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十四名まで入室可能の小会議室は、聖南達が来た事によって定員を大幅に超えた。
社長が用意したこの一室では、本来ならSHDの幹部と大塚芸能事務所の顧問弁護士、大塚社長、聖南のみで話し合いをする予定だった。
メンバーらとアキラ達にも同席してほしいと言い出した聖南に、社長は移動中にもそう伝えていたのだ。
「──お疲れ〜」
「──待たせたな」
とはいえ想像より狭苦しくなかったそこは、全員揃ったと言えどそれほどすし詰め状態でもなく、聖南と社長はズカズカと中央に向かって歩いていく。
壁際にはアイ含めたLilyのメンバーがずらりと横一列に並び、SHDの幹部三名と弁護士は中央に不自然に置かれた長机を挟んでパイプ椅子に着席、成田と林は出入り口を守るように立っていた。
アキラ達は事態を見守るべく、メンバーらが並ぶ壁とは反対側に、誰が声を掛けるまでもなく一列に並んだ。
扉を開けた瞬間から、そこは水を打ったようになり聖南達の足音だけが響いていた。
「……で、どこまで話進んだの?」
「ほぼ終わりました」
「そっか」
聖南が問うて反応したのは、弁護士のみだ。
幹部三名の前で書類を広げている顔見知りの弁護士に、聖南は寄って行く。
社長が握ったというSHDエンターテイメントの闇を突き付けられた幹部らは、渋い顔で机上の紙切れに視線を落としている。
「ここまでしなくては考えを変えられなかったか」
黙りこくる彼らへ、聖南の背後で腕を組んだ社長が口火を切った。今こそベテラン刑事のような風貌、言い回しである。
全貌を聞かされていなかった聖南は、紙切れ十数枚を手に取りアキラ達の元へ歩んだ。
読んだそばからアキラへ渡し、アキラはケイタへ、ケイタは恭也へ、恭也はルイへとまるでバトンリレーのように全員に情報が共有された。
その間も、これまで下手に出ていた社長が我慢ならないとばかりに彼らを追い込む。
「どこも経営は苦しいさ。甘い蜜を覚えるとそこから抜け出せない気持ちも分かる。しかし度が過ぎておるだろ」
「…………」
「夢を追いかけている人間につけ込むのは、金銭搾取と変わりない。詐欺と同じだ。才能ある者を発掘し育ててゆくのが事務所の本来の仕事なんだがな」
「なんだ、この受講料。すげぇ……SHDは大層なレッスンしてんだなぁ? しかも月払いも取るのかよ。年間トータルヤバ過ぎ」
「…………」
社長が語ったその部分をちょうど目で追っていた聖南は、皮肉めいた笑みを浮かべて幹部らを見た。
Lilyを生み出したダンスレッスンの受講料を、SHDエンターテイメントは聖南が目を疑うほどの高額に設定していた。
もちろん運営は自由だ。しかしあまりにも額が大き過ぎ、法的にも危ういのだという。
目を通した資料には、一躍人気アイドルの仲間入りを果たしたLilyの名を代々的に掲載し、あたかもレッスンを受け続ければ必ずデビューのチャンスがあると匂わせるような文面が記してあった。
入学金、受講料それぞれ、大塚芸能事務所のレッスン費用の三倍。少々無理をしてでも、デビューし、Lilyのように活躍出来るのならと疑いも無く支払う者が居り、さらにこの事実はここ数年ほどの事のようである。
すなわちそれは、今もデビューを信じてレッスンに通い続けている生徒が、資料によると三十名以上居るという事になり──。
聖南が一枚捲ったそこに、少しずつ不満や疑念が沸々とし始めたレッスン生徒からの生々しい声を聴取した内容まで書かれていた。
〝いつになったらデビューさせてもらえるのか分からなくて、夢を諦めてしまいそう〟
〝何もかも売り払っても、お金が支払えない〟
〝このままじゃレッスン費用で首が回らなくなる〟
〝でも私たちには、デビューが待ってるから〟
この言葉にすべてが集約されている。
「切り捨てると言うとむごい言い方になるが、芽が開かなければ早々に退所させておけば良かったのだ。若い彼ら、乃至 そのご両親に大金を支払わせたあげく、無駄な時間を過ごさせる事が酷だとは思わんのか? 金ばかりむしり取って居座らせ、まるで希望があるように謳う事で先への期待を持たせるとは卑劣極まりない。このご時世、レッスンを受けられる事務所は数多くあるにもかかわらず、お前達は選択肢すら与えなかったのだろ」
