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第22話 黒椿

「頼隆!」  国境の峠で、兄弟は互いに姿を見留め、走り寄った。 「兄上!」  黒糸縅の甲冑、望月の兜に渋色の陣羽織---待ち構えていた懐かしい姿に頼隆は思わず泣きそうになった。  幸隆もまた、昇ったばかりの日輪を背に走り寄ってくる弟の姿に眼を潤ませた。優しげな美しい面差しに、揺れる黒髪は烏の濡羽そのものに艶やかに光を弾き、朱色の鎧の縅が良く似合う。陽炎う日輪を背負ったその様は摩利支天女そのものだった。 「息災であったか?」 「はい。兄上こそお元気であられましたか?」  感極まって、ひし---と抱き合った。暖かい胸---懐かしい、兄の匂い---頼隆は久しぶりに安らいだ心地になった。 「兄上---ご無事で良かった!」  感動の再会の今ひとりの主役、弟の政隆も抱きついてきた。 「心配をかけたの。ん?また大きゅうなったか?」  覆い被さるように見下ろす頬を軽く撫でた。髭までたくわえて、すっかり漢(おとこ)の顔になった---頼もしくも、ほんの少し悔しい。頼隆はふたりに埋もれるように立っていた。 「羨ましいのぅ。---いい面構えじゃ。もう一人前じゃなあ。」 「兄上---。」  政隆は、一瞬言葉に詰まった---が、ふと頼隆の背を包んでいる陣羽織に目を止めた。 「この陣羽織は?」  幸隆も、抱擁を解き、頼隆の背を見た。  煌雅やかな綾錦の襟、白地に赤の日輪、それを掲げて、黄金の鳥が翼を広げていた。 「三本足?」  政隆が不思議そうに首をかしげた。確かに羽根を広げた大鳥の足は三本あった。 「ヤタガラス---だそうだ。」  頼隆は少々困惑した面持ちで言った。 「絢どの---直義どののご正室に頂いた。」  山越えの小屋に用意されていた甲冑一式は、あの戦の折りに頼隆が身に付けていたものだった。それを絢姫に頼んで探し出してもらい、適当な場所に隠してくれるよう、頼んであった。櫃を開けると、愛用の甲冑があった。その脇に丁寧畳まれた見慣れない布地が三つ添えられていた。  鉄鉢を入れた頭巾に陣羽織、そして--- 「旗印まで作られてしもうたわ---。」 シギ、と呼ばれていた忍びが旗竿を立てると、同じく金色の鳥が天に向かって飛翔していた。頼隆は思わず苦笑いをしつつ、有り難く拝領することにした。 「妻女には、あやつがカムヤマトイワレヒコに見えるらしい---」  これには、幸隆も政隆も苦笑するしかなかった。カムヤマトイワレヒコは、伝説の原初の帝、ー新しい世は、我が殿がお創りになる。ー絢姫は、その原初の帝を導いた聖なる鳥を頼隆になぞらえ、その背に負わせた。 「まぁ、良かろう。」  言って、頼隆達は再び馬に跨がった。 「して、何処に参る?」  幸隆が訊いた。出来ることなら、このまま真っ直ぐ佐喜に頼隆を連れて帰りたかった。 兄のその本音を敢えて知らぬふりをして、頼隆はきっ---と顔を上げた。 「箕浦へ。」  ササギの手渡した頭巾を付け、あの軍配を手に、おもむろに西を指した。 「吾桑に『礼』をしてやらねばなるまい。」  不敵に笑むその横顔に、幸隆は再び弟の内なる鬼神が蘇るのを感じた。 「参ろうぞ。」  三千の将兵達が静かに動き出した。    「戦況は?」 「未だ膠着状態のようで---」 「睨み合か---。」  物見に走っていたトキが、頼隆の問いに応えた。『始末』を終えたトビが合流して、城の様子を伝えた。頼隆に逃げられた---と知った近習達は当然の如く切腹しようとしたが、絢姫に止められた。ー頼隆さまは、殿の援軍に参られたのです。私がお願いしました。ー 絢姫はそう言って、頼隆がいるかのように振る舞え---とふたりに命じた、という。 ー大したお人だ---。ー  あやつにはもったいない---と嘯きながら、頼隆はトビに、内通者の名を確かめた。さして予想は外れてはいなかった。 ー後で柾木に教えてやろう。ー  まぁ、先に伝わっておるかもしれんが---と頼隆は、宿がわりの寺の天井を見た。 「なれば、あと三日、踏ん張ってもらう。」  向坂を越え、箕浦に入って八日。直義の家臣が奪取した城を宿には出来ない。 ー九神の援軍に参れ、との殿のお下知じゃ。ーと言えば、すんなり通ることは出来るが、頼隆の姿を見られては面倒になる。敢えて、付近の寺を宿にして進んできた。直義の陣まではもうすぐだが、頼隆は大きく迂回する道を取った。 「吾桑の陣の近くまで、寄る。」  吾桑には、トビに命じて、偽の書状を送ってある。ー吾桑の本意が判らぬので、頼隆と合流して、戦に加勢したい。