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取り乱した俺の背中を、すかさず聖南が擦ってくれた。
言われた通り、ゆっくり深呼吸してみる。すると動揺は小さくなったものの、今度は新たに焦りが生まれた。
出演出来ないことに変わりはないんだ。
負けないって思ったそばから敗北の決定打を打たれたような……俺にはもうどうにも出来ないという、感じたことのない絶望に近い感情が湧き上がってきた。
俺を宥めるようにしきりに背中を撫で続ける聖南も、当然その三嶋先生の判断を呑んだって事だよね……?
ETOILEの出番も、ヒナタの出番も、俺の居場所というべきステージでの本番が……なくなった……。
「もったいぶるなよ、海翔」
「えっ?」
か、かいと……!? 聖南、このイケメンドクターと知り合いだったの!?
唐突な名前呼びに驚きを隠せずにいると、さらに三嶋先生の方も「すみません」と言いながら気安くクスクス笑っている。
こう何度も驚かされると、そろそろ呼吸困難に陥っちゃいそうだ。
意外な交友関係にギョッとして、さらには出演出来ない現実を受け止められないショックが波打つように交互に襲ってくる。
「俺に出来るのは、お薬を処方する事のみ。一時外出は認めますが、外泊は認めません。本番も、緊急時はセナさんの判断で出演を見送ってもらい、すぐにここへ。……念の為に座薬も出しておきますけど、決して乱用はしないでください」
俺の手を握ったままベッドサイドの丸椅子に腰掛けた聖南に向かって、そう語った三嶋先生はキリッとした顔付きになる。
それに聖南も、神妙に頷いた。
「分かった」
「ドームには医務室のようなものがあるんですよね?」
「ああ、あるよ」
聖南に確認を取った三嶋先生は「それなら……」とポツリと呟いて、そそくさとドクターコートの裾を翻し病室を出て行った。
なんか……今の話って、出演すること前提じゃなかった……?
どういうこと?
ほんとに、どういうこと……?
理解が追い付かない俺は、そっと聖南の手のひらを握り返した。
「あ、あの……聖南さん、俺……?」
俺の出番って、最終的にはどうなるの?
出演はやめておきなさいって言ったり、外出は認めるけど外泊は認めないって言ったり、……何? 三嶋先生はどうして、ドーム内に医務室があるかどうか聞いたの?
俺はまだ決定打を打たれてない……出演の望み、実は全然消えてなかったりするの?
「今は薬が効いてるから何とも無いだけ。三日は様子見ろってさ」
「は、はい……。それで本番は……?」
ふと俺のほっぺたを撫でた聖南は丸椅子からベッドの方に移動し、マットレスを沈ませて意味深に微笑んだ。
「俺の言う事なんか聞かねぇだろ、葉璃ちゃん。いや、ETOILEの〝ハル〟は、か」
「…………っ! そ、それじゃあ……!」
「昼過ぎに一旦ここを出る」
「聖南さんっ……!」
「ただし条件がある」
「はい……っ」
やったぁ……! 俺ここで寝てなくていいんだ! 生放送休まなくていいんだ!
俺は悪意なんか向けられてもへこたれないって、負けてないって、みんなに証明出来るんだ……!
そのための条件だったら何でも聞く。
出演出来るんなら、今の俺は何だってする。
譲歩してくれた聖南を眩しく見詰めると、聖南からも熱く見詰め返された。
「俺が無理だって判断したら、その時は俺の言う事聞いて。これだけは守ってほしい。いいな?」
「……はい、……」
いったいどんな条件なんだろって身構えた俺に出されたそれは、至極当然の事だった。
こんな状態の俺を出演させる事さえ、元々過保護な聖南は嫌なはずだ。それなのに……俺のわがままを呑んでくれた。
これがどんなに嬉しくてありがたいと思ってるか、聖南にはきっと分からないだろうし、俺も伝えきれない。
大袈裟だなって笑われるか、渋々なんだからなって溜め息を吐かれるか、そのどっちかだ。
そして多分、聖南が怒ってる以上に、俺は今回の事にキレている。
陰湿ないじめを受けようが、俺の身に何かが起ころうが、そんなのは耐えられるようになったからいいんだよ。
でもアイさんは一線を越えてしまった。
スタッフさんはもちろん、それぞれの仲間、お客さん、視聴者さんに迷惑がかかっちゃう事だけは、しちゃダメだったんだ。
俺一人に、なら、何してくれたって良かったのに。
「あの医者だろ? 葉璃が俺のコスプレ姿思い出したって言ってたやつ」
「そ、そうです。お知り合いだったんですか……? 名前で呼んでましたよね?」
「いや、知り合いじゃねぇよ。さっきまで語り合ってて仲良くなった」
「えぇっ?」
そんな事があるのっ? 相変わらずコミュ力高いなぁ聖南……!
