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好意を寄せる者と、密室空間で〝二人きり〟──。
これ以上ないほどレイチェルをハイテンションにさせてしまう材料が揃っているので、聖南は若干なりとも覚悟はしてきたつもりだった。
しかし、想像を遥かに超える浮かれようだ。
壁に打ち付けた二の腕を擦る聖南を気に留めることもなく、彼女はブルーの瞳をキラキラと輝かせ、なおも迫って来る。
「セナさん、お待ちしておりましたわ! 私たちがこうして二人きりになるのはいつぶりかしら? リテイクの日以来だから……一ヶ月半ほど? やだ、もうそんなに経つのね。セナさん、私はこの時を待ち侘びていました! お会いしたくてお会いしたくて、おじさまにも何度かワガママを言ってしまいましたの。けれどセナさんはお忙しい人。おじさまは私のワガママを聞き届けてはくださいませんでした」
「あ、あぁ、そう……」
「セナさんからのご連絡を今か今かとワクワク待つひとときも楽しかったですけれど、私はセナさんと直接お会いしたかったのです! 実は、いろいろとお尋ねしたいことがあります。私の胸に秘めた想いも、もう一度どうしても、お伝えしたかった」
「…………」
胸の前で両手を握り合わせ、神に祈るようなポーズでうるうると見上げてくる彼女は、それが聖南にも通用すると思っているところが痛い。
相手の返答を待たず、表情一つ窺うことなく、受け止めてもらえる前提で自身の思いを熱心に語り、聖南が迷惑がっている事に気付けない。
会いたい気持ちが暴走し、社長に仲立ちを頼んだが取り合ってもらえなかったと悲しげに話すレイチェルは、それがいかに身勝手で奇天烈な行動かを分かっていない。
聖南は、心中通り顔面を強張らせた。
聖南に葉璃という恋人が居なければ、もしくは彼女がその事実を知らずにいるのなら、まだ話は分かる。
レイチェルの行動の何が奇異かというと、すべてを知ったうえでこの発言をし、それを強かにも隠した状態で、聖南との〝二人きり〟に興奮するところ。
パーソナルスペースを意識してほしいと聖南が後退し続けているにも拘らず、祈りのポーズでグイグイ迫ってくるところ。
わずかな相槌しか打たない聖南に、無我夢中で自らの主張のみを語るところ── 。
彼女の言動のおかしさを上げ始めるとキリが無い。
「んーと……俺喋っていい?」
中央に長方形のミーティングテーブルが一つ、その周囲に椅子が四脚セッティングされた小会議室は、さきほどの会議室の半分以下しか広さがない。
迫るレイチェルと一定の距離を保ちたい聖南は、彼女が饒舌に語る間に半周は後退した。
つくづく、三年前の自分に似ている、と思いながらだ。
「やだ、私ったら! セナさんにお会いできて嬉しいあまり、ペチャクチャとうるさかったですわね! 少し落ち着きますわ」
うふっ、と恥ずかしそうに肩を竦めた彼女から、聖南はさらに三歩後退した。
── 落ち着け、狼狽えるな。こういう時こそ葉璃の顔を思い浮かべるんだ。
自分に言い聞かせ、脳内に無表情の葉璃を思い起こす。
葉璃は笑顔もとても可愛いのだが、物言いたげにジッと見詰めてくる時は大体無表情なのだ。
聖南はどちらかというと、いつ「聖南さん」と呼ぶか分からないドキドキ感が味わえる方が、〝恋〟を感じて好きだった。
「……セナさん?」
レイチェルを前にしては焼け石に水かと思いきや、葉璃効果は覿面だった。
間近で顔を覗き込まれそうになり、逃げ惑っていた聖南がようやくいつもの調子を取り戻す。
「そこから動くな」
「えっ……?」
「いいか、その位置から一歩たりとも動くんじゃねぇ。俺に近付いたら即帰るからな」
「そ、そんな……」
この距離を保てと言わんばかりに右腕を伸ばすと、ご機嫌だったレイチェルのテンションが急降下した。
あれほどウキウキと輝いていた瞳が瞬く間に曇ってしまったが、聖南は構わず、飄々と続けた。
「分かるだろ? ただでさえこの状況はあんまよろしくないんだ。恋人が居る身だしな、俺」
「…………」
聖南はあえて、知らないフリを通すことに決めている。
レイチェルには諸々を勘付かれており、それどころか証拠集めに余念がない。
それは、聖南が恋人居ます宣言をした日以降、メディアが喉から手が出るほど欲している大スクープと言える情報だ。
まったくもって理解に苦しむが、レイチェルは聖南と葉璃の関係に勘付いておきながら、自身を恋人に仕立て上げようとしている。
聖南への好意がそういう行動を起こさせているのなら、一刻も早く決着をつけなければならないのかもしれない。だがそうする事で、彼女は確実に今以上の暴走を見せるだろう。
聖南は、それが一番怖いのだ。
葉璃との関係は絶対に、何があっても、世に出してはいけない。
穏便に想いを諦めさせる事など不可能なのだから、少しなりとも相手の要求を呑んでみるのも手だと、聖南は考えている。
「セナさん……私、なにかセナさんの気に触ることをしてしまったのでしょうか……」
聖南の腕一本分の距離を保ったまま数分間こう着状態だったが、レイチェルが口火を切った。
「あぁ、いや……パーソナルスペースに入ってほしくないだけ」
「パーソナルスペース、ですか?」
「分かんねぇならいい。とりあえず距離は保っててくれ」
「はい、……」
握り合った両手をゆっくりと下方へやり、ようやく祈られなくなってホッとした聖南は、この日初めてレイチェルとまともに目を合わせた。
聖南の〝一世一代の大芝居〟を披露する前に、何やら彼女も尋ねたいことがあるらしいので聞いてみる。
「胸に秘めた想いってやつは後にして、俺に聞きたいことがあるなら先にどうぞ」
「先に私がお話してよろしいのですか?」
「よろしいから聞いてる」
つい何分か前まで、あれだけペラペラと喋り通していたレイチェルだったが、聖南が放つピリついたオーラを察知しやけに殊勝な態度になった。
ハイテンションで向かって来られると聖南も引いてしまうため、この方が何かと都合が良い。
いったいどんなことを尋ねられるのかと聖南が見詰めていると、レイチェルはなぜか窓際へと歩んだ。
まるで目の前に素晴らしい景観でも広がっているかのようにうっとりと目を細め、雑踏を眺めた。
「私……ついこの間、エトワールのハルさんとお会いしましたの」
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