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第1話
アレキサンドリア公が率いる緑の国、オルフィーネ公国の東の果てに位置する村ランドルフの深い森を、一人の青年が駆けていた。
「っはぁ……はぁっ……」
普段は獣を狩る以外に人が立ち入ることがほとんどないこの森に、武器も防具も何も持たず入ることは自殺行為と変わらない。青年の格好は、雪のように白い素肌に綿生地のシャツ、銀の髪に黒と赤のオッドアイを覆い隠す白いローブ、素足に麻縄の履物。露出された肌は丈の高い草木に擦れて傷だらけだ。
「アルを探せ!」
「まだ近くにいるはずだ!」
遠くで、彼を探す村人達の声が聞こえる。青年の名はアルフレッド。村では星見の占いで生計を立てていた。初めは皆、次々と当たるアルの予知に湧いていたが、しかし歳の行った村の老人達は段々疑いはじめ、ついには魔女だと決めつけて処刑を決めた。
この国では魔女は罪人と同様だった。昔、女の魔術師が国民を騙し滅亡寸前まで荒れたからと伝えられている。姿が男でも、女が魔術で男装していると思われるのだ。魔術が使える者、占術が使える者は誰であろうと次々と処刑され、アルもまた、誅殺(ちゅうさつ)の対象となった。
そしていざ、丸太に磔にされ油を被り松明の火を翳(かざ)された瞬間、周りに集まっていた男達は地面に倒れ、アルは丸太から解放されていた。
――逃げろ!
脳内に響く誰かの声に背中を押され、アルは無意識に走り出した。頭から被った筈の油も最初からなかったように、滑ることもベタつく感覚もなかった。
「っはぁ……ここまでくれば平気か……?」
誰の声も聞こえなくなって、アルは木の洞(うろ)に身体を預けた。油の代わりに流れる汗を腕で拭い、息を整える。
「逃げられたみたいだね」
「ぅうわぁああっ!」
草木を揺らす音ひとつ立てず、眼前に影が現れた。真っ黒なローブを纏いフードをかぶった姿の少年が、アルの紅(あか)と黒の瞳を覗き込んでいた。真っ黒な髪と瞳は、ローブと合わさってブラックホールのように錯覚する。
「お前……誰?」
「僕はサファイア、魔女だよ。キミは?」
固まるアルに、サファイアはフードを脱いで微笑んだ。
「アルフレッド……アルでいい。助けてくれたのはお前か?」
「そう! この国じゃ、男でも魔女って呼ぶんでしょ? 気まぐれだけど、死ぬ必要がない人間が死ぬのは嫌だからね」
ふ、とサファイアは人差し指を立てて息を吹きかけた。ラメのような光が風に乗って、アルの身体を包んだ。すると、みるみるうちに傷が癒え、跡もなく綺麗な肌に戻った。
「へぇ、すげーな」
「ありがと」
サファイアは再び人差し指を動かし、液体の入ったマグカップをどこからともなく出すとアルに差し出した。
「……これは?」
「やだなぁ、ただのお水だよ。毒なんて入ってないからどうぞ」
「わりぃ、助かる」
お礼を言って受け取るとアルは一気に飲み干し、そのマグカップをサファイアは再び魔法で消した。
「で、何で処刑されそうだったの?」
「俺は、簡単なものだけだが星読みが出来る。魔女だと思われたんだ。占いが少し出来る程度でも、この村じゃ魔女扱いだ」
「なるほどー。じゃあ、村から追放されたって訳だ」
「命ごと葬るつもりだったみたいけどな」
「ってことは、アルはもうこの村には必要のない人間ってことでいいのかな?」
「そうだが……お前、何を企んでる?」
ギロリと一瞥するアルに、サファイアは両手を上げて苦笑した。
「勘弁してよ、別に村人とは繋がってないってば」
「なら、何故?」
「さっきも言ったでしょ? 気まぐれだって。キミのことは気に入ったし、人間の友達がいなかったからアルさえ良ければ一緒にいたいな」
友達。その言葉に、アルが閉口した。アルも友人はいなかった。オルフィーネに入国してから、最初は仲良くなってもアルが占師だと分かると距離を置かれてしまう日々。疑われる度に街や村を転々としていたが、とうとう逃げる暇もなく捕らえられたのが今日。
「ダメ……かな?」
「別に……好きにしろよ」
「ホント? ありがとう!」
サファイアは頬を赤く染め、ローブをゴソゴソと漁りだした。すると右のポケットから何かが飛び出してサファイアの肩に乗った。
「お待たせルー」
「ルー? 何だそれ?」
「使い魔だよ。世間じゃフクロウやネズミがメジャーだけど、僕はフクロモモンガにしたんだ」
「フクロモモンガもアリなのか……」
「基本、ペットに出来る生き物なら使い魔に出来るよ。フクロモモンガは慣れれば手乗りしてくれるのがいいよね」
サファイアがルーの頭を撫でると、ルーはシッポでサファイアの指を撫でた。
「ルーはキミのことも理解してくれたよ」
「ホントかよ」
「勿論! さて、早くオルフィーネから出ようか。またランドルフの男たちが来ちゃうよ」
サファイアは右腕をまっすぐ頭上に上げ、風向きを測った。そして左腕を地面に付けて地盤の磁場を計る。
「東に行けば、オルフィーネから出られるね」
「隣の国は……コラドナだったか。近いのか?」
「コラドナの田舎街サルーンだね。一晩歩けば行けるんじゃないかな?」
