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滑りやすい道路での運転に気を配りながら、聖南は葉璃の居る病院へと急いだ。
葉璃の容態が急変した事を嫌でも匂わせる、母親の消沈した声色が頭から離れなかった。
眠っているだけ。〝起きたくない〟から目覚めないだけ。……と、そばに居る事を許されない聖南は出来るだけポジティブに考えようと努力していた。
一人寝が出来なくなった今、悪い方へ思考を巡らせると葉璃が恋しいあまり張り裂けそうな胸を押さえ、さめざめと泣いてしまいそうだった。
そんなところへ、葉璃の母親からの心臓に悪い一報。
深夜に聖南を呼び付けるほどだ。
大変な事態になったのだと、外は凍えるような寒さにも関わらず背中に冷や汗が流れた。
ハンドル操作を誤らないよう集中している事で渦巻く不安を少しは忘れていられたが、病院裏口の扉を開けるや待ち構えていた人物の顔を見て、不安は増長した。
「あっ、セナさん!」
「葉璃ママ……! あのっ、葉璃は!? 葉璃に何かあっ……」
「急いでこれに着替えてくれる?」
「えっ!?」
こっちこっち!と母親から手招きされ、従業員用の男子トイレ前に誘導された聖南は、何故か透明の袋に入ったドクターコートと思しき物を手渡された。
一瞬で頭がパニックになる。
しかしよく考えてみると、深夜に近親者でもない人間が院内をウロつくのは母親の体面が悪い。無断で部外者を呼び付けたと知られれば、聖南のせいで倉田親子が注意を受けてしまうかもしれない。
それはマズイと、聖南は若干の動揺を見せながらドクターコートを受け取った。
「こ、これ……? 着替えたらいいんすか?」
「呼び付けてしまった後でこんな事言うのは申し訳ないんだけど、やっぱり夜間に他人を入れちゃダメなんですって。でもどうしてもセナさんには来てほしくて。看護師さんにお願いして新品のコレ、用意してもらったの」
「いやでも、……えぇ?」
「ほらほら、早くっ」
看護師がそれについてを知っているのなら変装の必要は無いだろうと、再度狼狽する聖南の背中を押した母親は「セナさんに触っちゃった!」と小声で狂喜している。
葉璃の容態が急変したにしては、母親は呑気だ。
男子トイレに押し込まれた聖南は、首を傾げながらコートを脱ぎ、代わりにドクターコートを羽織る。
さらによくよく考えてみたが、そもそも聖南が入院患者の部外者かどうかなど他者には分からないのではないか。
〝セナ〟としての知名度が邪魔をし、気軽に院内を闊歩する事が難しいという理由なら話は分かるが……それもあまり腑に落ちない。
しかしながら、これは葉璃の母親の頼みだ。
袖を通したこれに意味があるのだとすれば、それらしく眼鏡を掛け、流していた長めの前髪を水で濡らし後ろに撫で付け、医師を装うしかない。
今は訝しむ時間も惜しい。
「やだっ、まぁぁっ♡ 素敵なお医者様だこと!」
「ちょっ、葉璃ママ……っ」
「写真撮っちゃダメかしらっ? やだ、私ったら! 写真なんてダメよね、セナさんはアイドルだものねっ」
「葉璃ママなら写真なんかいくらでも撮っていいんだけど、それより葉璃は……っ」
「あぁ、そうだった! 早く行ってあげて!」
聖南の姿を見るなりスマホを取り出した母親に、危機感はゼロだ。
電話でのあの消沈ぶりは、ここへ留まる事を遠慮した聖南を呼び付けるための芝居だったのかと、そんな疑いまで持ってしまう。
葉璃が無事に目覚めたのなら、それでいい。
だが〝もしも〟がある。
不安を拭いきれない聖南は、病室へと行く前に小声ではしゃぐ母親に再確認した。
「葉璃は……大丈夫なんすか?」
「ふふっ、行ってみたら分かるわよ」
「え? あっ、葉璃ママ帰るんすかっ?」
「うん。今葉璃に必要なのは、私よりセナさんよ」
「……っ?」
