?なんか矛盾してねえか?――おい、それ返せ。ヤニが切れるとイライラすんだ。暴れるぞォ?」 兵馬は彼の手足を縛り付けてある椅子をガタガタやりだした。矛盾か……それもそうだ。私は溜め息をつき、兵馬の口元に仕方なくタバコを差し出した。彼は私の指に喰い付きそうな勢いでフィルターを咥えてタバコを取り返すと、満足そうに吸い込んだ。その煙を唇の隙間から吐き出しながら、私に向かって言う。 「しかし栗原さんよ……あんたカタギのくせに、大胆な事やらかすじゃねえの。まああんたなら……多少反社会的な事でも大丈夫だろうって見込みがあったから……雇ったんだがな」 それを聞いて私は不審に思った。反社会的?私が? 「……どういう意味です?」 と、私は兵馬に、正面から顔を見据えられた――その視線になぜかたじろぐ。 「あんた、前の会社で派閥抗争のとばっちり受けて、嵌められたあげく首切られたんだよな?一流大学出の優秀な技術者だってえのに、あること無いこと言われて再就職先探すのにも苦労したんだろ?社会ってものに色々と恨みつらみも……できたんじゃないのかね……?」 「……どうして……それを?」 確かにその通りだった。社内でうまく立ち回っていた他の連中と違い、仕事それ自体にしか興味が無かった私には人脈というものがなく、従って後ろ楯になって庇ってくれるような上司もおらず――企業秘密を漏らしたのが私だという濡れ衣をきせられ陥れられても――泣き寝入りせざるを得なかったのだ。しかも私の技術が活かせる業界内ではその件のせいであらぬ噂が流れ、すっかり信用を失ってしまっていて――誰も私を技術者として雇ってくれはしなかった――ここにいる兵馬以外は。 「そういう目にあった男なら、うちの仕事の胡散臭いとこに気がついてもサツにタレこんだりはしねえんじゃねえかなと思ったんだよ。でもまさか……そこを逆手に取られるとはなあ。作戦ミスだったかな」 「……作戦?」 兵馬は吸い終ったタバコを足元のコンクリートの床にプッと吹いて捨てた。私を下から見上げるその目が――一瞬光ったように感じる。 「どっかの裏企業の連中が――あんたの腕が欲しくなって――そのためにあんたを嵌めて退社に追い込むようにさせたんだったとしたら――どうする?」 一瞬血の気が引き、私は自分が会社を辞めさせられた時の状況に頭を巡らせた。当時社内では、私が会社のデータをライバル社に売っていたという怪情報が流布していたのだが、あれは内部から出たものではなく――外部からもたらされたものだったのだろうか?まさか――この男が? と――いきなり兵馬が笑い出した。 「……とか言ったりしてな!そんな蒼い顔すんなよ栗原さん、ウソに決まってんじゃんか!人雇って調べさせれば、前の会社のことぐらいすぐわかんだから。口から出まかせだって!」 次いで彼は、まだ顔を強張らせている私に向かい、肩を竦めるような仕草をして見せた。 「…… それにさあ……ウチには、そんな凝った裏工作ができる頭も人員もねえって、アンタにゃあもう分かっちまってんだろ?なんしろ組長がだよ?お前さんの口車にのせられてすーぐ組裏切るような信頼できねえチンピラ二人を、大事な息子のボディーガードにつけて安心してたくらいなんだから……間抜けもいい所だ」 冷静に考えればその通りだった。だが既に私は――脅しつけられたわけでも無いのに、随分と彼に動揺させられていた。 確かに人には――それぞれの器のようなものがあるんだろう、と私は感じた。縛って動けないようにしてあるにもかかわらず、私はなぜかこの若者の――優位に立つどころか対等にすらなれない。 兵馬と対峙するとかなり年嵩の者でも彼に呑まれた様になってしまう、そんな場面を幾度か見かけた。人心を操る事に長けているのだろうか――。彼には兄がいるから、正式に跡目を継ぐのはそちらだ。だが組の内部の人間には、兵馬の方が人望も実行力もあるし――おそらくは、陰で組を動かすようになるだろう、と思われている。だから私も誘拐するのを兄ではなく、弟の方にしたのだ。 ふいに手の中の電話が振動し――私は慌ててそれに応答した。 「もしもし?金は用意できたんですか?……え?」 電話をかけてきた組長は、息子と話させろ、と言う。私は、電話を兵馬に差し出した。 「お父上が――話したいそうです」 「あっそ」 兵馬はさほど興味無さげに、電話を持つ私の手元へ耳を近づけた。 「ああもしもし?親父?え?」 話しているうち彼は目を剥いた。 「サツ!?サツってちょっと……警察に通報しちゃったの!?馬鹿、止めなさいよ!すぐキャンセルしろ!――え?