ついてはまず、頼隆と共に吾桑の殿に目通りしたい。ー  幸隆の名で、頼隆がひとりで吾桑の陣に現れない理由を示しておく。吾桑の部下達は共に参る---と。 ー致し方ありませんな。ー  過保護で有名な兄だ。それに、白勢単独で九神の後ろを突け、と言われても荷が重い---という言い分もわかる。思ったより呼応する領主がおらず、それがゆえに膠着状態から抜けきれない。ー本当に白勢が降るのか---ーという疑いを晴らすには、共に馬を並べて対峙した方が効果的かもしれない。---ー柚葉は、幸隆の書状を信じた。 「兄上の人徳ですな。」 「茶化すな---」 頼隆の本音だった。実直な兄の言葉であればこそ、人は信じる。 ーさればこそ---ー  頼隆の策も活きる。頼隆達の軍勢は吾桑の陣のすぐ側まで迫っていた。 ---------------   「ここが、良い。」  頼隆の軍は、吾桑の陣を見下ろす丘の上に達していた。夜明け前の底闇に近い中を月明かりを頼りに進んだ。ここまで、旗指物は全て降ろさせ、気取られないよう、警戒しながら進んだ。甲斐あって、敵は全く気付いてない。 「トビか---。」  頼隆は、傍らにす---と降り立った影に声をかけた。 「柾木はいかに---」 「心得た、と。」 「それは重畳。」  柾木の苦りきった顔が目に浮かぶ。 「良いか。」  頼隆は、将兵を振り返り小声で命じた。 「夜明けと共に、あの陣に攻め入る。目指すは、吾桑盛昌の首。それと---」 ー是が非でも、柚葉正親を生け捕りにせよ。ー   息を詰めて時を待つ。  東の方が僅かに白んできたその時、頼隆の右手がす----と上がった。  冷たい鉄の塊が鈍く光った。銃爪に掛けられた指が鬨の声を告げる。 「白勢頼隆、推して参る!」  一発の銃声が静寂をつきぬけ、合戦の火蓋は、切って落とされた。 ----------------  決着は、想定外に早かった。銃声とともに、白勢の軍勢が本陣に襲いかかり、同時に柾木が夜のうちに潜ませていた精鋭二千が、真っ向から本陣に攻めかかった。魚鱗の陣形の根本を白勢の軍に突かれ、乱れが生じたところを九神の精鋭が突撃、吾桑の陣営はひとたまりもなく崩れた。続く本隊に容赦なく蹴散らされた。  吾桑側のほとんどの将兵が起き抜けの身支度も儘ならない状態で右往左往しており、応戦すら出来ない有り様だった。  吾桑の別動隊の陣営には波状的に九神の外様の領主の軍が次々に襲いかかり、混乱はいっそう激しくなった。  吾桑軍の大将、吾桑盛昌は柾木の精鋭に囲まれ、呆気なく絶命した。  本陣と切り離され、なんとか戻ろうと足掻く旗本-重臣達も、次々と白勢の長槍の餌食となった。  柚葉は敵味方入り乱れた中に、金色に輝くヤタガラスが羽ばたくのを見た。我知らず身震いしていた。 ー白勢の鬼神-----。ー  青栗毛の駒を自在に操り、白い頭巾と陣羽織をはためかせ、嬉々として荒武者達を切り伏せていく----、頼隆の優雅にして残虐な舞に、心ならずも、一瞬、見惚れてしまっていた。 ー殿は---ー  は---と我れに返り、向かってくる足軽達を切り倒しながら、本陣に向かうが、既に混乱著しく、思うように進めない。焦りが柚葉の動きを鈍らせていた。  ふ---と、一頭の馬が柚葉の行く手を遮った。  見上げると、白い頭巾の内から端正な、女と見間違うばかりの美しい面差しが、冷ややかな眼差しで見下ろしていた。その頬はうっすらと笑みを浮かべていた。 「頼隆どの、何ゆえ---」  半ば背筋を凍らせ、おののきながら、柚葉はその氷の微笑に叫んだ。 「我れは、もう『男』は要らぬゆえのぅ---。」  ニヤリ---と紅い唇が歪んだ、と同時に柚葉は右肩の焼けるような痛みに、もんどり打って倒れた。頼隆の左手に白煙を漂わせた鉄の塊が握られていた。 ー夜叉だ---。ー  その恐ろしく美しい微笑みの前に、柚葉は捕虜となった。 「さて、引き揚げるか---。」  昼過ぎには、戦の大勢は決していた。大将を討ち取られ、軍師を捕縛された軍隊にもはや戦意は無かった。 「後は直義の好きにさせれば良い---。」  馬の首を返し、元来た道を返そうとする頼隆達の前に葦毛の駒が立ち塞がった。 「何処へ参られますのか。」  柾木だった。せっかくの勝ち戦だというのに、その眉は見事に吊り上がっていた。 「用向きも済んだゆえ、国許に帰るのだ。」  幸隆が、柾木と頼隆の間に割って入るようにして馬を進めた。政隆もそれに倣うように、ずい---と馬を進めた。二人とひとりが睨みあった。柾木は、表情を平静に戻し、ふたりに言った。 「この度のご援軍、如何にも素晴らしく、殿も実に心強く感じ入っておいででございました。