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月と太陽
『あのね、貴方たちはふたりでひとつなの。だから絶対に手を離してはダメよ? いいわね? 絶対の、絶対よ? ふたりはずっと、一緒じゃなくてはダメなのよ』
双子として生まれた俺たちに、まるで呪いのように耳元で唱えられ続けてきたその言葉。
毎日、色さえ違うことのない同じ服を着て、同じ髪型をして、常に手を繋いで同じ足から一歩前へと進む。
そんな異常とも言える行動を俺たちに強いていた母は、ふたりが中学に上がるよりも前に、病院という名の檻に閉じ込められた。
正直俺は、安堵していた。まだ幼い頃は、注目されることが気持ちいいと思えた時期もある。だからこそ言われるがままにしていられたのだろうが、流石に小学校へ上がった頃には【常に一緒】であることが苦痛でしかなくなっていた。と、いうのも、俺たち兄弟は双子でありながら、その容姿は似ても似つかないほど違っていたからだ。
先に生まれた俺を追いかけるように生まれた弟は、驚く程整った容姿を携えこの世界に現れた。
赤ん坊の時からついていた差は年を追うごとに広がって、その差とともに、あからさまな悪意ある言葉を投げつけられるようになった。
『翼くんは似合うけど、翔くんは似合ってないよね、あの服』
『髪型も一緒にしてるの? 翔くんは違うのにしたら?』
『あの二人、双子なんだって。あれだけ差があると、かわいそうだよね』
日々投げつけられる心無い言葉と視線。それが嫌で別の行動を取ろうとすれば行われる母からの折檻に、俺の心と躰はみるみる疲弊していった。それを心配した父が、重い腰を上げてから数年。漸く、母を俺たちから引き離すことに成功した。
けど、俺たちの【常に一緒】である生活は終わらなかった。
「翔ちゃん、待たせてごめんね! カバン取りにいこう」
職員室から出てきた翼が、慌てたように駆け寄ってきた。
「カバンなら、待ってる間に取ってきた」
「え、そうなの? なんで待っててくれなかったの?」
「…待ってただろ」
「違うよ、カバンだって一緒に取りに行きたかった」
ムスっとして、機嫌を損ねた顔をしてもなお美しい弟に、俺はひっそりと溜め息を吐いた。
母が病院へと入れられ、自由を手に入れたと思ったのはほんの一瞬のこと。
片割れであった翼は、鬼の形相で母を病院へ入れた父を睨みつけ、それから六年。翼は父と口をきいていない。それどころか、止めろと言われた【常に一緒】であることに異様な執着をみせ…。高校へと進学したいまでも、俺たちは一緒にいるのが当たり前になっている。
「勝手に動いて悪かったよ。でもさ、この方が効率いいだろ?」
「翔ちゃん、俺たちの間に効率とか必要ないんだよ」
わからない? と首を傾げ俺を見つめる瞳は漆黒の闇。さらりと流れる髪も、同じ色。だけどそれは全て作り物の色。瞳を縁取る長いまつ毛をよく見れば、翼の本当の色素が暴かれる。
煮詰めた蜂蜜のようなとろりとした琥珀色の瞳に、色素の薄い栗色の髪。同じ色で瞳を縁取る長いまつ毛。それが、翼が持って生まれた本当の色。だけど、俺の髪は黒く、瞳も黒く、まつ毛も黒かったから…翼は同じであるために、髪を黒染めし、黒色のコンタクトをはめているのだ。
同じ色でない瞳など要らないと、目を潰しかけた翼を必死で止めた。潰すことを止めさせる為にあらゆることを投げ打って、色々なことを約束をさせられた。あの日の事は、あまり思い出したくない。
同じ色を纏う俺たちは、その容姿の差が更に浮き彫りになった。
同じ黒なのに野暮ったく見える俺と、高貴な色彩に見られる翼。懐いてくる弟を可愛いと思っていた時期などとっくに過ぎて、今は疎ましく感じるばかりだ。だけどもう、助けてくれる人はいなくなってしまった。
翼と父との溝は取り戻すことが不可能なほど深まり、父は遂に家に寄り付かなくなってしまった。俺たちは、実質二人暮らしのようなものだった。
「さ、暗くなる前に早く帰ろう。今夜は何食べようか、何食べたい?」
翼の腕が俺の腰にまわり、引き寄せられる。ぴったりとくっついた躰。だけど、そこに文句を言ってはいけない。それも、翼との約束の一つだからだ。
「カレーうどん」
「いいね、豚肉と野菜たっぷりのやつ。俺も食べたいと思ってた」
ふたり一緒に、一歩を踏み出す。