「これが親離れってやつなのかしら? 嬉しいような、寂しいような……複雑な心境だわぁ。あ、タクシー来てるわね」
あとはよろしく、と微笑みと共に言い残し、母親は聖南を置いてさっさと帰って行った。
──俺が居ていいのかよ。
大事な息子を託してもらえてありがたい反面、やはり遠慮が先に立つ。
職員との鉢合わせを避ける為エレベーターは使わず、医師に扮した聖南はVIP専用の病棟がある七階まで階段で上がった。
思いがけずハロウィンの特番時のコスプレを彷彿とさせる格好で、はやる気持ちを抑えて葉璃の待つ病室に佇んだ。
ノックをするべきか、否か。
数秒悩んだ聖南は、コスプレ状態で物音を立てるのはマズイと静かに引き戸を開けた。
「──葉璃ー」
そっと中へと入室し、出来るだけ音を立てぬよう引き戸を支えながら葉璃を呼んでみた。
返事があれば、目覚めている。無ければまた、可愛い寝顔を後悔と共に眺めるだけ。
ここは病室とは思えないほど、何なら聖南がかつて住んでいたワンルームの部屋よりも広々とした空間だ。
「葉璃ー」
カーテンで仕切られたベッドをめがけ、聖南は返答を願いながら恐る恐る歩を進める。じわりとカーテンを捲ると、葉璃は聖南に背中を向けて寝ていた。
やはり目覚めたわけではなかったのか……落ち込んだ聖南が、ふともう一度「葉璃……」と呟いた瞬間、──。
「聖南、さん……?」
「────っ」
葉璃が振り返った。そして、目覚めていた事に驚き目を見開いた聖南と目が合った。
二人はそのまま言葉を発せず、何秒間か見つめ合う。
──葉璃……!
聖南を見詰めるとろんとした葉璃の顔は、まだ眠そうに見えた。
このまま目覚めなかったらどうしようと不安でいっぱいだった聖南の心が、葉璃と目が合っただけで破裂しそうなほどに高鳴った。
一歩、また一歩とベッド脇まで歩むと、喜びのあまり腕に引っ掛けていたコートを投げ捨て、上体を起こそうとした葉璃につい飛び付いてしまう。
「葉璃……っ、葉璃……っ! 良かった……! 目が覚めたんだな、マジで良かった……! 」
「聖南さん……っ、苦しい……っ」
「あ、あぁっ、ごめん!」
薄暗く物静かな室内は、葉璃の声をとても鮮明に聞かせてくれた。
氷のように冷たくなった体、唇まで真っ白になり生気の無くなった寝顔、痛々しく腫れ流血した額……聖南がいくら呼んでも、応答するどころかピクリとも反応しなかった葉璃の姿を目の当たりにしていただけに、心の奥底から安堵し当然のごとく涙腺が緩んだ。
「顔、よく見せて」
「……は、恥ずかしいですよ」
「いいからっ」
この期に及んで照れている葉璃を可愛いと思う前に、目覚めてくれて良かったという安心感の方が強かった。
ベッドに腰掛け、額にガーゼを貼られた葉璃の両頬を取り、涙で歪んだ視界に映る葉璃を捉えた聖南はまじまじと彼の生気を確認した。
抱き締めたくても、目を逸らしたくない。少しでも動くと、照れ屋な葉璃はすぐに聖南から視線を外す。
──葉璃だ……っ。
触れた頬は、温かかった。もう冷たくなかった。
まだ瞼は重そうだが、しっかりと聖南をその魅惑の瞳に映している。
葉璃が黙っているからと何分もそうして見つめ合い続けた後、少しずつ後悔を思い出してきた聖南は眉間に皺を寄せた。
「……葉璃……何ともない? 痛いとこも、苦しいとこも、ない? 怖かったよな、葉璃……ホントにごめ……」
「聖南さんっ、ごめんなさいっ」
「え、……?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
聖南の謝罪を遮った葉璃は、今にも泣き出しそうに顔をくしゃっと歪め、瞳をぎゅっと瞑った。
なぜ葉璃が謝るのかと唖然とした聖南に、葉璃は小さく「ごめんなさい」を二度繰り返した。
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