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最終話

 300年ぶりに発生した魔物の大量発生(モンスターデリュージュ)は、騎士団、魔法宮、そして内政文官を除き、ほとんどの国民に知られぬままに収束を迎えた。  それはすべて、秘密裏にエルファンガの境界線を沿うように設置されていた多数の結界魔法具のお陰であった。  失踪前のジェフリー・レブルが、私財をはたいて設置していたそれを発動させたのは、魔法宮次官のイーノック・ローグだ。  イーノックとジェフリーは、魔法具の設置に当たり、様々な検討を繰り返した。  王弟ウィリアムに蔑まれようが、「いざ」という時に備え、守りを固める……。  それをまさか自分が発動することになろうとは、イーノックは予想もしていなかった。  ジェフリーの精霊ヴァグが、イーノックの元へやってくるまでは。  結界の発動には、大地の守の土の魔術師である必要がある。  そして土の魔術師である自分が、すべての責任を負って発動させた……。  思い返すと、いろいろなことが紙一重であったことがイーノックには分かっている。  全ての魔法具の設置が終わったのは、ほんの数週間前のこと。  それに、結界をはることで急速に収束したということは、つまり、ジェフリーの立てた仮説があっていたということに他ならない。  過去の魔物の大量発生(モンスターデリュージュ)の記録を見ると、最初の二日間の被害、死者が最も多く、全被害の8割を超えていたことが分かった。  記録から推察するに、最初の二日、狂戦士の様に猛るモンスターたちを凌ぐことが出来れば、被害を抑えられるのではないかということが浮かんできた。  今回のことは、その結論が的中していたということだ。  もちろん発生してすぐに知らせが来たことも大きかった。  境界線から多くの魔物が出た後で有れば、王民間人に被害が出ていたところだ。  魔法宮で設置した結界は境界線から氾濫しそうになっていた魔物を分断し、そのほとんどを境界線内に閉じ込めた。  閉じ込められた魔物たちは、互いに相打ちを始めることがわかっている。  魔物の住む森であると同時に恵みの森であるためにエルファンガの境界線を完全に閉じることはできないが、しばらくしておちついたら、また以前の様に結界を弱め、人が境界線付近をうろついても大丈夫になるだろう。  この騒動でなにより驚いたのは、魔法宮長官ジェフリー・レブルの失踪の理由である。  近い災厄を予感したジェフリー・レブルと、騎士団長にしてジェフリー・レブルの叔父バーナバス・レブルとの極秘作戦だったと聞かされた時には、イーノックは開いた口が塞がらなかった。 「なぜ災厄を知りながら報告しなかったのか!」  災厄を防いだ労いの言葉を口にする前に、バーナバスを叱責した王弟ウィリアムに対し、バーナバスは一歩も引かなかった。 「来るべき災厄に備えるべく、結界の魔法具の設置を訴えた我が甥の言葉を取り合わず、早く王族に嫁し子をなすべしと申された方の言葉とは思えませんな!  我が甥はこの国の宝と謳われた最高の魔術士であって、王家の血筋を残すための道具ではございません!」  それは、国に陛下に奏上する大広間全体が震えるほどの怒号であったという。  その後、ウィリアムは国王陛下にそれらのことを、無断で行っていたことが判明し、失脚することになるのだが、それらはすべてイーノックの頭の上でおきたことだ。  そして……ジェフリー・レブルは、麗しの魔法宮長官は、魔法宮には戻ってこなかった。  そのせいで正式に魔法宮長官となったイーノックは愚痴の一つでもこぼしたい気持ちだったが、身重のジェフリーの胎教に悪い。  そうだ……誰が思っただろう。  王妃候補とうたわれ美貌で知られたジェフリーが、その極秘作戦中に知り合った男性と恋に落ち妊娠したという知らせは、遠くで起こった魔物の大量発生(モンスターデリュージュ)以上の嵐を王宮にもたらしたのだから。    ドリューの治療が間に合って、リチャードは命を取り留めた。  しかし大量の血を失ったリチャードは眠り続け、その間ジェフリーは彼の傍らから離れなかった。  王宮からの召喚にも応えず、運び込まれた鷲見城の一室に立てこもったのである。  どれほど周りが騒ごうが、ジェフリーの従える風の精霊の施した結界はビクともしなかった。  食事こそクレメンスの指示で運ばれていたが、食事ののせられたワゴンのみがひとりでに部屋に入って行く様子は異様だった。 「うぅ……、みず……」  ひどい喉の渇きを感じ、リチャードは目を覚ました。  まぶたが重く、手探りで周囲を探ると、首の下に手が差し込まれ、口元に何かが押し付けられた。 