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 そういえば以前もそんな事を言っていた気がする。  別れ話がもつれて、アイさんがおかしくなって暴れたところを押さえつけた……それをDVだって騒がれて警察沙汰になったんだっけ。  水瀬さんの表情を見ると、明らかにアイさんを厄介者扱いしてるのが分かる。 「へぇ、……そうなんですね」 「俺知らなかったんだけど、アイツETOILEがデビューしてからずっと恭也のファンだったらしくてさ。 共演してるって知られてサインねだられたんだ。 約束果たしてくれたら別れてもいいって」 「………………」  〝別れてもいい〟?  アイさんの言ってる事が全然、まったく、理解出来ないんだけど。  ファンでいてくれるのは嬉しいよ、嬉しいけれど……そんな事を別れ話の交換条件にするなんておかしくない?  意味不明過ぎる。  その程度の好意で人と付き合って大事にするくらいなら、はじめから騒がなければよかったのに。  俺は普段あんまりイライラする事がないせいか、胸元に沸々と湧く淀んだ感情が気持ち悪くて仕方がない。  人の彼女をとやかく言いたくも、思いたくもないんだけどな。 水瀬さんのやれやれ顔が理解出来てしまう。  ていうか、そもそもの話。  ただのカップルの揉め事の末、何にも関係ない葉璃が被害を被っていると思うとカチンとくるな。  仕事だから仕方ないとはいえ、一番そばに居てあげたかった時期に、葉璃が女の子の集団の中でずっと一人で耐えていた事を考えると……どう少なく見積っても許せる範疇を超えている。  すごく個人的な感情を挟んでしまって水瀬さんには悪いけれど、ひとまず俺にまつわる交換条件とやらを聞いて、無理だと思ったら即断ろう。  アイさんはどうも水瀬さんと別れたくないように思えるから、俺に無理難題吹っかけてる可能性がある。  大切な親友であり相方が、到底不可能と思われた極秘任務を背負わされてるんだ。  無茶な頼みごとを呑むほど、俺はそんなに良い人じゃない。 「それで……俺は何をしたら……?」 「あ、そうそう」  問うと水瀬さんは踵を返し、黒地に蛍光ピンク色の英字が書かれた手提げ鞄をゴソゴソし始めた。  静かに動向を見守っていると、一枚の色紙をスッと手渡される。  これは何ですか、と再び問うまでもない。 「サイン書いてくんねぇ? あと出来ればボイメも欲しい」 「えっ……えぇっ? サイン……? ボイメって……っ?」 「ボイスメッセージ。 何でもいいからさ」 「………………」 「恭也は元々アイドルやってんじゃん? 俺とは畑が違ぇから、クランクアップしたらあとは舞台挨拶しか会う機会無えし……俺を助けると思って頼むよ」 「た、助け……」  裏を読み過ぎて身構えていた俺は、あくまでも普通の頼みごとに目が点になった。  別れ話をしたくない一心で、顔もよく知らないアイさんがナチュラルに俺を利用しているのかと勘ぐってしまったじゃん……。  色紙を差し出す水瀬さんが、「無理?」と苦笑する。  困ったな……。  そんなに、そこまでして、別れたいのか……。  逆に水瀬さんが俺を利用していると言っていい口振りに、いつの間にか、葉璃同様に俺までもカップルの痴話喧嘩に巻き込まれている事に気付く。 「あの……水瀬さん。 一つだけ伺っても、いいですか?」 「何?」  俺は正直、二人が付き合いを続けようが別れようが、どっちでもいい。  色紙を受け取って承諾の意思を見せながら、俺が二番目に不安視しているあの件の真相を聞いてみる事にした。 「以前お二人のいざこざが、警察沙汰になったって、仰ってましたけど、本当なんですか?」 「あぁ、それな。 結果的にカップルの痴話喧嘩って事で民事不介入。 警察とのやり取りってめちゃめちゃめんどくさくて、かなり時間かかったけど事件性は無いって判断で終わった。 だから俺、警察沙汰になり〝かけた〟って言ったと思うけど」 「あ、あぁ……そう言われると……」 「でもさ、あっちはアイドルじゃん? で、俺も一応役者やってて今が大事な時期っつー事で、事務所同士の話し合いでお互い謹慎処分になったんだよな」 「……そういう事、ですか。 なるほど……」  うわぁ、なんだ……。 という事は、俺が早とちりしただけだったのか。  焦るあまり相談を急いだ俺の、完全なる落ち度……。  あの時、話を真剣に聞いていたセナさんは、それが本当ならとんでもないネタだと、事務所の顧問弁護士さんにすぐさま連絡を取り、実行してくれた。  そして全くの無関係とは言えない葉璃にも、その場に居合わせただけでギョッとなる話を聞かせてしまって、今さら申し訳なくなる。  これについてはきちんと、俺が早とちりしていた詫びを含めて、セナさんに訂正の連絡を入れておこう。 「何、もしかしたら映画がお蔵になるかもって不安だった?」 「まぁ、……正直、そう思わなくも、……」 「ぶは……っ、そりゃ当然だ。 俺もいきなり恭也に暴露っちまって悪かったよ。 なんかお前って、秘密抱えたら墓場まで持ってってくれそうなんだよな。 泊まるとこ探してたのもあるけど、ダチ以外で愚痴ったの恭也が初めてなんだぜ」 「………………」  いや……そんな事ない。  俺は葉璃みたいに、健気に秘密を抱えたままで居られない。 何かあったら解決を急ぐ節もあって、ぐるぐると思い悩む事もほとんど無くて。  同じ根暗同士なのに、葉璃と俺が決定的に違うのはそこだ。  それはなぜかと考えるも、すぐに結論が出る。  俺は葉璃に支えられて生かされているけれど、俺も葉璃をしっかりと支えていかなきゃいけないからだ。 「水瀬さん、連絡先って、交換できたりします?」 「えっ? いいのかよ! それって恭也の直電!?」 「はい。 ボイメは、ちょっと恥ずかしいので、電話で直接、お話します。 彼女さんさえ、良ければ」 「マジで!? そんなの願ってもねぇよ! 俺も助かる、アイも喜ぶ、Win-Winってやつじゃん! あ、でも恭也は何も得が無えか」 「俺は、こんなに身近に、ファンの方が居ると知れただけで、得しましたよ」 「アイドルの鏡か! お前イイヤツな〜!」  サインを書いている最中に二の腕をパシパシと叩かれ、〝アイさんへ〟の文字が少し歪んだ。  ……いいヤツ、か。  さっきとは打って変わった水瀬さんのご機嫌な笑顔を、ペンを走らせつつ横目で伺う。  この時俺は初めて、自分で自分を〝(したた)かかもしれない〟と思った。

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