──いやでも、待って。
もしかしたら聖南が俺たちの関係含めて話しちゃったのも、何かいいアイデアが無いか三嶋先生と相談してくれてたんじゃ……?
母さんじゃなく聖南がここに付き添ってた事を、三嶋先生は訝しんだはずだよ。
口から生まれた聖南は、一度はその話術で誤魔化そうとした。……けど、聖南は俺と同じくらいお人好しで、すぐに人を信じちゃうとこがある。
「あいつイイ奴だよ」
「そう、なんですね……」
ほらね、やっぱり。聖南は三嶋先生を協力者に引き込んだ。
あんまりよく覚えてないけど、俺がアルマジロになって必死で訴えてたことを、聖南は聞き入れてくれていた。
他でもない、俺のために……。
「惚れた?」
「えっ?」
「頑固な葉璃ちゃん、俺の事もちょっとでいいから褒めて?」
「あ、……っ」
そう言うと、聖南は大きな体でぎゅっと俺に抱きついて甘えてきた。
褒めて、か……。可愛いなぁ聖南。
ありがとうございますって言おうとしてたのに、まさかそうくるとは。
濡れた髪を撫でてあげると、大きな子どもが「はぁ……」と小さく息を吐いて俺の胸に顔を埋めた。
「絶対譲らねぇって気持ち、俺の方が強いはずなんだよ。葉璃が無茶してぶっ倒れたら、今度こそ俺のせいじゃん。そんなの俺耐えらんねぇし、葉璃にツラい思いもさせたくねぇんだよ。でもこういう時の葉璃は、俺の言う事マジで聞かねぇんだもん」
「…………」
「高熱出て寝かしとくべき恋人を、誰が動かしたいと思う? 薬で無理やり熱下げて、どうにか本番だけは出演させてやりてぇって葉璃に思わされた俺は、先輩としても恋人としても失格だよな?」
「そん、な……っ」
「葉璃に甘えんだよ、俺。だから無茶も通す。けどな、……」
確かに聖南は甘い。俺がどんなわがままを言っても、それがどれほど困難でも叶えてくれる。
ひどく自分を責めながら、ほんとは譲れない気持ちを殺して俺を自由にしてくれる。
「けど……」と言葉を濁した聖南が、胸元から俺を見上げてきた。綺麗な薄茶色の瞳で、真っ直ぐに俺の目を見詰めてくる。
「本番中の〝セナ〟の事だけは信じて、言う事聞いてくれ。分かった?」
これが最大の譲歩。条件。
ここに居る恋人の〝聖南〟は俺に甘いから、本番中の〝セナ〟の言う事だけは聞いてほしい……そういう事、だよね。
同じ人なのに可笑しいと、他人は笑うかもしれない。
でも俺は、日向聖南とCROWN〝セナ〟の両方を知ってる唯一の恋人。
聖南は俺に甘い。甘過ぎて、甘過ぎて、蕩けそうな愛情に溢れてる。
「ありがとうございます……! 聖南さん……っ」
こんな決断したくなかったとでも言うように、聖南は俺の胸に顔を埋めてしばらく黙ってしまった。
俺は、聖南のその決断が何より嬉しいのに。
俺が無事に生放送に出演すれば、相手の鼻を明かせる。
まずは、俺にお薬を盛っても平気な非人道的でプロ意識の欠片も無いメンバーへ、〝無意味なことをしたんだよ〟って生意気なお説教をしてやるんだ。
聖南が干す前に、俺だって一言くらい言わせてもらうよ。
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