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第二部「階梯と車輪」10
剥き出しの「階梯」を腕に抱えて夜の街を歩いた。彼女は電車に乗るかホテルに泊まると思ったらしいが、僕は歩いた。歩きたかった。二駅くらい、なんでもない。
ひとしれず濡らした頬を夜風が撫でた。街路樹の枝葉がぶつかりあい、そのさざめきが肌をうつ。とりまく闇の気配が「覚醒」を促している。わたしはいつでも太陽の位置がわかる。あの黄金の車輪、そして銀の車輪たる月の満ち欠けもからだで識(し)っている。
世間ではわたしたち「夢使い」は闇に属し、夜に生きると思っている。それは一面においては間違いではない。だが本当は、暁に棲む者がそれだ。東の空から香音が聴こえるとき、いっせいに夢がおりてくるその刻(とき)ほど、「夢使い」が「夢使い」であるときはない。
夢は、この視界の「滋養」だ。
時の車輪をまわし、ひとを活かす、そのための「滋養」なのだ。ひとが夢を負い、夢がひとを負う。「夢使い」はその仲立ちとして、両者に自身を負って、また負われている。そこに滞りはない。上下左右も何もかも、回転し、行きつ戻りつ、交じり合い重なって、ひとつに結ばれて、また離れ、再びあいまみえ、視界を廻らす。その繰り返しが、視界の営みそのものなのだ。
けれどそれらのことどもを、多くのひとびとは忘れてしまっている。忘れても、生きていけるようになってしまった。
わたしは無力だ。無力どころか、害悪だ。彼女を酷く傷つけた。昔以上に。
あのとき、僕は彼女を手酷く退けた。言葉で拒絶して席を立ち、その後はほとんど顔を合わせなかった。無視したと言っていいほどに。彼女は誠心誠意から相談にのってくれようとしていたし、僕の「傷」をほぼ正確に、まっすぐに見つめていた。だからこそ僕は彼女を疎んじた。腹立たしかった。彼女が思い上がっているように感じた。彼女はなにも失わずそこにいて、みなに守られ、将来を約束された立場から何もかもを失ったじぶんにものをいう。酷く、憎らしかった。
無垢で善なる想いは時としてすこぶる煩わしい。厭わしいと言ってもいい。わたしはすでに「夢使い」になると決めていた。決められていたと言ったほうが正確で、それはひとの「欲望」と向き合うことだと理解したつもりだった。そしてまた欲望のあさましさ、厭らしさ、貪欲、穢れ、黒々と沈みとぐろを巻く、強く、濃い感情と親しむのは早かった。それには馴れた。身を摺り寄せるのは容易く、染まるのも出来た。
いっぽうで、ほんとうの意味で難しかったのは弱さそのものに添うことで、それを扱う手つきが覚束ないまま今に至る。繊細さ、虚弱さ、はかなさ、果敢なさ、儚さ……
「分別が、高校生にあってたまるかよ」
わたしは苦笑でひとりごちた。
年齢に関係なく、あるひとは、あるのだろう。わたしは知らないが。でもお互い、そんなものはなかった。もちろん今も。
彼女は、あいかわらずだ。変わらずに傲慢だ。だが今は、それを憎みたいと思わない。ただどうしようもなく切なくて、胸が痛い。
扉を叩き、はなしを聴かせてくれと頭をさげても、彼女のこころはひらかない。かつての僕が、そうであったように。誰にも想いを打ち明けず、おのれの内側に篭りきり、ひたすらじぶんを責めるだけ。
闇の中で眼を見開いているようなものだ。
彼女が、よく眠れるといいのだが。
来ないひとを想って夜闇にその身を凝(こご)らせず、眼をとじて夜のしじまに横たわり夢の馨りをまとえばいい。わたしはその手助けを断られたが、
夢秤王よ、この視界を統べる主(ぬし)よ、
彼女に、この地でいちばん馨り高い夢を落としたまえ。
東の空に祈り終え、一息ついたところだった。背中から、声をかけられたのは。
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