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9★4・ETOILEのあやしい噂

 暑い……。  さすがに七月も二週目に入ると日中の暑さが違う。 歩いてるだけで汗が全身から噴き出してくる感じ。  ライブ会場でかく汗とは違う、あんまり爽やかじゃない方のやつだから早くホテルに戻ってシャワー浴びたい。  真夏の撮影でもカメラが回ってる以上は涼し気な顔してなきゃいけないんだけど、聞いたところによると本番中だけ汗をかかなく出来る役者さんも居るらしい。 すごい世界だ。  今日の撮りは俺の出番がそんなに無かった。  それでもちょこちょことほんの数分のシーンの度に駆り出されて、丸一日を費やす。  映画の撮影は期間も時間も長丁場だし、こうして主役じゃなくても俺はほとんど毎日現場に呼ばれて、まだよく分からないスイッチのオンオフを何度も切り替えなきゃならない。  これを生業にしている俳優さん達を本当に尊敬する。  ロケバスのモニターや、スタッフさん達と固まって端から見ているだけでも相当に勉強になる。  撮影への向き合い方だとか、姿勢だとか、レッスンでほんの少し芝居をかじってた程度の俺には、まだまだ実力が足りなさ過ぎると痛感してしまう。  葉璃とETOILEを守りたいという確固たる意識が無ければ、一本目の映画を撮り終わった時点でくじけて「もう芝居はしない」と音を上げていたかもしれない。  頑張ろう、……いや、頑張らなきゃと思わせてくれる葉璃の顔が、早く見たい。  週末である今日、また他県で撮影してる俺に葉璃が会いに来ると今朝のLINEで知ってから、俄然気合いが入った。  順調に進めば夕方には終わりそうだという事と、俺が今日泊まるホテルの場所と名前も伝えてある。  気持ち急ぎめに帰り支度を済ませてロケバスを降りた俺の背中を、ポン、と誰かが叩いた。 「恭也くん、お疲れ様」 「……っ、あ、陽子さん。 お疲れ様です」  振り返ると、この映画の主役である向井陽子さん(先日俺が押し倒していた女優さん)がにっこり微笑んで俺を見上げてきた。  ……嫌な予感……。 「これからホテル直帰?」 「はい、そうです」 「私もなの。 ご飯行かない? いい店知ってるの」 「あ……すみません。 葉璃が、こっちに来てるので……」 「あぁ、そうなの。 じゃあハルくんも一緒に行こうよ」 「葉璃はご存知の通り、人見知りだし、俺も素面はこんなだし、面白くないと思うので、陽子さんに悪いです。 申し訳ないです」  いつもはスタッフさん達と一緒に夜ご飯を共にするのに、今日は直に誘いをかけてきた陽子さんは、芝居中は健気で内気な美少女を演じているけど、実際はかなりの肉食系女子だという噂だ。  歳は俺より三つ上で、芸歴は六年くらい。 年齢よりも幼く見える、かなり童顔の男受けし そうな美人だ。  まぁ俺にとっては、葉璃以上に可愛くて素敵な人は居ないと思ってるし、いくら誘われたところで頷く事はない。  それに、よく知らない陽子さんと食事だなんて、俺に会いに来た葉璃が絶対に萎縮してカチコチになるのが分かっていて、OKするはずないしね。  というより二人の時間を邪魔されたくなかった。 早い話が、それだけだ。  俺が即答した事で不機嫌になるかと思いきや、陽子さんは「そっか」と含み笑いを見せる。 「ねぇねぇ、あなた達デキてるって噂ほんとなの? 恭也くん追い掛けてハルくんがここまで来てるって、そりゃ怪しまれちゃうよ」 「ふふっ……ご想像に、お任せします」 「ハルくんもホテルに泊まったりして?」 「あぁ……どうするのかな。 前回は、泊まらなかったので、今日は、泊まるかもしれません」 「へぇ……同業で恭也くん狙ってる子多いんだけど、その様子じゃ誰もあなたをものに出来ないわね」  それじゃお疲れ様、と女優スマイルを見せて背を向けた陽子さんに、俺も「お疲れ様でした」と返す。  ……俺、狙われてるんだ……しかも葉璃の存在がここでも目くらましになってるらしい。  どっちとも受け取れる返しをして正解だった。  陽子さんが感じたままをお友達の女優さん達に触れ回ってくれれば、きっとさらに俺と葉璃の噂に信憑性が増す。  タクシーに乗ってホテルへと急ぐ間、今日は葉璃、泊まってくれたらいいなと無茶を思った。  セナさんがいるからには、絶対にそんな嬉しい事は起こらないって分かっているのに期待してしまう。 「恭也っ、こっちこっち!」 「お待たせ」  マスクをした葉璃が、自動ドアをくぐってすぐの俺に小さく手招きしていた。  「お疲れさま」と目を細めて見上げてくる葉璃は、今日もどこがとは言えないくらい全部可愛い。  随分伸びてきた髪を後ろで一つに結った葉璃は、本当に女の子みたいだ。 ……これを言うと、ほっぺたが膨らんで怒り始めるから言わないでおく。 「ごめん、ごはん行く前に、シャワー浴びていい? 部屋で待ってて、ほしい」 「いいよ! 今日も暑かったもんね。 俺も来る前にシャワー浴びて来たんだけど、もう汗かいちゃった。 恭也のあと俺も浴びよっかな」 「えっ……あ、うん。 いいよ」  ───俺ってば、何考えてるんだろう。  葉璃は「シャワーを浴びる」って言っただけなのに、一瞬ドキッとしてしまったのは、今日の葉璃が髪を結って女の子みたいだからだ。 うん、きっとそう。  エレベーターに乗り込んで五のボタンを押し、無意識に階数ランプを見上げていると陽子さんの台詞が頭によぎった。  どうやらここまで送ってくれたルイさんは帰ってしまったみたいだから、夜はどうするのか……気になる。 「今日、帰っちゃう、よね?」 「んー……どうしよう。 聖南さんには恭也のとこ行くって言って来たけど、さすがに泊まるって言うとヤキモチ焼きそう」 「だろうね。 何にも、しないんだけどな」 「ねー」 「抱き枕には、するかも、しれない」 「それはマズイ」 「ふふっ……やっぱり?」    どうやって帰るのかはさておき、セナさんの手前、俺とシングルルームのベッドで身を寄せ合って眠るなんて許してもらえないよね。  手を出さない自信はあるけど、抱き締めない自信はない。  俺達がデキてるという、世間や業界の噂にほんの少し真実が加わってもいいんじゃないのかな?  ……とはいえ、葉璃にこんな事を言ったところで拍子抜けなほどキョトンとされるのがオチだ。

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