マスコミには報道させないから大丈夫?ちが…… バカタレ!誘拐犯にばれたらどうこうじゃないんだよ!サツの連中なかに入れてあちこち調べられちゃったら――ウチが色々まずいだろうが!」 私は唖然と兵馬の言葉を聞いていた。 「あのね、こっちはいいから――すぐ警察に息子の誘拐は気のせいだったって連絡しろ!クリニックの先生に頼んで、妄想がまた出たんだって言い訳してもらえ!必要なら診断書も書かせて――病気だって事にしとけ!頼むから、親父は布団被って寝ててくれっ!」 怒鳴るのを止めて兵馬はがっくりと首を落として俯き、盛大に溜め息をついた。 「はあ~あもう……うろたえると何やらかすかわからないんだからあの親父は……」 我に返った私が慌てて電話を耳にあてると、通話は既に切れていた。 兵馬はまだ文句を言っている。 「親父を止められるのお袋だけなのに……こういう時に限って旅行に行っちまってんだもんなあ……しかしサツに連絡って……なんのためにわざわざ発信機仕込んだ眼鏡作らせたと思ってるんだよ……」 私はぎょっとして電話を取り落とし、兵馬のかけている眼鏡をひったくった。薄いフレームの継ぎ目に……装置らしいものが見てとれる。 「コンタクトやめて眼鏡にしたのって……このため……」 「あぁ?うん……そう。こういう状況でもホラ、眼鏡までは取り上げないかなと思ったもんでよ」 兵馬は眼鏡の無い顔で私を見上げた。 「GPS発信機ってヤツ……でも慌てなくてもいいさ。親父は機械類うとくてな、せっかくのソレの用途も……全く把握してねえんだから。組の連中が場所突き止めて乗り込んでくる可能性は……情けないけど、ゼロだね」 気を取り直すようにして兵馬は頭を振った。私の顔を横目で見て言う。 「…… そういうハイテク方面に関して一番信用できる人間には……見事にこうして裏切られてるしなあ……さて、どうする栗原さん?サツが誘拐は間違いでしたっていう言い訳を信じてくれりゃいいが――じゃなかったら捜査しはじめるかもしれねえ。――どうだ、金はあきらめて、俺をバラして逃亡するか?」 「ど……どうします……?」 コウ介とヒデがこちらを見る。私は唇を噛み締めるようにして答えた。 「どうしても……金は手に入れたい。警察が来るとしても……身代金の要求を続けるしかないです」 「あのさあ」 兵馬が私に尋ねる。 「一体どうして真面目だった栗原さんが、誘拐なんて思いついたの?なんで急に、そんなに金が入用になったわけ?あんたギャンブルとかは……するようなタマに見えねえけど」 私は少し――情けない気持ちになりながら、彼に向かって微笑んだ。 「借金とか作ったわけでは――ないんです」 兵馬は眼鏡を取られたせいか、私を見る目をやや細めるようにしている。その彼に、私は手にしていた眼鏡をかけ戻してやりながら答えた。 「別れた妻の子供が――病気で入院してるんです。治すには海外での手術が必要ですが、莫大な治療費がかかる。両親が工面できない分は募金を募っているらしいんですが、それが集まるのを待っていては――手遅れになるかもしれない」 「――あんたの子なんだ?」 「いいえ――再婚相手との子です」 「え?自分の子でもないのに――こんなヤバい真似してまで治療費を?」 不思議がる兵馬に向かって私は自嘲気味に答えた。 「私は結婚してから――自分が女性を――愛せない身体だったという事に気が付いたんです。妻にはすぐに言うべきでした。けれど勇気が無くて――仕事が忙しいと言い訳して、子供を望む彼女を長いこと――欺いていたんです」 何か言われるかと思ったのだが、兵馬は口を挟まず、じっと私を見つめたまま聞いている。 「…… ある時、とうとう隠し通せず妻に告白しました。けれど彼女は私を責めず、周囲にも何も話さず、ただ黙って別れてくれた。その後彼女は再婚したんですが、子供を授かった時にはとても喜んで――気にしていた私にも報告してくれて――私も……自分のことのように嬉しかったんです。彼女には、新しい家族と幸せになってもらいたかった。なのに――。だからせめて――手術のための金を出そうと。私自身は別にもう、どうなってもいいんです。仕事も干されて、これから何がしたいって言う希望も無い。彼女の子さえ助かれば後は……どうでもいいんだ――」 「――おい。これ解け」 兵馬がふいに口を開いた。なんだか疲れて気が抜けてしまっていた私は、逆らう気も起きず彼に従った。上着の内ポケットから登山ナイフを出し、兵馬を縛っていた縄を切って解く。 手足が自由になった彼は、床に落ちていた電話を拾い上げてキーを押した。