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第17話 勿忘草

 ---そろそろか--ー  ひとしきり睦みあった後に、直義は静かな寝息をたてている頼隆の髪を指先で撫でた。 艶やかな、黒々と紫めいた波間に白い耳がちらりと覗く。 ーん---。ー  微かな身動ぎをして、その額を直義の夜着に擦り付ける。可愛い---と直義はきゅ、とその背中を抱き寄せる。  初めは、欲望だった。それは今も変わらないかもしれない。だが、『質』が変わった。 ー離したくない。---ー  それは、健気さ、だった。女のそれとは違う。必死で『男』としての自分を認めさせようとする真っ当過ぎる努力に邁進する健気さだった。だが、直義に褥に押し倒されるたびに、それは粉々に碎ける。熟れていく肉体が頼隆自身の『男』を裏切る。人を人として求める、温もりを求める当たり前過ぎる本能が独りで立とうとする矜持を砕く。 ー我れは、男じゃ。ー  逃げない。真っ向から向き合って越えていこうとする『力』は常人をはるかに凌ぐ。 ーだからこそ、離せぬ。ー  解き放てば、それこそ、とてつもない脅威になる。たが、抑えつけ過ぎては全てが損なわれる。 ー難しいのぅ。ー と呟く頼隆に柾木は、あっさりと一言で言いきった。 ー惚れさせれば、よろしい。ー  男として、人として、惚れ込ませれば良い。その一言だった。簡単なようでいて、難しい。 ー修練でございます。ー  柾木はにべもなく笑って、突き放すのみだった。  ーさしあたり---。ー  直義ひとりに惚れこませる妨げになるものは、排除せねばならない。 ー会わせてやるか---。ー  相手は無論、白勢幸隆である。 ー情の深すぎるは、相手も自分も殺す。ー  そろそろ、断ち切ってやらねばならぬ---と、直義は決意した。幸隆の腕から拐って五年近くになる。 ー時期かもしれぬな---ー  呟いて、頼隆の細い肩を抱きしめた。  安能城の幸隆のもとに書状が届いたのは、それからしばらくしての事である。葉室攻めの後、周辺の小国を従えるにあたって仲介を務めた、その礼がしたい---との文面だった。 ー今度こそ---。ー  鷹垣城にて対面を果たした政隆は、 ーご健勝にておいでです。ーとしか言わなかった。  度々、頼隆の使いで顔を見せるトビも、 ーお変わりはございません。ーの一言だった。  時折来る文の文面も、恋々としたものではなく、相変わらず淡々と幸隆と国を気遣い、心を砕いているさまだけが伺える。  弟の性分いを知り尽くしている幸隆は、その言葉が平静であればあるほど、内に秘めた『何か』を憂慮せずにはおれなかった。 ーとりたてて不自由はしておりませぬ。ーというその言葉の真偽だけでも確かめたい。 ましてや、あの男---九神直義が、頼隆をただ留め置いているとも思えなかった。 ーあやつの餌食にされているのでは---ー と思うと、五体を引き裂かれるようだった。 ー何故、一人で行かせたのか---。ー  消えない後悔に狂い死にしそうになり、幾晩も眠れないこともあった。  幸隆は強い決意を固めて、国許を後にした。  ー確かめたい---。ー  それが、自分を殺すことになっても。  弟の無邪気な笑顔が、浮かんで、消えた。  頼隆が幸隆の来訪を知らされたのは、その日の朝だった。いつもよりしつこく求められて、ぐったりと横たわっていた床の中で、柾木の冷ややかな声を聴いた途端、全身が凍りついた。 「是非にも、お目にかかりたいとの強いお望みでしたので、特別に御対面をお許しくださる由にございます。半時後には此方にお見えになります。」 ー謀られた---。  頼隆は、ぎゅ---っと唇を噛んだ。近習の少年達が、気を利かせて急いで湯を沸かしてくれたのが唯一の救いだった。  手早く湯浴みを済ませ、髪を整えさせる。目の前の鏡を覗くと、項といわず首筋といわず、胸のあたりまで、一面に紅い吸い跡が散らばっていた。 ーこれでは、隠せぬではないか。ー  香を焚かせても、半時くらいでは部屋に残った後朝の匂いは消せない。全ての窓を開け放させ、小袖に着替える。 「お袴を---」  こっそり用意してくれた少年の気遣いが有り難かった。それでも、湯を浴びても、直義の移り香が残っているようで、気が落ち着かなかった。 ー覚悟は、せねばなるまいな。ー  大きく息をつき、顔を上げたその時、ふたつの足音が近づいてきた。 「頼隆どの、幸隆どのがお見えじゃ。」  伴ってきたのは、柾木---ではなく、直義本人だった。藍地の小袖に袴---袖に散らされた金波銀波は、頼隆の薄緋のそれと同じ意匠だった。その後で柿色の垂衣が、小さな悲鳴を上げた。 「頼隆---!」  普段は穏やかな眼が見開かれ、二人を分かつ格子につんのめるように駆け寄った。 「お久方ぶりにございます、兄上。」  頼隆は静かに頭を下げた。す---と体を戻し、格子から乗り出さんばかりの兄を見つめた。 