最初に出す足は、右足からだと決まっていた。
◇
「翔ちゃん、今から洋介たちが友達連れてくるって言うんだけど、いい?」
「…好きにすれば」
直ぐに了承したが、実のところ俺は、その“洋介たち”があまり好きではなかった。
今田洋介は高校の同級生で、翼には劣るものの容姿が優れており、所謂目立つグループのリーダーみたいなものだった。
今田はいつも翼になにかと声をかけ、自分たちのグループに入れたがっている。けど、翼は首を縦に振らない。「翔ちゃんが行くならいくけど」なんて言われた日には、今田のグループに疎まれて当たり前だった。
今田は翼に執着していた。
呼んでも来ないのであれば、こちらから行くまで…とばかりに、いつからか家にやってくるようになった。正直、非常に迷惑だ。だけど俺が「嫌だ」なんて言ったら、翼は歯に衣着せぬ言い方で今田たちを切り捨てるだろう。
その後、我が身に悲劇が降りかかることは目に見えていた。だから、受け入れるしかなかった。
「お邪魔しまーす!」
大声を上げて入って来た今田の後ろには、見たことのない少年がふたり立っていた。制服もウチのものじゃないから、他校の生徒なんだろう。翼を見て芸能人を見たかのように騒ぎ立てる。
「うっわ! マジで美人!」
「やべぇ~! マジだ~! すげぇ~!」
「急に来てごめんなぁ?」
今田が翼に猫なで声をかけた。
「いいよ別に、暇してたしね」
両親が家に全くいないという状況は、遊び盛りの男子高校生たちにはもってこいの集い場となった。
今田たちは持ち込んだ菓子やジュースを次々にテーブルへと広げていく。
「いっぱい買ってきたから、翼くん好きなの取っていいよ~」
媚びるような目つきで見つめる今田から、俺へと翼が視線を向ける。
「翔ちゃん」
名前を呼ばれただけで、何を言いたいのか分かった。同じリビングにいながら、ひとりソファに座ったままテレビに向かっていた俺に、今田たちの輪の中へ来いと呼んでいるのだ。けど、俺がその輪に入り歓迎される訳がない。
案の定、呼ばれ振り向いたその先。翼の後ろで今田とその友人二人が渋い顔をこちらに向けていた。
「いらない」
「翔ちゃん」
「いらないって言ってンだろ。勝手にやってろよ、俺はテレビ見てる」
本当は部屋から出てしまいたかったけど、ここから出れば翼までついてくるのは間違いなかった。それはそれで今田たちの嫉妬を買うことになるのだから、これでも譲歩したつもりだったのだ。でも…、
「じゃあ俺もいらない」
「えっ、なんで!?」
「翔ちゃんとテレビ見る。もう帰ってくれる?」
「翼くん!」
今田がイラついた声を上げた。
「そんな奴ほっとけよ! いらないって言ってんだからさぁ!」
そうだそうだと、今田の友人たちが加勢して声をあげる。
「大体そいつ、いっつも翼くんの後を金魚の糞みたいにひっついててウザイんだよ!」
「つーかその地味男誰なわけ~?」
「その顔で翼くんにくっつくとか(笑)」
「そいつ一応翼くんの兄弟なんだよ。しかも双子」
「双子!? どこが!? どこらへんが!?」
「かわいそー! そんだけ出来が違うとか寧ろ哀れ?」
散々な暴言とゲラゲラ笑う声に、遂に頭の中で何かがキレた。ソファから立ち上がり、目の前のローテーブルを思い切り蹴った。
「黙れっ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れッッ! お前らの節穴で見た世界が全てだとか思ってんじゃねぇぞ! お前らが欲しいなら、そんな奴いくらでもくれてやるよ! 俺はそんな奴と、一秒たりとも一緒になんか居たくねぇんだよ!」
「はぁ!?」
自分の心酔する翼を貶されて、今田が眉を吊り上げた。そうして一歩俺に近づこうとした今田は、だけど一際冷たく凍えるような声に足を止めた。
「そんな奴って、俺のこと?」
真顔の翼が俺を見つめている。
「お前以外に誰がいんだよ。毎日毎日、高校生になってまでベタベタベタベタくっつきやがって! お前のせいでどれだけ俺が外野に詰られてるか分かってんのかよ!? 今目の前で、お前のせいでどれだけ暴言浴びたか分かってんのかよ!?」
「外野の言うことなんて気にしなければいいだけだよ。俺たちは、お互いの言葉だけ聞こえていればそれでいい。俺たちは、お互いだけ見えてればそれでいいんだよ。他の誰が何を言おうとどうだっていい」