一言の礼も申さずに返しては殿の面目が立ちませぬ。お二方には、是非にも我が本陣にお立ち寄りいただきたい。」 ーふたり---?ーとの言葉に眉を寄せる幸隆と政隆を押し退けるように、柾木は頼隆の傍らに馬を寄せた。そして小声で、だが、これ以上は無いだろうというきつい口調で囁いた。 「御前様には、一刻も早くお城にお戻りを。絢姫さまが案じておられます。」  頼隆はぐ---と詰まった。絢姫の名を出されると弱い。はあぁ---と大きく息をつき、兄弟を見やった。 「わかった。---が、今少し時間をくれ。せっかく皆と顔を合わせた。少しも懐かしむ間をくれぬか?」 「なりませぬ。」  柾木は、一層冷たく言った。 「もう半時もすれば、殿がこちらに参られます。何と言い訳するおつもりですか、頼隆さま。」  ますます言葉に詰まった。見遥かすと彼方から、黒鹿毛の馬に跨がった一枚胴の鎧がこちらを見ている。 「説教は御免だ---。柾木、半時だけ、直義を止めておいてくれ。別れの挨拶くらいさせよ。」  頼隆がへの字に口を曲げると、さすがに気の毒に思ったのか、仕方なく頷き、側近に目配せし、ほんの少し馬を遠ざけた。 「頼隆---。」  兄が眼を潤ませてこちらを見ていた。政隆も泣きそうだった。せっかく会えたのに---無理やりにでも連れ帰りたい---苦痛に歪む兄の顔に頼隆はそっ---と顔を寄せ、素早く頬に口づけた。そして、囁いた。 ーまた、会えます。必ず、きっと---。ー 「頼隆---。」  兄の頬を一筋の涙が伝った。  頼隆は涙のいっぱいに溜まった目で、弟を振り向いた。 「白勢を頼む---。兄上を、よぅお助けしてくれ---。」 「頼隆兄上---。」  政隆も涙の溜まった目で頷いた。ふたりと固く抱き合い、ー皆、達者でな---。佐喜を、白勢を頼む。ーと家臣達に告げて、柾木の方に馬を進めた。 「帰る。供はいらん。」 「そうは、参りません。弥助、治平---その方ら、御前様を無事、城まで送り届けよ。」  ふたりの若武者が、すす---と前に進み出た。 「その方ら、初陣であったか---!」  最初に頼隆の世話係となった少年達だった。元服の後は柾木の部下となったと聞いていた。 「お陰様で、無事に勝利を飾ることが出来ました。ありがとうございます。」  満面の笑みで深々と礼をされては、拒みようもなかった。 「柾木、土産じゃ。」  頼隆は捕縛した柚葉を柾木に引き渡し、後ろ髪を引かれながらも、兄弟とともに戦った戦場を後にした。背後で柾木が深く頭を下げていた。  頼隆は累々たる屍の中をゆったりと通りすぎ、那賀へと馬の首を向けた。真っ白だった陣羽織には、黒椿の花弁のごとき戦の名残が華やかに散っていた。    七日の後、頼隆は城に戻った。  二人の若武者とともに、こっそりと居室に向かった。気配を察して、絢姫が奥御殿から走り出てきた。近習達も走り寄ってきた。 頼隆はにっこり笑って告げた。 「只今戻りました。勝ち戦でござる。」 「よくぞお戻りくださいました---。」  安堵に泣き崩れる絢姫の隣りで近習の少年達は、腰をぬかしてへたりこんだ。 「殿もお喜びでございましょう---。」  絢姫が気を取り直し、笑顔で居室に祝い膳を運んできた。頼隆は些か神妙な面持ちで箸を取った。 「どうでしょうな---」  頼隆の不安は的中した。やや遅れて戻ってきた直義は、宴が静まるのを待たずに頼隆の居室に現れた。 「お前というやつは---!」 「よくぞ、生きて戻ったのぅ。」 白々しく言う頼隆の目は歓びを湛えていた。 ー褒美じゃ---。ー  ひそ---と口づけると、直義は驚いたように目を見張り、その背を抱きすくめた。 「随分と優しゅうなったのぅ---。」 ーだが、城を抜け出したことは許さん---と直義は真顔で囁いた。 「黙って抜け出した、罰じゃ。」  結局、褥の中で散々に説教をくらい、翌日は枕が上がらないほど、みっちりと『折檻』された。 ーそれでも---ー 「よぅ来てくれた---。礼を言う---。」  頼隆は、絶頂に追い上げられ自失しかけた朧気な意識の中で、直義が耳許で小さく呟くのを聞いた。嬉しかった。今まで耳にしたどんな言葉より、心が震えた。  翌朝、頼隆は床の間に活けられた黒椿を手に取り、血の色をしたその花を、そっと撫でた。戦場の高揚が幽かに脳裏に蘇る。 ーいずれはきっと---馬を並べて---ー  兄や弟と、そして直義と、共に戦いたい---。その日が来るのが待ち遠しかった。

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