ー痩せたな---。ー と思った。顔色も冴えない。城主としての務めはともかく、戦続きが本来的に温和な性質の幸隆には苛酷なのだろう。それでも、頼隆の帰還のために奮闘してきた、その必死の思いに心底、済まない---と思った。 「ご健勝であられましたか?皆は息災ですか?」  勉めて、にこやかに語りかけた。 「皆は無事だが---。直義どの、これはいったいどういうことじゃ?!」  きっ---と幸隆の目が直義を睨んだ。  座敷牢に入れられているなど、政隆は一言も言っていなかった。不自由はあろうとも、それ相応の扱いを受けているはず---と幸隆は信じていた。 「慮外者を近づけないため---にございます。」  背後から、乾いた冷ややかな声---柾木がいつものように控えていた。 「外より不埒者が踏み込めぬよう、敢えて不自由なお暮らしを願いでております。」  じろ---と柾木の目が幸隆の背中を睨んでいるのがわかる。 「そんな戯言を---信じられるか!」  幸隆は、半狂乱で格子を鷲掴みした。頼隆はその手にそっと自分の手を重ねた。変わらず暖かい手だった。 「落ち着いてください、兄上。まがりなりにも、我れは人質の身にございます。それでも、日々剣の稽古もさせていただいておりますし、書物も好きに入手させていただいております。」 「倅どもの指南役だがな---」  直義がさりげなく付け加えた。  がっくりと膝を落としながらも、頼隆の落ち着いた声音に、少しも正気を取り戻したようだった。が、その目が頼隆の胸元に釘付けになった。 ー見られた---。ー  一瞬にして、兄の顔色が青ざめ、次に赤くなった。 「宝珠丸は、元気ですか?」  その気をそらすように、頼隆は語りかけた。 「あ、あぁ元気にしておる。じきに元服じゃ。」  頼隆は、ほっ---と息をついた。これで、白勢の家での役目は終わる。 「では、約束どおり、宝珠丸どのに家督を---名は、直隆と---。」 「頼隆---。」  幸隆は、絞り出すように呟き、口をへの字に曲げて、ぐっ---と直義を見上げ、睨み付けた。温厚な兄の、初めて見る怒りに染まった顔だった。両の目が潤んでいた。頼隆も泣きそうになった。 「直義どの---!」  言葉にならない憤りに両の拳が震えていた。 「頼隆どのには、此方にて国許を見守っていただけるようお願いいたし、そなたはそなたで、しかと国を治めるが良い。」  直義は、取り乱す幸隆をなおも突き放すように言った。 ーお前に頼隆は返さぬ。儂のものじゃ。ー  表情さえ変わらぬものの、直義の目も幸隆を睨み付けていた。一触即発の緊迫に側にいた少年達は縮み上がり、頼隆ですらかける言葉に窮していた。  ふたりの睨み合いに割って入ったのは、柾木だった。咳をひとつ、そしてふたりに向かい、頼隆に向かい、淡々と言った。 「頼隆さまには、此方にて果たしていただかねばならない、大事なるお役目がございます。」  三人の目が一斉に柾木を見た。が、その面にはなんの表情も無かった。 ー何を言う気だ。ー  頼隆は背中に冷たい汗が伝うのを感じた。 「なんの役目を果たさせる気だ。」  幸隆が怒気を含んだ声で、詰め寄った。  が、柾木の口から出たのは、三人ともに想定しない言葉だった。  「軍師。---をお務めいただきたい。」  直義はふむ---と頷き、頼隆は胸を撫で下ろした。嘘でも、有り難かった。尚も不如意な様子の幸隆に、柾木が捩じ伏せるように続けた。 「わが殿は、これより天下に打って出られます。頼隆さまには、その片腕になっていただきたい。」  きっぱりと言い切られて幸隆にはそれ以上、返す言葉が無かった。  直義がなだめるように付け加えた。 「儂は近々、都に近い師畿に居を移す。頼隆どのにも共に来てもらいたい。新しき屋敷も用意しておる。」  幸隆の顔が、少し和らいだ。 ー牢暮らし---では無いのだな。ー  念を押すように、見上げる頼隆に、直義が小さく頷いた。 「会いたくば、師畿の屋敷を訪ねるが良い。 まぁ、今少しかかるがな---。」  対面は、それで終わった。  兄弟の胸を突き刺す小さな刺を残して、再会の時はあっけなく終わった。  ーもぅ良かろう。ー  直義に促されて、しぶしぶと、それでも名残り惜しそうに振り返りながら彼方に去っていく兄の背中を頼隆は、じっと見つめていた。 「未練はお捨てくだされ、御前様。」  その横顔を、柾木の視線が咎めた。 「あなた様は、直義さまのご内妾でございまするぞ。」 「柾木---。」 「お立場を違えてはなりませぬ。」  冷酷な、切り裂くような言葉だった。  立ち去りがた、ひそかに柾木の残した言葉だけが救いだった。 「私は本気ですぞ。頼隆さま。」  後日、勿忘草の描かれた扇子が一指し、頼隆の手元に届けられた。文は無かった。  頼隆は、泣いた。胸が千切れそうに苦しかった。

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