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この歳になってまで売られた喧嘩は買わない……などと冷静で居られる聖南ではない。
過去を知られている佐々木の挑発に乗った聖南は、「なんだと!?」と声を荒げた。葉璃が関わると正気を失うのが玉にキズだ。
アキラと成田はその瞬間、顔を見合わせた。
「……いやっ、間違いねぇ! 俺はケチでいい! だから妄想して葉璃で抜くな!」
『お二人に迷惑をかけているわけではありません。男の自然現象ゆえ致し方のない事。処理の方法などあなたに指図されたくない。妄想は自由です』
「俺の葉璃で抜くなっつってんの! 妄想で葉璃を汚すな! 俺の葉璃だ!」
『〜〜っ、あぁもう、うるせぇな! 実物抱けねぇんだから妄想するくらいいいだろーが! こっちはキス止まりで思い出はその一つしかねぇんだ! 虚しい失恋野郎が想像だけで抜いてんだよ! 俺から妄想まで奪うな!』
「そういやお前……っ、俺の前で葉璃といっぺんキスしてたな!? 唇切り落としに行っていい!?」
『やれるもんならやってみやがれ!』
「おぅ、やってやろうじゃん! 今すぐ行ってやるよ!」
「おい、セナ。熱くなるな」
物騒な発言とヒートアップした二人の言い合いに呆れたアキラが、構わず口を挟んだ。
普段の冷静さを欠いた佐々木と聖南の言い合いの終盤は、必ずタイマン勝負へと繋がっていく。
二人ともが少々どころではないヤンチャ時代を経験しているため、遠慮無く言い争うのは勝手にしてくれと言いたいが、これを聞いた葉璃がどう思うか。
知らぬところで自分を話題に口喧嘩しているなど、葉璃が知ったら二人ともが叱られる対象だ。
「ったく……」と溜め息を吐くアキラに対し、成田は後部座席から身を乗り出し戦々恐々としている。
「そ、そうだぞ。セナ落ち着けよ」
「思いっきり話逸れてるしな」
「昔のセナ思い出すぜ……佐々木さんも押さえて押さえて」
『……その声は、アキラさんと成田さんですか。失礼いたしました。お聞き苦しいところを……』
第三者が居ると知り、我にかえった佐々木の声色はネクタイを直す様が浮かぶ。
聖南も同じく、眼鏡を外し眉間を指で解し馴染ませた。心を許しているからと、どうも佐々木からの挑発には軽率に乗り、遠慮が無くなってしまう。
「お、おぉ、……ったく。樹が急にワケの分かんねぇ事言い始めっから……」
『……それで? 私は当日、うさぎちゃんについていたらいいんですか?』
「樹のスケジュールが空いてるならな。無理はしなくていい。無茶な事言ってんの分かってる」
『うさぎちゃんのためならどんな手を使ってでも時間を作ります。任せてください』
「樹ならそう言ってくれると思ってた。ありがとな」
先刻の喧嘩が嘘のように、アキラと成田が見つめるなか二人は淡々と会話を交わした。
両者ともに我を忘れて〝葉璃〟と名前を連呼していたが、正気を取り戻し〝うさぎちゃん〟に言い換えている。
昨年の事件に関して、挑発の苛立ちをさておけるほど聖南には佐々木の存在がありがたかったのだ。
自らが身動きの取れない立場であるからには、誰が何と言おうと周囲の助けは絶対に必要で、その時真っ先に浮かんだのが佐々木だった。
聖南と葉璃の秘密の恋には、協力者が居てこそ成り立つ。業界の特異性上、このように明らかな危険が迫っている時は聖南だけの力ではどうにも出来ない。
葉璃にいいところを見せたい、何としてでも自分が守ってみせる……確かに本音はそう格好良く言い切りたいところだ。
しかし聖南は、一人で抱え込む性分をやめなければ葉璃を守れないと思った。
二度とあの綺麗な体と心に傷を負わせたくない。その一心である。
葉璃から初めて、気持ちの上で〝離れないで〟と言ってもらえた聖南は、そこで踏ん切りがついた。
『話は以上で?』
「……あ、そうそう。あと一つ聞きたい事あるんだけど」
『なんでしょう?』
「夏にヒナタが業界で騒がれてるって言ってたじゃん? 春香には被害無えか?」
『春香ですか? ……特には何も』
「そうか……」
聖南は顎に手をあて、斜め上を見た。
夏の特番に出演した際、佐々木から受けた忠告はマスコミが張っている事ともう一つ、ヒナタが業界内から注目されている事だった。
──あの姿を見て、誰も春香だと疑わねぇのは何でだ? メイクはまったく違うけど、知ってる奴が見たらそう見えるんじゃ……? マスコミはともかくLilyとmemoryのファンは気付きそうなもんだけど。
そういう声が上がっているのなら、佐々木から聖南に情報が渡るはずで。
一番身近に居るルイすらも気付かなかったそれは、すなわち葉璃扮する〝ヒナタ〟は本当に一人の女性として世間に認知されているという事。
聖南が確認しておきたかったのは、葉璃と春香が姉弟だという事をアイが突き止めているかどうか。
春香に何ら被害が及んでいないのなら、もしかすると昨晩浮かんだ聖南の考えが有効かもしれない。
『セナさん。ちなみに春香は、うさぎちゃんの任務については知らないのですよね?』
「ああ、うさぎちゃんは何も話してねぇと思う。memoryが初ツアーだって知ってんだろうから、余計な心配かけたくねぇとか考えてそう」
『あり得ますね。……話を通しておきましょうか?』
「頼むわ。でも春香以外には、他言無用で」
『分かりました』
聖南の計画を読んだのかは分からないが、頭の切れる佐々木はすぐさま意向を汲んだ。
これだから聖南は、彼を嫌いになれない。
「じゃあ樹、当日よろしくな」
『分かりました。合流出来る時間が分かり次第、セナさんに連絡します』
「了解」
途中は自身でさえどうなる事かと思ったが、この場にアキラと成田が居てくれて良かった。
速やかに佐々木が頷いてくれた事で、聖南はひとまずホッと胸を撫で下ろす。
協力者は一人でも多い方がいい。
確実に葉璃を守るため、今はなりふり構っていられない。
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