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 スマホ片手に逃げるように廊下へと出た聖南は、成田の「セナか!?」という大袈裟な声に面食らった。 「おぅ、どうした?」 『ったく……昨日全然連絡がつかなくて困ってたんだぞ!』 「あぁ……悪い。 土日は超大事な用事あって……って、成田さんは知ってるだろ」 『分かってたんだけどな! でもハルくんも電源落としてるなんてやり過ぎじゃないか? セナがそうしろって言ったのか?』 「俺がそんな事言うわけねぇじゃん。 ……へぇ、電源落としてたんだ」 『ニヤニヤするな! 羨ましい!』  昨日は終日、葉璃とイチャイチャしていた。  二日連続で誕生日がきた、と可愛い事を呟き、聖南からのプレゼントを開けて意味を悟った葉璃は遠慮がちではあったが喜んでくれた。  今年はいかがわしい細工を施していない、丸いトップにダイヤを埋め込んだチェーンの細いネックレスを選んだ。  いかがわしい方のネックレスは三カ月から半年おきにアップグレードしているので、絶対に外させてはならない。  葉璃を物理的に、かつ精神的にも縛るその二つのネックレスを付けてもらい、悦に浸った昨日のセックスは大変良かった。  穢れ無き葉璃の心が聖南に染まっている。  鎖骨辺りで揺れるそれを見やり、悶え泣く可愛い人を愛しまくった聖南の充足感といったらなかった。  誰からも何からも邪魔される事なく愛し合えたのは、葉璃も聖南と同じ気持ちだったからなのだ。  そんな事を知ってしまうと、つい先程下のロビーで分かれた葉璃にもう会いたくなる。  抱き締めて、照れて俯く細い顎を取って上向かせ、キスしたくなる。 「───いや、てか用件は?」  葉璃との濃厚な逢瀬を思い出していた聖南は、電話の向こうで「おーい!」と呼ぶ成田を数分間無視していた。 『あっ! 忘れるとこだったじゃないか! 昨日の朝一でな、SHDサイドから社長に連絡があったんだ』 「うん。 なんて?」 『セナ達が帰ったあと、双方言いたいことを言い合ったらしい。 その流れで、ハルくんが任務を終えた後の年始からの動き含めて、話し合いもしたんだと』 「……そっか。 良かったじゃん」  花火デートのために脇に追いやっていた問題を、すっかり忘れていた。  葉璃は明日からまた "ヒナタ" として週に三回、SHDのレッスンスタジオに向かうスケジュールになっている。  この件の解決が見えなければ聖南が再び出しゃばるしかないと考えていたが、どうやら葉璃のトドメが彼らを歩み寄らせたらしい。  あのたどたどしい "ヒナタ" の言葉が無ければ恐らく、嫉妬心を生んでいるLilyの面々の心は動かなかった。 『まぁそれで、SHDの幹部連中がセナとハルくんに一言詫び入れたいって。 どうする?』 「俺には詫びなんてしなくていい。 俺はそんなの受け取らねぇって、社長も分かってると思うぞ」 『……社長が言ってた通りだな。 分かった、じゃあそう返事しておく。 ハルくんへは何が何でも謝罪してもらうけどな』 「あぁ。 幹部連中よりメンバーからの謝罪が欲しい」 『俺もそう思っていたとこだ』  通話を切った聖南は、スマホをポケットにしまって小さく溜め息を吐いた。  もちろん、すぐに事態が好転する事はないだろう。 事務所への不信感はそう簡単に拭われず、葉璃への対応もそうだ。  女性の嫉妬は根が深い。  たとえ葉璃がどれだけメンバーへ感謝の意を伝えても、それが嫌味と受け取られて裏目に出る場合も大いに考えられる。  そうでない事を祈るしかないが、今は葉璃の強さと卑屈さで乗り切ってもらう他ない。  次に何かあった時、聖南の出しゃばるタイミングを図らねば大事になる気がした。 「悪いな、レイチェル。 俺次の仕事あるからもう出るぞ」  腕時計を確認し、不穏な空気を感じた重たい扉を開いた。  顔だけ覗かせるつもりが、思いがけずすぐ目の前にレイチェルは佇んでいて腕を引かれてしまう。 「あっ、セナさん……もう少しだけ、……お話が」 「うわ、……ちょっ、何?」  葉璃より上背がありそうなレイチェルの強引さに、聖南の表情は瞬時に曇った。  これ以上ここに居ると、よくない事を聞かされる。  綺麗どころの女性共演者達から今もなお夜の誘いがある聖南だが、「無理無理!」と笑い飛ばして交わせていた熱量とは、どう考えても違いそうなのである。  聖南を見上げてくる濃い青色の瞳が、明らかな真剣さを物語っていた。 「私、セナさんの心を射止めたいのです」 「…………ん?」  ほら見てみろ、と聖南の頭の中で警鐘が鳴り始めた。  唖然とレイチェルを見下ろし、匂わせではなく完全なる告白を受けた聖南は瞬きを繰り返した。  単なる遊びで、「セナさん抱いてよー」と群がってくる女達とは訳が違う。  迂闊に拒絶出来ない熱心さなど、感じたくなかった。 「セナさんに恋人がいらっしゃると知ってから、私……なんだかずっと胸が苦しいのです」 「………………」 「あの曲のようにポジティブに、セナさんを想っていてもよろしいでしょうか」  そういえば、ラジオでその類の発言をした生放送終わりに、レイチェルから着信があった事を聖南は思い出した。  あの時も何やら気落ちした声で、恋人の存在の確認をされた記憶がある。  あれはこういう事だったのか。  理解に至った聖南は、じわじわと後退った。  気軽な夜の誘いではなく、これほど熱を帯びた真剣な告白というものを、思い返せば聖南は受けた事がないかもしれない。  大切な人が居る以上、いくら想われても無理なものは無理なのだが、咄嗟に断る言葉を思い付かない聖南は自他ともに認める、性経験ばかり多い恋愛初心者だった。  かつても言い寄ってきた女が居て、無下に拒絶しその後大変な事件へと発展した。  あの時の二の舞いにならないよう、うまく断わらねば万が一葉璃に実害が及んでもいけない。  ───想ってるだけだったらいいか、……? 「いや、よくない。 全然よくない」  面倒事を避けたいあまり、現実逃避しかけた聖南は自身とレイチェル両方に向けてツッコミを入れた。  想われていても、はっきり言って迷惑なだけだ。  しかしそれをストレートに告げてしまうと、日本語を巧みに語る異国の女性がどんな反応を見せるのか、まったく予想がつかない。  次の仕事があるというのは本当なので、簡潔な言葉を選んでいた聖南にレイチェルがじわじわと距離を詰めてくる。 「……今は、想っているだけで幸せですの。 でも私は……何年かかっても、セナさんの心を射止めたいのです」 「………………」 「このお仕事とプライベートはきちんと分けます。 セナさんを困らせるような事はいたしません。 ひっそりと想っていられれば……」 「と、とりあえず、曲を仕上げる。 レコーディングは来月だと思っててくれ。 その間は今まで通りボイトレと、事務所の広報と打ち合わせな。 あ、そのデータはレイチェルが持ってていいから」 「お待ちください、セナさん……!」  珍しく狼狽した聖南は、レイチェルから腕を取られそうになるも寸でのところで交わした。  言葉は悪いが、またしても逃げたのである。  過去の失敗から、この手の事に真摯に対応するスキルが著しく乏しいせいだった。

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