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「リカ、もうやめなよ」  重苦しい空気が漂うなか、怖い笑顔を浮かべたままのリカさん達の背後から、至って冷静な女性の声がした。  あ、……ミナミさんだ。  腕を組んだミナミさんはゆっくり俺に近付いてしゃがむと、固くなった靴紐を一分足らずで解いてくれた。  ありがとうございます、とお礼を言った俺に、笑顔をくれる。その笑顔は、リカさん達のものとは違って穏やかさで溢れていた。  それの何が気に食わなかったのか、リカさん達は悪意の矛先を俺からミナミさんに変えてしまう。 「何よ、ミナミはいっつも誰にでもいい顔して」 「ミナミだって不満あるんでしょ? それなのに、リーダーだからっていい人ぶらなきゃいけなくて大変ね」 「何にも出来ないくせに」 「ちょっ……! 言い過ぎじゃ……っ」  黙ってられなかった俺は、立ち上がって抗議しようとした。  けれど、同じく立ち上がったミナミさんの左手に制される。 「……本番は明後日なのよ。今ここでハルに不満ぶつけるのは違うでしょ。……どうしてあなた達はそうなの? 何回同じことを繰り返す気なの?」 「どういう意味よ」 「聞き捨てならないんだけど」 「み、ミナミさん……っ」  きっと、アイさん不在で一番彼女たちに手を焼いているはずのミナミさんが、俺の前で初めてくらいの勢いで静かに怒っていた。  空気が悪くなるから、実害がない以上あまり俺にも肩入れ出来ないって謝られた事があるけど、そんなの俺は気にしてなかった。  歌番組の本番前に打ちのめされて、聖南に慰めてもらったあの時から、俺の意識は変わった。ちょっと陰口言われたりする程度なら耐えられるようになった。  何たって俺は、根っからの卑屈ネガティブだし。 「ミナミ、さん……」  俺より少し背の高いミナミさんが、リカさん達の前に毅然と立った。  女性らしい華奢な背中だけどすごく凛としていて、ほとんど言い返せない俺なんかよりずっとたくましい。  でも……まだ俺の任務間もない頃、ミナミさんがとてもツラそうに心境を吐露してたの……俺は忘れてないよ。  だからってわけじゃないけど、ミナミさんは俺を庇うためにリカさん達の前に立ったんだと思ったんだ。 「どういう意味かって、自分達がしてきた事でしょ? 忘れたの? アイの事もそうやって追い詰めてたじゃない。あの子が男に走ったのも、あなた達がアイのポジションに嫉妬して冷たくあたりだしたからでしょ。ここには居場所がないって、足立さんに泣いて相談してたの……あなた達も知ってると思うけど?」 「えっ?」 「………………」 「………………」  そ、そうだったの……!?  リカさん達は俺にだけじゃなく、アイさんにも同じような陰湿ないじめをしていた……?  しかもその理由が、ポジション争い……。  ミナミさんの言葉に黙ってしまった、リカさん達の怖い笑顔が消えた。  ……ミナミさんの言ったことが本当だっていう、何よりの証拠だ。  俺も体験してしまったから分かる。  ツラくあたられて、陰湿な悪意を向けられて、集団で一人を排除するよう仕向けられたら、こんな大人数の場では居場所が無くなるのも当然だよ……!  離脱理由も、俺を陥れようとしてる件も許される事じゃないけど、根本はリカさん達だったんじゃん……!  衝撃の事実に唖然となった俺は、ミナミさんが自嘲気味に笑う声で我にかえった。 「アイは復讐しようとしてるのよ。私達と、事務所に。……本当にLilyの終わりは近いわ」  行きましょ、とミナミさんから背中を押される。廊下へ出ると、そのまま女性専用の更衣室に連れてかれた。  恭也が直談判してくれて以来、俺は二階の個室を使わせてもらえてるから、ここには久しぶりに入った。 