「飲んで……」  ぼんやりとした意識の中でも、それがジェフの声だと分かった。  ジェフと話さなければと思うのに、意識はまだ朦朧としていて、喉の渇きが癒えると再びリチャードは眠りの中に引きずり込んだ。  それからしばらしくして目を開くと、リチャードの寝台にうつ伏せている銀色の頭が目に入った。  やっぱり……やっぱり、ジェフが、ジェフリー様だった。  リチャードは毛布の仕方から自分の手を引きずり出して、ベッドの上に無防備に投げ出されたジェフリーの手に、指に触れた。  指を絡ませると、ジェフリーの指が小さく握り返された。  起きているのかと思ったが、ジェフリーは微動だにしない。  無意識に握り返しているのだと思うのと、胸がほのかに熱くなった。  ジェフリーが目を覚ますと、リチャードの青い瞳がジェフリーを見つめている。 「っ……!!  リチャード!!  起きて……!」  ジェフリーは安堵とともに驚いて思わず飛びのくように体を起こした。 「ジェフ……。  俺のジェフ……そうだろう??  絶対、あれは、夢じゃなかった……。  本当のことを言ってくれ……」  リチャードはジェフリーの首の後ろに手を回し、ジェフリーの体を引き寄せる。  口づけをされる………そう思った瞬間、ジェフリーは思わずリチャードの体を押しのけた。 「あ……っ。  お……俺、二日……ふっ風呂も入ってなくて……!!  く……臭いから……!!!  ダメ!!!」  赤面して慌てるジェフリーに、リチャードは驚くと同時におかしさがこみ上げ、クク……と笑みを漏らした。 「え? リチャード!!  なんで!!  ……笑うなよ……」 「……カワイイ。  ジェフがすごく可愛くて、困る」 「っ……!!  バカ!!!  俺は可愛くなんか!!!」 「カワイイ!!  すごく可愛い!!  それに、臭くない……むしろ、甘くていい匂いがする……」  ジェフリーはくんくんと、自分の体臭を嗅ぐために服の胸元を引っ張って顔を中に沈めている。  本当に……可愛くて、好きすぎて、俺の頭はどうにかなりそうだ。  なんでこの人を……ジェフリー様を、俺はクールで、近寄りがたい高嶺の華の人だと思っていたのかな……。  現実のこの人は、熱くて、カッコよくて、死ぬほどカワイイ人なのに。  リチャードは愛おしさがこみ上げ、ジェフリーを抱きしめた。 「わっ! ……うぅ……」  ジェフリーは唸るような声を上げていたが、リチャードの胸に、諦めたように形のいい頭部をコテンと預けた。  少なくとも、嫌がられてはいないようだ。  だから、ほんの少し、勇気を出してみる。 「ジェフ……俺と結婚して。  死ぬまで一緒にいて」  俺にはささやかな爵位と、冒険者として稼いだわずかな報酬しかない。  だけど……。  絶対幸せにする!!  そんな決意をもって、リチャードは求婚した。  返事を期待していたわけではないけど。  小さい嗚咽とともに、ジェフリーは小さい声で「………はい」と応えた。  すべてはクレメンスと騎士団のトップにしてジェフリーの叔父、バーナバス・レブルによる「ほぼでっちあげ」の報告で、無理矢理に収束させた。  そんなことをリチャードが知ったのは、リチャードが快癒し、部屋を出てきた後である。  無理矢理にバーナバスが国王陛下からむしり取ってきたものは、ジェフリーの自由だ。  報奨の代わりに受け取った自由は、何にも替えがたいものだった。  そして……リチャードは騎士団を辞めなかった。  バーナバス叔父上から、後継者として見込まれたようだ。 「叔父上に見込まれるなんて、お気の毒様」  ジェフリーは笑ってそう言った。 「ふむ……ジェフはそう言うけど、俺は願ったりかなったりだ」 「へぇ?」 「俺が騎士団長になれたら、必ず魔術騎士団を作るよ?」 「魔術騎士団?  なにそれ?」  ジェフリーは思わず聞き返す。  魔法宮の浄化師が、炎とかで戦うのかな?  それはそれで面白そうだけど。 「だって。  剣に水の魔法を纏わせて戦うジェフリーは、誰よりも綺麗だった」  そう耳元で囁くと、ジェフリーは羞恥に顔を赤く染めて抗議した。 「綺麗だとか言われても、嬉しくないぞ?  強かったって謂われた方がずっと嬉しいんだから!!」 「分かった分かった。  ジェフリーは強い。  強くてカワイイ!!」  カワイイは余計だと唇を尖らせているジェフリーに、キスを落とす。  来月生まれる子供……ジェフリーに似るといい。  王国最強の魔術師にして最高の剣士、ジェフリー・レブルに。  可愛くて麗しい我が妻に。

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