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夏の名残

「なんだこの部屋……ひでえ有様だな……」 カギが開けっぱなしだった美浜(みはま)のアパートの部屋に一歩足を踏み入れて、武田はブツクサ言った。 足元には雑誌やら服やら……畳が見えないくらいにガラクタが散乱している。 部屋の主の美浜はその真ん中で、タオルケットにすっぽりとくるまっていた。まるで(さなぎ)のようだ、と武田は苦笑した。 「寝てんのか?」 散乱する物をつま先で蹴ってよけながら、武田は美浜に声をかけた。 空になったコンビニ弁当の容器や、インスタントラーメンのカップがその中に混ざっている所を見ると、なんとか食べてはいるらしい。 「……寝てる」 蛹状態のまま美浜が呟く。 「起きてるじゃんか……プール行こう。ひと泳ぎしようぜ……」 二人は高校時代、同じ水泳部にいた。 当時から美浜は、付き合う相手にふられては、こうして落ち込むということを繰り返している。武田は常に、その美浜の慰め役だった。 なぜだか美浜はいつも、見込みが無い相手ばかりに恋をする。今回は、彼よりかなり年上の人妻で――つまりは不倫だった。 彼女は金持ちの夫と別れる気はまったく無く、美浜の事も、単なる気晴らしの遊び相手だということが周囲には歴然としていて、もとより成就するわけが無かった。 ――そんな自分勝手な相手にフられたからって……こいつがこんなに落ち込む必要は無い。 武田は構わず、動こうとしない美浜の腕を掴むと、タオルから引っ張り出して立ち上がらせた。 「こうして寝てるより体動かした方がいい。泳げば落ち込んでんのなんかどっかいっちまうって……」 別段拒む風もなく素直について来た美浜に、武田は予備のヘルメットを被せてあご紐をしめてやり、自分のバイクの後ろに乗せた。 腰に手を回させると美浜は自然に武田に上半身を預けてくる格好になる。その重さを背中で感じながら、武田は近くのプールへバイクを走らせた。もう外で泳ぐ季節は過ぎたが、そこなら室内なので一年中やっている。 平日のプールはがらがらだった。始めはぼんやりしたままただ水に浸かっていた美浜だったが、武田が数度、彼の脇をわざとらしく水を弾きながらクロールで横切ると、つられたのか泳ぎ始めた。 武田は水の中で立ち止まり、美浜の姿を暫く眺めた――美浜はプールの反対側の端まで泳いで行くと、魚を思わせる鮮やかさで身を翻してターンし、こちらに戻って来た。 水から顔を上げた美浜の表情はいつものように生気を取り戻していた。武田と目が合うと微かに笑った。武田も微笑み返した。 眺めている武田の前でふいに美浜は水から上がると、何を思ったのか、プールサイドで水滴を滴らせながら突っ立ち、自分の水着の腰の部分を片手でぐいと押し下げて覗き込んでいる。引き締まった彼の腹部がかなり下まで(あらわ)になったのを見て武田はうろたえた。水着に隠れていた部分がくっきりと白く、日焼けせずに残っているのが――酷くなまめかしい。 「なにやってんだ!?そこでストリップでもはじめる気かよ!?」 武田は慌てて美浜に向かって叫んだ。 「まさか」 美浜が笑って、水着から手を離す。 「日焼けのあと――いつ消えるかなと思って。これ、彼女と旅行行った時のだから――」 不倫旅行に誘ったのは女の方だった。美浜はその旅行から帰ってきて間もなく、別れを告げられて捨てられた。 「あっち、日差しが強くてさ。たった三泊だったのに、真っ黒んなっちゃった……」 美浜が呟くように言う。その三泊の間の――美浜と彼女とのことをつい想像し、武田は胸苦しさを覚えた。 「はやく消えて欲しい。見るたび――思い出しちまうから」 独り言のように呟いて、美浜は頭からするりとプールに飛び込んだ。後ろで監視員が短く笛を鳴らす。 「ここ、ダイブは禁止ですよ!」 若い監視員に武田は詫びた。 「すみません――言っときます」 帰り道、また二人でバイクに跨った。腰に再び回された美浜の両腕には、気のせいかさっきより力がこもり、まるで武田に縋っているかのように思える。その感触を体で味わいながら、武田は――このまま――ずっとこうして走っていたい、と我知らず考えた。 その時美浜が 「このまま――」 と言った。 「え!?なに!?」 どきりとしながら武田は訊いた。エンジン音がうるさい。 「このまま――二人でどっかに消えちゃいたい」 ヘルメット越しに、武田に向かって美浜はそう叫んだ。 二人で消える?このまま? それも――悪くない。 一瞬周囲の風景が――後ろに飛び去り真っ白になって何も見えなくなった。バイクのエンジン音がかき消える。被っているヘルメットの重みもない。あるのは――背中にぴったりと寄り添った美浜の体だけ――。 だが武田は、わずかに頭を振って気を取り直すと、美浜に向かって 「お前と心中はごめんだよ!」 と――叫び返した――

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