1 / 1
不幸で幸せな男たち
「チキンとケーキ、いかがっすかぁ」
吹きすさぶ風が身に染みる冬の夜。大学生の俊介はせっせとアルバイトに勤しんでいた。
暗闇の中でも昼間のように輝きを放つコンビニは、現代を代表する不夜城といえるだろう。二十四時間、年中無休のその施設は今やなくてはならない存在だ。いつでも利用可能という便利さに現代人はみな虜であったが、便利の裏にはもちろん苦労もある。
その苦労を背負っているのがもっぱら若く、融通のきくアルバイター達だった。
「売れねぇよなぁ。わざわざクリスマスにコンビに飯なんて買わないっての」
俊介は悪態をつきながら目の前を通り過ぎていくカップルで目をやる。
十二月二十五日。クリスマス当日。街は緑と赤で彩られ、人々は幸せそうに身を寄せ合っている。
ある者は恋人と。ある者は家族と。ある者は友人と。そして俊介は……職場の人間と。
「幸せそうなやつら……爆ぜろ」
コンビニで働く以上、仕方ないことだと分かっていても特別な日に出勤するのは気持ちが荒む。
冷えて硬くなったチキンを恨めしそうに眺める俊介に、店内からすらりと背の高いサンタが声を掛けた。
「俊介、今からチキンとケーキ、値引きだって。三十オフ」
小脇にケーキの箱を抱えたサンタは、俊介の一つ年下にあたる聖也だ。日本人男性の平均的な体格である俊介に比べ、長身の聖也はサンタの服が似合っているようで微妙に似合っていない。
「あいよ。三十オフな」
「気合入れて売らないと店長が泣くかも。まだかなり在庫がある」
「ってもなぁ。俺らの呼び込みで売れるケーキなんて数が知れてるっての」
可愛い女の子のサンタが販売しているならまだしも、売っているのは男二人なのだ。
「……俊介が売ってるなら俺は買うけど」
小さく呟いた聖也の声に、俊介はぎくりと身体を強張らせた。どう反応していいか分からず、結局俊介は聞こえなかったフリをする。
（なんていうか……気まずい）
ただの後輩だと思っていた聖也から気持ちを告げられたのは、十二月の上旬のことだった。
『俺、俊介のことが好きなんだよね。……そういう意味で』
深夜で二人きりの勤務中、天気の話でもしているのかと思うくらいあっさりと、聖也はそう告白してきた。
『返事は期待してないから』
そう言った聖也に甘えているわけではなかったが、俊介は聖也の告白に今日までなんのリアクションも取っていない。
告白してきたと言ってもなんら態度の変わらない聖也に、眠すぎて仕事中に夢でも見たのかと思った俊介だったが、ときおり独り言のように呟く言葉は確かに俊介に対してどこか熱をはらんでいる。
（気まずいのに聖也と二人で店外販売とか。どうしたもんかねぇ）
ずっとこのままではいられないと、俊介なりに答えを出してきたのだが、それを伝えるタイミングが難しい。
俊介は鼻筋の通った聖也の横顔を見ながら、いつ口を開くべきか、タイミングを計っていた。
「今日、さ」
「えっ、う、うん」
タイミングを計っていたのに口を開いたのは聖也のほうだった。思ってもいなかったことに返事をした俊介の声は少し上擦っている。
「クリスマスじゃん。……バイトなんかしてていいの？ ほら……なんか予定とか」
「予定？ なんもないって。バイトなけりゃ家で寝てるだけだろうし」
俊介の友人達はみな恋人との約束があり、バイトがなくても俊介は悲しいクリスマスを過ごしていたのは間違いがなかった。特別な日に仕事というのは気落ちはするが、バイトという予定があるだけで、クリスマスに一人で過ごす言い訳には困らない。
「彼女、とかは？」
「いないって。いたらバイトなんて絶対休んでるし」
そう言った俊介に、聖也はほっとした顔を見せる。その顔に聖也の想いが変わっていないことをひしひしと感じ、俊介は少し声を震わせながら話を続けた。
「ってか聖也もついてないよな。クリスマスにバイト。しかもサンタコスだし」
「……まぁついてないというか、なんというか。俺って昔からクリスマスに良い思い出がないから」
「そうなのか？」
「そう。……俺の名前、聖也じゃん？」
そうだな、と俊介は頷く。聖也は聖也であり、他の名前で呼んだことは一度もない。
「この名前ってさ……。まんまなんだけど、クリスマスに生まれたからなんだよね」
「お前って今日が誕生日なの？」
聖也は首を縦に振る。
聖也という名前にそうなのかな、と思ったこともあったが、それを今まで確かめたことはなかった。