「……私たちは、レッスン生に契約延長を強制させた事はない」
「それは受講者へ、だな。社員にはどうだった? どこぞの古いやり方を真似て、ノルマを課していた事はないか?」
「…………」
社長の追及は厳しいものだった。
だが順に資料を黙読した聖南達も、「これはヒドイ」と顔を見合わせて苦笑いし合ったくらいの内部事情である。
レッスン生への強制はしていないが、それを管轄する社員に対し幹部らが高圧的だったのは、こちらもまたリアルな聴取内容が物語っていた。
夢を追いかけている生徒達へは、さも希望が身近にあるよう匂わせ、社員には生徒達が退所しないようノルマを課し圧力をかけていたのだ。
──こんなのブラック企業のやり口じゃん。康平が聞いたらマジギレしそ……。
聖南はすべての資料を速読した後、濃い苦笑を浮かべた。
社長が「任せておけ」と聖南に断言した通り、水面下でSHDエンターテイメントの内情を社員やレッスン生に事情聴取まで行い弱点を掴んでいた事で、彼の聖南への贖罪の気持ちが本物であると証明された。
決して語りはしなかったが、聖南はLilyのメンバーらがしでかした事と同等なほど、根本的なところへの怒りを感じていた。
そんな聖南を見ていた社長は、ゴシップ写真を送りつけてきた犯人が特定出来たと分かるや、その調査に乗り出したように思う。
……これ以上の信頼回復の手は無い。
「さて、これはまだ序の口。本題は今回の件だが……。話は通っていると思うが、そこのアイはうちのアーティストに不利益となるゴシップ写真を我が社に送りつけ、情報を捏造した。あげく、現在報道規制をかけておるので世に出てはおらんが、少なくとも四媒体へのタレ込みを確認している」
「…………」
静かに社長の声に耳を傾けていた聖南が、ピクリと反応する。
「君らも分かっているだろうが、捏造記事が世に出た場合、我が社はアーティストを守るためあらゆる媒体を巻き込んだ裁判を起こす。所属アーティストが招いた事だ。当然、SHDエンターテイメントも名を連ねるだろう」
「…………」
──アイの野郎……もうチクってやがったのか。
聖南がジロリとアイを見やると、彼女は気まずそうに俯きよろめいた。
大塚芸能事務所の所属タレントすべての報道規制をかけていて良かった。康平の根回しに感謝である。
「おまけにアイは、法に触れる行為まで行ったよな」
「法に触れる? どれが?」
首を傾げた聖南に回答をくれたのは、起立し耳打ちしてくれた弁護士だ。
医師から処方された精神安定剤を他人に譲渡する事は刑法に触れ、ましてや第三者に服用させるなどもってのほかだと、弁護士は語気を強めた。
「へぇ、……そうなんだ。てか不道徳なのは考えなくても分かるよな」
はい、と頷く弁護士の表情は、いつでも裁判を起こす準備は出来ているとでも言いたげに、非常に険しい。
「……こちらの弱味を握ったつもりなんだろうが、大塚社長。ヒナタの件が世に出て困るのは大塚芸能事務所も同じでしょう」
頭の薄い幹部の男一人が咳払いし、尻尾を掴み返したとばかりに反撃の一手を口にした。
その瞬間、聖南は堪えきれず盛大に吹き出してしまう。
「ぶっ、……! あははは……っ」
「なんだ、何がおかしい!」
確実に場の雰囲気にそぐわない笑い声を発する聖南に、全視線が集中する。
嘲笑されていると分かった男は、顔を真っ赤にして机を叩いた。
反論しかけた社長の空いた口も塞がらない。
しかし聖南は、たっぷり一分は一人で笑っていた。
可笑しかったのだ。
それを最大の切り札のようにして、したり顔で発した男の面も、本当にそれが大塚芸能事務所を追い詰める一手になると思っている馬鹿さ加減も。
「……いやごめん。腹痛てぇ。てか……なぁ、なんでヒナタの事がバレてうちが困るんだよ。それマジで言ってんの?」
嘲るように言った聖南は、「あー可笑しい」と目尻に溜まった涙を拭った。
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