「お前…お前が俺と同じ立場だったとして、同じこと言えるのか?」
「言えるよ」
「嘘つくな!」
「嘘じゃない。俺は、翔ちゃんが居ればそれでいいもの」
「だからっ、俺はそれが嫌んだよッ!!」
もう一度、ローテーブルを蹴り飛ばした。
「もう嫌なんだよお前と一緒にいるのが! お前のせいで、父さんが出ていった! お前のせいで、学校にも居場所がない! お前が、俺の真似ばかりして…わざと成績落としたりするから! そのせいで、先生たちからの風当たりも強くなった! なぁ…もういいだろ!? 俺たちもう高校生なんだぞ? そこまで一緒にする必要あんのかよ!?」
「教師なんて無視すればいい。俺は翔ちゃんから離れない、他のことなんてどうでもいい。必要とか、必要ないとか意味がわからない。そんなこと考える必要が、まずないんだよ」
「翼ッ!」
「俺たちが一緒にいるのに、年齢が関係あるの?」
「お前、一生俺と一緒にいる気かよ!? 将来のこと考えてんのか? 彼女は? 結婚は? いずれみんな、それぞれ別々の道を歩くようになるんだぞ!?」
翼が意味がわからないとばかりに眉をひそめるから、俺はハッ、と溜め息のような笑いを漏らした。
「まさか、俺とセックスまでする気じゃないだろうな」
冗談のつもりだった。
その言葉で、目を覚ましてくれるはずだと、そう、思って…。
「俺は翔ちゃんを抱くつもりだよ。もう少し、待ってあげようと思ってたけど」
リビングがシンと静まり返った。息一つしても、音が響きそうだった。
「寧ろ、翔ちゃんは俺以外とセックスする気だったの?」
俺の全身の血が一気に下がる。思わずくらりとして、その場でタタラを踏んだ。
「じょ、冗談だろ……やめろよ翼…俺たち兄弟…」
「だからでしょう。こんな奇跡、他にある?」
ゆったりと、恍惚に笑んだ翼に寒気がした。
「いい加減にしろよ! お前、異常だよ! 俺は嫌だ、お前とそんなことするくらいなら、死んだほうがマシだ!」
こんな状況になったら、きっと誰だってこう叫ぶだろう。実際に死ぬ気なんてなくたって、こう…叫んだだろう。
「だったら、本当に死んだ方がマシか試してあげようか」
そう言ってから、俺の目の前に翼が立つまであっという間だった。
「あ"ぁ"あ"あ"っ!!」
髪を、容赦なく掴みあげられた。頭皮が引き攣れ剥がれそうな痛みに思わず叫び声を上げた。
そのままズルズルと引きずられ連れて行かれたのはバスルーム。
服を着たまま浴槽へ突き飛ばされ、昨夜ためた湯の残りに落っこちた。そのまま頭を押さえつけられ、顔は水の中に沈んだ。
驚きに空気を全部吐き、直ぐに溺れかけて暴れる。もがいてもがいてもがいて、漸く掴み上げられたと思ったら、また水の中に押さえ込まれた。
水の中で本物の恐怖にのまれる。頭を抑える翼の手を、必死で掻き毟るがあまり意味はなかった。
俺が抵抗もできなくなるほどぐったりした頃、漸く浴槽の外に引きずり出された。
「まだ死んだ方がマシだって、思う?」
頭の中では「Yes」だと答えた。でも、本当に殺されそうになってまでそれを口にする勇気はもう、なくなっていた。
水に濡れていてもわかる程の涙と鼻水にまみれた顔で、俺はゆっくりと首を横に振った。それを見下ろしていた翼は、俺が掻きむしって傷だらけになった腕をべろりと舐め上げ、その口角を引き上げる。
バスルームの入口で、血の気を引かせた真っ青な顔の今田たちが、俺たちを見つめていた。
「ひっ、ぃ"い"っ、やっ、あ"っあっ!」
受け入れる為になどできていない器官に、全く似ていない双子の弟を入れられていた。
「翔ちゃん…翔ちゃんッ」
翼が涙を流しながら腰を揺する。
ひたすら激しく揺すられる俺は、腕も足も、これ以上ないってくらい大きく広げていた。溺れたすぐ後に襲われたのでは、抵抗のしようもなかった。
今田たちは、獣になった翼を見て、血相を変えて逃げ帰った。だからもう、この家の中には俺たち以外誰もいない。誰も、俺を助けてはくれない。
「やっと…やっとひとつになれたね……」
「ひあっ、う"っ、う"っ、あっ、あぁ"あ"ッ」
俺を悍ましい凶器で貫いたその日から、翼はコンタクトを外し、髪を染めるのをやめた。
END
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