聖也は苦々しい思い出を振り返っているのか、少し眉を寄せている。
「クリスマスに生まれたからさ、誕生日の祝いとクリスマスパーティがいつも合同で。プレゼントとかも一つにまとめられちゃってるし。家の中も外もクリスマスなのに、誕生日おめでとうのケーキが出たりさ。なんかこう……ひっちゃかめっちゃかで。子供の頃からそれが嫌で嫌でしかたなくってさ」
クリスマスソングとバースデイソングが入り乱れるパーティは想像しただけで混沌としている。
だがそれと同時にとても賑やかで楽しそうに思えた。年に一度の盛大なパーティに、聖也の家族はさぞ張り切ったことだろう。聖也が暖かい家庭で育ったことは、聖也を見ていればすぐに分かった。
「それでも今日よりは良いクリスマスだったんじゃね？ 寒空の下でバイトなんかよりは」
売れないチキンとケーキに囲まれたクリスマスなど、クリスマスの過ごし方としては最低レベルだろう。
だが聖也は微笑みながら首を横に振った。
「今日は、俺にとって一番幸せなクリスマスで誕生日かもしれない。……横に俊介がいるし」
「え……」
照れたようにそう言った聖也に、俊介は言葉を続けることが出来ない。
言葉を失った俊介に聖也は困ったように眉を八の字にしながら、それでも俊介を困らせないように笑顔を見せた。
「いや、ごめんな。忘れて。道行くカップルの毒気に当たったみたい。今の俺、ちょっとキモイな」
微笑んでいるのだけれど、どこか悲しそうな顔に俊介の胸がキリリと痛む。
はっきりしない自分の態度が聖也を苦しめている。そう思った俊介は覚悟を決めたように拳をぐっと握り締めた。気持ちの答えは出してきたのだ。伝えるべきタイミングは今だった。
俊介は無言のまま横に一歩、聖也へと近づく。二人の手がぶつかり合うくらいの距離だった。
「……俊介？」
聖也は突然距離を縮めた俊介をいぶかしむ。
俊介は己の緊張を悟られないよういつもと変わらない口調で、だが少し早口で聖也に尋ねる。
「なぁ、なんか寒くない？」
「え？ いや……今はそんなに……」
言いかけて聖也は口を噤む。
俊介の肩が小さく震えているのが目に入った。それはきっと寒いからではない。紅潮した肌と、少し潤んだように見える瞳が如実に物語っていた。
聖也は一度息を飲み込むと、恐る恐る俊介の手を握った。
「やっぱりちょっと、寒いかも」
「……うん」
「だから、こうしててもいいよな。テーブルに隠れて見えないだろうし」
「うん。……俺も、いいと思うよ」
「クリスマスだし」
「お前は誕生日でもあるしな」
俊介は離さないとばかりに握られた手を強く握り返した。聖也の顔がみるみる赤く染まっていく。サンタの服よりも鮮やかな赤だった。
俊介はゆでだこのような聖也を見て声を出して笑う。
寒空で凍えていたはずの身体は、もう少しも寒くなかった。
「いやぁ、俺さ、お前の誕生日兼クリスマスパーティが盛大だった理由が分かった気がするわ」
「はっ？ なに、突然」
「だってすんげぇ便利。特別祝ってやらなきゃなぁって思うもん。勇気出せるじゃん？」
勇気の証を示すように、俊介は握った手にぎゅっぎゅっと力を込める。
「……それって自分がプレゼントとかそういうやつ？」
「ばっ……！ 恥ずかしいヤツ！」
実質的にはそうなるのだろうが口には出すなと、俊介は聖也を軽く蹴り上げる。聖也は痛いと口にしながらも、幸せそうに笑っていた。
「なぁ俊介。バイト終わったらなんか予定ある？」
「あるわけないだろ。クリスマスだぞ。恋人達の聖なる夜だぞ」
「じゃあ終わったらさ、二人でクリスマスパーティでもしよう。目の前にセールになったチキンもケーキもあることだし」
「……せっかくの誕生日なのにカチカチチキンかよ」
「いいんだよ。そんなチキンでも今日は格別に美味く感じるだろうし」
それに、と聖也は言葉を区切る。
「メインディッシュは俊介だし」
ニヤリと笑った聖也を見て、俊介は言葉にならない悲鳴を上げる。聖也に負けないくらいに頬を赤く染めた俊介だったが、それでも握られた手を振りほどくことはしなかった。
（今日だけは、恥ずかしいセリフも許してやる）
なんていったってクリスマスで誕生日なのだ。
俊介は少し背伸びをして聖也の耳元に口を寄せる。紡がれる言葉は聖也にとって何よりのプレゼントとなることだろう。だからこそ一生の思い出になるように、ありったけの感情を込めて囁く。
「俺もお前のこと、好きだよ」
恋人達の聖なる夜は、まだ始まったばかりだった。
ともだちにシェアしよう！