それを耳に当てながら、眉を上げ、眼鏡のフレーム越しに私を見て訊ねる。 「その募金って銀行振り込みでできんのか?」 「え?はい、多分」 「あと幾らいるんだ?」 「えっ?ええっと……多分……七千万位じゃないかと」 「そう」 「そう、って……まさか?兵馬さん?」 組の幹部と知己の銀行の担当者に電話し、募金口座に入金を指示しているらしい兵馬を、私は唖然と眺めていた。 電話を終えた彼が私に向き直る。 「よし済んだ。帰ろう」 「済んだ……そんな、なぜ……」 「身代金払えって言うから払ったんじゃねえか。べつに親父じゃなくて俺が自分で払ったっていいんでしょ」 「そりゃかまいませんが……いやしかし……私はいいですけど、コウ介さんとヒデさんが……」 兵馬はちらりと二人の顔を見た。 「ああ……身代金の分け前は無えなあ。ま、我慢しろや」 「でも、組から報復とか……」 「その心配はねえ。二人があんたの手助けしてたっていう事は、俺が話さなけりゃ誰にもわからねえんだし――おいお前ら、正直に言え。ほんとは兄貴の手下なんだろ?誘拐は栗原さんにそそのかされたのもあっただろうが……実際はこういうチャンスを窺ってたんだよな?俺になんかあれば、その方が兄貴には都合がいいから」 「は……はい!」 二人は棒立ちになり返事をした。 「お、おっしゃる通りです……ですがまだ、勇馬さんと兵馬さんと――どちらにつくか、決めかねる面もありまして……将来性を考えますとやはり……」 「お、おい!」 うろたえて妙なことを口走るコウ介をヒデが小突いた。それを聞いた兵馬は、別段怒る風もなく言う。 「兄貴の前でそんなこと言うんじゃねえぞ。それと、お前らが兄貴の回しモンだってことが俺にばれてんの気付かれないように用心しとけ――わかったろ栗原さん。こいつらのことは気にすんな。おら!帰るぞ」 彼はスラックスのポケットに手を突っ込み、チンピラ二人に向かって蹴とばす真似をして促した。 ヒデの運転する車――兵馬を拉致してここまで連れてきたものだが――その後部座席に私と兵馬は並んで座った。暫く黙っていたが、私は思い切って口を開き、彼に話しかけた。 「――兵馬さん」 「ん?」 「募金――ありがとうございました。本当に」 身体を兵馬の方へ向け膝に手をついて、私は自分より5つほども若い彼に向かい、深々と頭を下げた。車内でなければ土下座したいところだった。 「あれさえ頂ければ、私の事はどうにでもしてもらっていいです。す、隅田川に沈められても……仕方がないです。警察に自首しろって言われればします」 さすがに、私刑にあって殺されるか、それとも刑務所暮らしになるか、と考えると少々声が震えて冷や汗が出た。兵馬はそんな私を横目で見、取り合わない様子で答える。 「カタギのあんた相手にわざわざそんなしちメンドくさい事するかよ……つか、なんで隅田川?あ、事務所から近いから?それにしたってそんな側に捨てたんじゃ、ウチがすぐ疑われるっつぅの」 「ああそうか……」 「それから警察に自首ってのも止めてくんない?かえって厄介」 「……ああ……そうか……」 納得している私の横で、誰にともなく兵馬が呟く。 「はあ~あ、また吸いたくなって来ちまったなあ……」 それに気付いた助手席のコウ介が振り返ってタバコの箱を差し出した。兵馬はやや身を乗り出してそれを受け取りかかったが、急に手を止め、 「やっぱり少し控えるわ……健康のために」 と言った。 私は彼に尋ねた。 「あなたに私を始末する気が無いのなら――まだあなたの会社で――働いていても構わないですか?給料の中から少しずつでも……募金して頂いた分を返しますから」 兵馬は腕を組み、だらしなく身体を伸ばしてシートに斜めにもたれかかった姿勢で、私を眺めている。 「そりゃ別に……構わねえけど?でも金は返さなくていいよ。寄付したんだから」 「でもそれじゃあ……私の気が済みません」 「そうか?でも返すったってあんたの給料じゃ、何年かかるかわかんねえよなあ」 「ですね……。あ、そうだ、GPS発信機……今度から私が管理しますから」 「あっそう?そりゃあ助かるわ。親父じゃアテになんなくってな……」 伸びをして居眠りをはじめた兵馬の隣で、私はなんだか――生き甲斐を取り戻したような気分になっていた。下手をすると身内すら信用できないかもしれないという彼の立場――にも関わらず、なぜだかこんな風に無防備でいる兵馬を――自分が護ってやれるかもしれない、と思いついたからだった――

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