「一晩!? つか、魔法で一瞬じゃないのかよ」
「そんな簡単に魔力の無駄遣いは出来ないの! 歩くよ!」
ルーを再びローブの中に入れると、サファイアは東へ歩きだした。小さくため息をついて、アルは後に続いて歩きだした。
「なぁ、サファイア」
「なに?」
「さっきから、ずっと同じ場所を歩いてる気がするんだが」
「気のせいじゃない?」
「なぁ、サファイア」
「なに?」
「この木、見たことある気がするんだが」
「気のせいじゃない?」
「なぁ、サファイア」
「なに?」
「今度はどんどん森の奥に行ってる気がするんだが」
「気のせいじゃない?」
「なぁ、サファイア」
「もー! しつこいなー! 今度はなに?」
「お前……やっぱり何か隠してるだろ? ランドルフの村人から助けてくれたってことは、本当にオルフィーネとは関係ないんだろうが……」
サファイアの足が止まった。何も言わず、振り返ることすらしない彼に、アルも足を止めて気を張った。
「あーあ、だから占い師って感がいいから嫌なんだよねぇ……」
「サファ、イア……?」
さっきまでと違う低い声で呟いたサファイアに、アルの身体が強ばった。振り返ったサファイアは、まさに名前のとおり碧い瞳と、ルビーのように紅い髪をしていた。
「キミの言う通り、オルフィーネとは関係ないよ。でもね、コラドナとは関係あるんだ」
「どういうことだ……?」
「僕はね、コラドナの王様に雇われてる魔法使いなんだ。コラドナでは魔女じゃなくて全員が魔法使いって言うんだけど、国民のほとんどは僕たちみたいな魔法使いと契約していてね」
ルーがキィ、と鳴いた。
「国は魔法で出来ていないのに、国民が魔法使いを雇うから、国には魔法が溢れてる」
そして、とサファイアは続けた。
「そのコラドナの王様、ハイルク様は僕に命じたんだ。『オルフィーネの占い師を連れてこい』ってね」
サファイアの言葉に、水を飲んだ筈の喉が焼けるように熱かった。
「勿論、キミが処刑されるとも思わなかったし、死ぬ必要が無い人間が死ぬのが嫌って言ったことに嘘はない」
「……そうか、気まぐれじゃなかったってことか……」
「ハイルク様は優秀な人間だけを近くに置きたくて、少しでも失敗したり自分の思い通りに行かない国民は処刑するんだ……」
段々嗚咽の混じるサファイアの言葉に、アルは何も言えず、ただ聞いているだけ。
「最初は普通に話しかけて、魔法を使わずオルフィーネの国民にもキミにも怪しまれないようにコラドナに向かう予定だった。でも着いた時にはもうキミが処刑される時間だと聞いて、魔法を使うしかないと思った」
生暖かい風が吹いて、アルの銀髪とサファイアの紅い髪を乱す。森がザワついて、空気圧が重く感じた。
「いざ助ける時になって、油をかけられたキミを見て苦しくなったんだ。ハイルク様もこんな風に見世物として処刑するのだろうかと」
ザワザワと鳴る木々が、まるで警鐘を鳴らすかのように二人を包む。
「僕も、この任務が終われば追放するってハイルク様は仰った。王に付く魔法使いとして弱すぎる、ってね。ならば、キミと一緒に逃げたい。そう思ってるんだ――うっ」
「サファイア!?」
突然、サファイアが呻いて膝をついて崩れ落ちた。両手で抑えた胸元、心臓の辺りからはジワリと血が滲み出ていた。アルは咄嗟に駆け寄り、自身のシャツの袖を破って傷口に巻いた。
「ありがとう、アル……でも、無駄だよ」
「なに言ってるんだ!お前も死ぬ必要のない人間だろ?」
「言ったでしょ? ハイルク様は少しでも失敗したり、自分の思い通りに行かない国民は処刑するんだ。つまり、キミを連れてこない僕に怒って、神官の契約魔法使いが攻撃した……」
「そんな! ならお前も一緒に……!」
サファイアは動揺するアルの肩にルーを乗せ、首を横に振って精一杯の笑顔を向けた。
「この木の向こう側の踏み固められた道をまっすぐ行けば、中立国ルピナスに着く。少しでも、友人として一緒にいたい僕の気持ちがキミに伝わったなら……ルーを……」
「……くそっ」
アルは立ち上がり、ルーをローブの中に隠して走り出した。サファイアより強い魔法使いが彼を殺したのなら、遺体を確認するために多分ここへ来る。そして自分が一緒に殺されなかったということは、その魔法使いの攻撃は魔法使いにしか効かないのかもしれない。このままここにいてサファイアの亡骸と一緒に捕えられることは、彼の望みではないのだろう。
「出身と名前は?」
「ルアーズ国のアピシア地方、アルフレッド・アピシア」
「大陸が違うな。今どこから来た?」
「オルフィーネ公国のランドルフ。無実の罪で殺されそうになったから、保護を頼みたい」
「ランドルフ……お前さん魔法使いか?」
「いや、ただの星詠みの占い師」
「そうか、そのローブの中にいるのは?」
「……ペット、いや、相棒のフクロモモンガ。名前はルー」
「よし、入国を許可しよう。帰化登録は?」
「いらない。捨てるのはランドルフだ」
「了解した。役所へ行けば、滞在手続きが出来る」
「ありがとう」
「良い旅を」
End
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