「ミナミさん……さっきの話、……」 「ごめんね、いきなり割って入っちゃって」 「い、いえ、……」  話があって俺をここに連れて来たんだろうけど、早く出て行かないとメンバー達が来ちゃうと思って焦った。  つい扉の向こうに気を取られる俺に、はぁ、と大きなため息を吐いたミナミさんが笑いかけてくる。 「なんかもう、我慢するのバカらしくなっちゃった」 「……ミナミ、さん……」 「アイが離脱した理由、ハルは知ってるのよね?」 「……はい」 「そうなる理由もあったのよ。当時の私にはどうすることも出来なかったけど」  そう言って床に腰を下ろしたミナミさんは、何もかも疲れたと言いたげに俯いてしまった。  どうすることも出来なかったっていうのは、さっきの話なんだろう。  グループのリーダーだからって、今も事務所はミナミさんにすべてを丸投げしていて、なぜかそれで大丈夫だと思ってる。  こんなにグチャグチャになってるのに。 「あの……、アイさんは、リカさん達にいびられておかしくなっちゃったんですか?」 「そうだと思う。離脱直前のV観てもらうと分かるんだけど、あの子激痩せしてファンからも心配されてたの。表向きの離脱理由は怪我になってるけど、あれだけ病的に痩せてたら離脱も仕方ないってファンも気付いてるのよ。だからほとんど、アイに関する問い合わせはきてない。きてるのは、ヒナタの事だけ」 「……そうだったんですか……」 「売れて、有名になって、お金もたくさん貰えるようになって、周りからチヤホヤされると……人って変わっちゃうのよね。貪欲になる。……すごく」 「………………」  そういえばミナミさんからは、離脱したアイさんについての悪口めいた言葉を一つも聞かなかった気がする。  「困ってる」とは言ってたけど、それはアイさんに向けてというより現状に手を焼いての愚痴だった。  俺に悪意や嫉妬の感情を向ける前から、陰湿で貪欲になっていったリカさん達。  やめなよ、と言ってやめる相手じゃないから、ミナミさんは困り果てている。甘い汁を吸ってしまって、限度が分からなくなったリカさん達の行動なんか、制御出来るわけない。  なんのために、アイドルになったの?  みんなで厳しいレッスンに耐えてきたんじゃないの?  発売した曲がランキングに入って、歌番組にも呼ばれて、ファンも増えて、……今が、さらにアイドルとして輝ける時じゃないの? 「……夢だったはずなのに……」 「……え?」 「みんな、ステージで歌って踊るのが夢だったはずなのに。少しずつファンが増えてって、笑顔でいっぱいになる最高の景色、たくさん見てるはずなのに。ファンと仲間を軽視してる。……仲間を何だと思ってるんだろ……」 「……そうね、……〝ライバル〟が〝敵〟になっちゃうんじゃない? 女は嫉妬の塊だもん」 「そんなの……悲しすぎます」  聖南も、ルイさんも、言ってたっけ。  〝ライバルと敵は違う〟って。  嫉妬するくらいならまだいい。でもそれが悪意に変わってしまったら、もうそれはライバルとは呼べない。仲間でもない。  〝敵〟だ。 「一時でも夢を見られて、私は良かったと思ってるよ」  ミナミさんはふと顔を上げて、眩しそうに俺を見て悲しげに微笑んだ。 「そんな……ミナミさんっ、Lilyの終わりは近いって、あれ本気で……っ?」 「本気よ。このまま活動を続けたって何にも得られない。私達がもう楽しめなくなっちゃってるし……いいパフォーマンスが出来る気がしないのよ。それはファンの人達にも失礼、でしょ」 「…………っ」 「明後日が最後だと思ってる。……私はね」  薄暗い更衣室の中が、悲しい思いでいっぱいになった。  こんなはずじゃなかったのにって、ミナミさんはきっとそう思ってるんだ。  夢見たアイドルがこんなにツラいものだとは思わなかった……そう思ってもいそうだった。

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