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フリップサイド 1

 いつもの、学校からの帰り道。  隣に並んで一緒に歩くアキは、僕より10センチぐらい背が高い。ほとんど幽霊部員だけど、一応サッカー部に所属していて、肩幅も僕より少し大きい。幽霊部員だから、週に1~2回はこうして一緒に帰ってる。  いつのまにそんなに身長の差がついたんだろう。  あ、けど中学の時は彼、バスケやってたな。確か、そっちは今よりマジメにやってたんじゃなかったっけ。中学から今まで5年間ずっとガリ勉で帰宅部の僕とでは、そりゃあ身長の差もつくよな。 「タカアキ、それ、何? 文庫本にかけてあるカバー」  まるでヒューッと口笛でも吹くみたいに「カッコいいじゃん」と言って、覗き込んでくる。  歩きながら本が読めたらいいのにな、といつも思う。人や物にぶつかる心配もなく、目的地まで歩いている間も、読書の時間に宛てられたらどんなに有意義か。  読みたい本や聴きたい音楽は無限にあるのに、僕らに与えられた時間には限りがある。いつからそんなふうに考えるようになったのか忘れたけど、気がつくといつも焦りみたいなものを感じているように思う。  中学の頃は違った。  特にやらなきゃいけないこともなくて、時間だけはありあまるほどあった。中学生って生きものは、世界で一番ヒマな生きものだったんだって、今では思う。 「これ、昔のNMEのページを破ったヤツ。レコード屋に行ったら古いのが何冊かまとめて売ってて、『ブックカバーにどうぞ』って書いてあったから」 「NMEってイギリスの? あの紙の質がヤバい雑誌?」 「そう、それ」 「レコード屋っていつもの?」 「そう」 「へー。いいじゃん」  ありがとう、と答えているつもりで、うん、と頷いた。 「俺、ずいぶん行ってないなぁ。今度行く時、つれてってよ」 「あぁ。けど、君ん家とは真逆だから……」 「いいよ」  最後まで言い終わらないうちに、彼が言葉をかぶせた。 「たまにはデートしよ」  学校の帰り道。2人とも制服のまんまで、往来のど真ん中で手を握り合うことはしない。けど、照れたような顔で僕に笑いかけるアキの顔が視界の端っこにあって、僕も彼を見た。それから、下を向いた。少しだけ恥ずかしかったから。  僕はその顔を見られるのがイヤで、下を向いたまま、また彼の隣に並んだ。 「今日、……これから行ってもいいよ」 「おっ」 「その後、ウチに寄ってもいいし」 「じゃ、そうする」  そんなふうに僕たちは軽々しく約束を交わし、すべての予定をすっ飛ばして自分たちの都合を最優先にする。自分たちが気持ちいいこと。僕たちが望むこと。したいこと。それだけをするために。それよりも大切なことなんて、ひとまず思い当たらない。 「今日、行ってもいいんだ……」  つま先でコーヒーの空き缶を転がしながら、彼はひとりごとのように口にして一瞬、ふん、とうなずくように首を小さく縦に動かした。 「……じゃあ、レコード屋やめて部屋行く」  僕は最初、彼の言っている意味がわからなくて、右に15度ぐらい首をかしげほんの数秒、アキの顔を見つめたまま立ち止まってしまった。たぶん、すっごくまぬけな顔をしていたと思う。 「だから、今日のデートさ、レコード屋じゃなくてタカアキの部屋に変更しよ」 「あ……、えっと……」  立ち止まったままでいる僕の5、6歩ほど先にいる彼が、「ダメ?」とこっちを振り返って聞く。 「いや。……ダメ、じゃない」  僕の口をついて出た答えを聞くと、彼は上半身を折り曲げるようにして前傾しながら、大きな声で笑い出した。前を歩いていた親子が振り返るぐらいの大きな声で。 「いやなの? それともダメじゃないの? どっちだよ」  さっきまで恥ずかしさに赤くなってた頬が、一気に腹立たしさに膨らんでいく。  ……そんなに笑うことか?  僕、いつもだいたいそんな言い方をしてるじゃないか。  確かに、改めて考えるとよくわからない答え方をしているなとは思うけど。けど、そんなに大声で笑わなくたって。ムッとした顔のまま、大股で歩いて彼を追い越し際に、 「いいに決まってるだろっ」  と、彼にだけ聞こえるぐらいの音量で吐き捨てるように言って地下鉄の入り口を目指した。  高校2年も、もうあと少しで終わる。  彼とこんなふうに学校から帰るようになったのは、高校に入ってから。  付き合いはじめてから、あと少しでちょうど1年。去年のクリスマス前だった。  男同士でクリスマスなんて気持ち悪い話だと思われるかもしれないけど、男だって好きな人がいればいわゆる特別な日はそれなりに過ごしたいもんなんだ。  アキと知り合ったのは中学の入学式だった。  僕がメガネに貼りついた桜の花びらを取ろうと、校門の脇でひとりあたふたしている時に、後ろから走ってきた彼が背中にぶつかり、手からメガネが滑り落ちた。幸い、レンズもフレームも傷になるようなことはなかったけれど、彼はひどく驚いたのと詫びる気持ちからか、何度も「ごめん!」と言いながら結局そのまま、クラス分けの一覧表が張り出された中庭まで、僕の腕を取る勢いで一緒に歩いた。  彼と僕はクラスが違ったから、そこで別れた。  お互いの名前は告げたけど、それから3年の時に初めて同じクラスになるまで、ほぼ交流はなかった。交流どころか、すれ違うようなことはあっても話したこともなかった。  ただ、僕はあの入学式の日からなんとなく、彼の姿を目で追うようになっていた。  部活に励む彼を、放課後の図書室の窓際の席から何度となく、時間を忘れて眺めていたこともあった。  受験が近づいたある日、思いがけず耳にした彼の志望校が僕のと同じだったことに居ても立っても居られなくなって、その日は走って家まで帰った。バカだよな。でも、すごく嬉しかった。  その頃、彼はまだ自分のことを「僕」って言ってた気がする。  いつから「俺」って言うようになったんだろう。

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