1 / 1
はつこいびより
初めて彼と会ったのは青学の入学式だ。桜吹雪の舞う、暖かい日だったのを覚えている。校門をくぐる際、看板の横に立って母親と姉らしき人物に何度も写真を撮られている姿が目に焼き付いた。
本人に言えば絶対に怒るが、顔だけを見れば女子だと思っただろう。その中性的な容姿は母親に何度も呼ばれるまで見てしまうほど、同級生になるであろう他の新入生の中でも浮いていた。既に身長が周りよりも高い自分も相当浮いているに違いないが、また違った雰囲気があると思った。
「――――っ!!」
ふと、外した彼の視線とぶつかった。彼の細く糸のように切れ長の双眸が、ほんの少し丸く見開いて、唇が弧を描いた。分厚い眼鏡の奥まで見透かされたようで、顔に熱が集まる。
思わず綺麗だと思ってしまった。しかし、男相手に綺麗はないだろうと、彼を一瞬でも女子だと疑った自分の錯覚だと思うことにした。
「貞治、いつまでそこにいるの」
母親の声に我に返り、慌てて追いかける。校舎に入る時に再度校門を振り返った時には、もう誰もいなかった。
振り分けられたクラスに、彼はいなかった。実は幻でも見たのではないかとも思ったけれど、あの亜麻色の髪と細い瞳は忘れられなかった。それからしばらくして部活見学が始まった頃、向かったテニス部に彼の姿を見つけて驚いた。あの華奢な身体でラケットを握るのだ。すぐに名前を聞けば、人当たりのいい笑顔で不二周助と答えてくれた。思っていたよりもずっと男らしい名前で、また驚いた。
「乾は面白いね」
二年目の春。賑やかに争う一年生の言い合いを眺めながらコートのフェンスに並んで凭(もた)れていた時、ふと不二が口を開いた。
「面白い? どこがだ?」
「数字に固執しているとことか、かな」
俺が手にしているノートを指差して、不二は少し目を開いた。
「そうか? データは裏切らないぞ」
「君は身長にも恵まれているし、ボクはそれが羨ましいな。多分、そういう感情も混ざっているのかもね」
笑みを絶やさず言う不二の本心は、未だに分からない。どれが建前で本音なのか、高い壁越しに会話しているようだった。
不二の正しいデータが欲しい。この頃には既にそう思っていた。手塚や大石のような基本に忠実なタイプではない彼のスタイルは、とても興味深かった。
この手にあるノートの、不二のページはまだ確定しない。
「不二のデータは中々取らせて貰えないな」
「ふふ、取ればいいじゃないか」
「それが出来ていれば苦労しない……相変わらずお前は良く分からない」
こういう時の不二は100%遊んでいる。クスクスと肩を震わせて笑う不二に溜息をつくと、何故か手塚から「グラウンド30周だ」と睨まれた。俺だけとは理不尽だ。「行ってらっしゃい」と不二が手をヒラヒラと振った。
手塚は不二に甘い、とノートに書き足してからコートを出た。
三年目の春。生意気な一年ルーキーが入部して、部内は色んな意味で更に賑やかになった。その生意気なルーキー、越前のおかげで一度レギュラーから落ちてしまったりもしたが、彼のデータはトリッキーな割に取りやすいと思った。
どの部員も試合の度に新しいデータが書き換えられる。その中で、やはり不二の正しいデータは取らせて貰えない。同じデータマンらしい観月も、一緒にいる俺以上に取れていないのだから。
ただ、三年に上がってから変わったこともある。大会で勝ち上がっていくにつれて、段々不二の新しい一面が見えるボロボロになっても不二の試合だけは何としてでも見るようにした。
完全カウンターパンチャーだった不二が攻めることを覚え、オールラウンダーのようなゲームメイクに変わっていく。試合の度に新しい姿を見せられ感心すると共に、越前や手塚の存在が新しい不二を作っているのではないか、そう言っても過言ではなく、とても悔しかった。
何故自分には、その姿を見せてくれないのか。あれだけ望んでいたノートの書き込みが増える度に、不二への執着が止まらなかった。
(……ストーカーだな)
アルバムを閉じて、溜息をついた。部屋に散乱した写真アルバムやボロボロのデータノートは、中学生時代だけでもかなりの量だ。どこを開いても写っていた不二の姿は、無意識に追っていた結果だろう。卒業して十年も経った今も、何が正しいのか分からないままだ。
「それで、乾、そのデータは確定したのかい?」
「……いや」
眼前に座る不二は、学生時代と変わらない笑みを浮かべて問うた。こちらの心中を察していて、わざと問いかけている。
「じゃあ、ひとつ確定しようか」
「は……?」
「あれ? 気付かない?」
言われて、床のノートに視線が行く。
入学式、プレイスタイル、固執、執着、欲、そして偏執的な感情。
「不二、お前まさか――――」
「ふふ。乾って、意外と鈍感だよね。手塚よりもずっと」
「…………マジか」
文字通り頭を抱えた。いつから気付かれていたのか。
「手塚も英二もずっと聞いてきてたよ、『お前たちはいつ正式に付き合うのか』ってね」
「そうか……」
俺は不二が、手塚か越前の方が好きだと思っていた。口には出さないでおこう。
「あの手塚にそこまで言わせたんだから、いい加減その通りにするべきだと思うんだけど、どうかな?」
校門で見た桜吹雪の中の不二と、今の不二が重なる。まだ幼かった輪郭が、大人のものへと変わっていく。
「まぁ、ボクも強情だったけどね」
「ん?」
「わざとデータ取らせないようにしてたから」
ふふ、と笑う姿は、試合中に相手を揺さぶる時のそれだ。不二は不二で思ったより頑固な性格で、きっと恋をした自身の事実を否定したかったのかもしれない。
「でも、本当の大人になる前に自覚出来て良かったんじゃないかな?」
「本当の? 成人はとっくに過ぎたわけだが」
「二十代そこそこなんて、ボクはまだ大人じゃないと思ってるんだけど、乾は違うの?」
「……参ったな」
こんなに言い負かされる相手だっただろうか。いつになれば不二に勝てるのだろう。日々更新されていくデータに、終わりはない。
「では、改めて宜しく頼む」
「うん、こちらこそ」
ぎこちない触れるだけの口づけを交わし、不器用な二人の初恋が始まった。
End
ともだちにシェアしよう!