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インテリアよりも恋人

 その形は、まるでエイリアン。いや、ロケットか。  買ってから未だ本来の機能を果たしていない、お気に入りのインテリア。  佇んでいた定位置から高く持ち上げられれば、発射のカウントダウンが始まった。 「それ! アレッシィのレモン絞り器!」  ゴッ──……!  敬愛するデザイナーの代表作が、鈍い音を立ててゴロリと足元に転がる。  銀色の美しい流線形を描くロケットは真っ逆さまに墜落して、地面もといウォールナットのフローリングへ叩きつけられた。 「だぁああ、嘘だろ嘘だろお前〜〜!」 「バーカバーカ! もう知らない!」  デートから帰宅してすぐさま繰り広げられた、衝撃的瞬間。  一周り年下の恋人の癇癪にぐしゃぐしゃと頭を掻き乱せば、アシンメトリーにセットした黒髪の癖毛がシンメトリーに慣らされる。  度の入っていない眼鏡のフレームに掛かる前髪のせいで、視界が悪い。  一方、SNSで同年代から厚い支持を得るルックス完璧な彼は、思いきり振りかぶって乱れたワンレングスのマットアッシュを耳に掛けた。  小洒落たアカウントのホームに並ぶアンニュイな表情をどこへやってしまったのか。眉間深くシワを刻んだ鬼のようなその形相を、先日ついに10万人に達したという全てのフォロワーに見せてやりたい。 「やめろ! マジでやめて! それMoMAの限定なんだよ! 色揃ってないと、価値が……」 「ハァ?! こーんなただのコップの方が、ぼくより大事なワケ?!」 「されどコップ! ただの、じゃないんだよそれは!説明聞いてたか……?!」 「うるさい、くそバカ!!」  ゴトッ──  ああ。ありがとう、デュラレックス。強化ガラス最高。その頑丈さに感謝しかない。  6色のグラスのセットは、ニューヨークに位置するモダンアートの殿堂がセレクトしたらしいショップ限定の品だった。  俺が一番好んで使っているイエローの広い飲み口に五本指を引っ掛けて、ふりふりと振ってみせられる。「あ、これ落とす気だ」と思えば、案の定。  幸いロゴの入った分厚い底から落ちたのと、そのブランドの特徴である材質のおかげで割れずに済んだ。 「はぁ……落ち着け、真由。な? 悪かったって」 「何が悪かったかホントに分かってんの?!」 「デート中にお前のこと放ったらかして、パントンチェアのボディラインに夢中になってた」  観葉植物の鮮やかな緑と芳しいさわやかな柑橘のフレグランス。  取り囲む打放しのコンクリートの壁は、今はひやりと冷たく感じる。  ダイニングの天井から吊るされて行儀良く並んだパークフースが、それぞれの耳に光る揃いのピアスを照らした。  土星のようなシルエットのマークに敷き詰められたラインストーンが反射すれば、一触即発の空気が揺れる。 「そんなに好きなら、椅子にぶっ掛けてやれば?」 「やめろよ。下品なこと言わないでくれ……」 「こっちはさぁ、浮気されてる気分になんの!」 「お前だって……気に入るだろうと思ってせっかく連れて行ったカフェで、俺との会話よりテーブルの上の〝映え〟やらそれに対する〝いいね〟に夢中だろ? 下ばっか向いて……」  二つのピースサインを曲げてダブルクォーテーションを二回作ってやった。  溜め息まじりに崩した指先で苛立っている右頰へそっと触れれば、ふい、と左側へ顔を背ける。  ほのかにくすんだローズに彩られたやわらかなそこは、葉の色をセピアへと移し始めた並木道によく映えていた。今年のこの季節向けにリリースされた新色なのだろう。  バーガンディのタートルネックに覆われている細い首筋をゆっくりと下り、ベージュをベースにした特徴的なチェック柄のシャツの襟を超え、華奢な肩を伝う。  やさしく二の腕をさすると、淡いアンバーに拡張された瞳が絆されまいとして伏せられた。手を施さなくても長い睫毛が、黙ったまま重なる。 「…………」 「俺だって寂しいし、嫌な気持ちになる。浮気されてる気分って、的確な表現だと思うよ」 「……ヤキモチ焼いてんの? 僕のフォロワーに」 「〝僕の〟って言い方がもうヤダ」 「ヤダって……子供かよ、涼くん」  この家に備えられたウォークインクローゼットに少しずつ増えていく、ワンサイズ小さな服。  先取りで集めては試される新色コスメは、ベッドルームのキャビネットの上にコーナーが設けられている。  季節ごとに己を飾って街中というランウェイを歩くのは、フォロワーのためか。それとも俺のためか。 「子供っぽい俺のこと、嫌い……?」 「……嫌いじゃない。年上のクセに可愛いなぁって思っちゃうし、そういうの……ズルいよ」 「まぁ……ズルい大人だからね、俺は」  横分けの長い前髪を攫って形の良い耳に掛けてやれば、頰の色味が濃くなったように感じた。  整った眉がふにゃりと下がり、束になっていた睫毛が離れて妙に大人びた瞳が現れる。 「……あはは、子供と大人どっちだよ。もお……」 「今日さ、すごい気合い入れてた? 誰からの〝いいね〟狙ってたの……?」 「ふふ、ばーか」  怒りに震えて噛み締められていた唇は、ふわりとやわらかなコーラルに戻る。思わず、尖った顎に添えた手の親指で輪郭をなぞってしまう。 「……真由の方が、よっぽど魅力的なボディラインしてる」 「え? ……あっ!」  オーバーサイズのシャツに隠れていた身体をふいに抱き寄せる。  俺の左胸には、赤い糸で刺繍された騎乗の選手がいる。柄を揃えたネルシャツはモノトーン。  その下に着た白無地のニットの前。一瞬だけビクッと強張った腕の力がゆるめられれば、許されたのだと理解した。  すべらかなラインを確かめるようにして脇腹と腰のあいまを何度も撫でると、呆れた顔の中に色を孕んで、悩ましげに身を捩る。  ほんの少しだけ背伸びした細腕が首の後ろに回って、密着度が高まった。 「……オッサンくさいんだけど」 「オッサン言うんじゃありません」  カチャ──  くっついては、離れる。リップ音と重なって当たるフレームの音が煩わしい。  眉の狭間にシワを寄せれば、鼻を抜ける甘い吐息を含んで笑いながら、眼鏡を外された。そうすれば、二人交わる角度を深められる。 「ふ、ぁ……ンっ、……涼く、ん」 「はぁ、まゆ……かわいいな、お前……」  にわかに擦れ合ってもどかしいデニム生地に、冷めていた空気が湿気を帯びてこもり始めた。  くびれた腰をさらに強く抱きしめて「堪らない」と訴えれば、とけあって混ざりかけていた口内の熱が離れていく。  マットカラーだった目の前の唇は、まるでグロスを上乗せしたかのようにつやりと濡れて光っていた。 「っ、はぁ……未成年に手出して、ワルい大人だぁ」 「それは……認めざるを得ないな。反論できないよ」 「えー? なんでなんでー?」  アーモンド型の瞳が悪戯に細まる。くっきりとした溝のある瞼にゆるやかに引かれたアイラインが、少しだけ平らになった。  言えばきっと「オッサンの誘い文句!」と、笑われるだろう。けれど、それでも言いたくなるのだから、やはりインテリアよりも恋人だ。 「……椅子じゃなくて、お前とエロいことしたいから」 (終) 

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