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第三部『夢の花綵(はなづな)』「多分、夢のように」3

 たいていの夢使いは七つの夢見式にその才を見出してくれた者を師匠とする。だが、俺の娘のあがないに立ち会った夢使いはその成長を最後まで見守れないかもしれないと告げてきた。病が進行していた。  両親は別れ、師匠は倒れるでは娘の将来はどうなることかと危ぶまないではない。まあ、俺の娘なのだからほんとうのところ心配なぞしていない。する必要もない。かわりの師匠はこれ以上ない「逸材」を用意した。親がなくても子は育つ。そういうもんだ。  そうひとりごちてはみたものの、そうした人並みの親らしい感情があることの嘘くささに浮き足立つ。あの子を邪魔に思ったこともあるくせに、いざ離れ、夢使いになぞなると聞いて妙に気にした風を装おうとする。あながちそれが演技とばかりは言えそうもない。訳の分からなさに戸惑っている。  そんな俺をあの男は見透かしてわらう。わらえばいい。それだけの仕事をしているのだから。夢使いの会合を設け着々とこの視界を動かしている。俺はひそかに自身の未熟に歯噛みする。勤め人だったころ少しは知られた仕事をしたつもりでいたが、特に何も成してなどいなかったのだ。とはいえべつにそれで悪かろうはずもない。俺は俺に出来ることをするだけだ。    俺には父親がいない。女手一つで育ててくれた母は、孫の顔を見せてくれたと泣いて喜んだ次の月にあっけなく逝った。母は俺が離婚したと知らない。母がいたら別れられなかった。いい大学に入りいい会社に勤めたのも母のためで、生まれのいい美しい妻を得たのもその望みだ。  妻は別居の際に俺をマザコンでファザコンだと罵った。俺は片頬でわらった。じゃあ俺たちは似た者同士だと。頬に散った朱は殊更になまめかしかったがそれまでだ。  ふとしたとき、父があの男に似ていると感じていたのも言い訳の仕様もない事実だ。写真で見る父はたいそうな色男だった。  ところが、だ。  先日ふと思いつき写真を二枚並べてみた。まるで似ていなかった。こんなものだ。俺は高らかに笑うつもりが肩を落とした。少しはものが視えると自惚れていてこのざまだ。人間ってやつは厄介に過ぎる。この調子じゃあ俺はこの先ありとあらゆるものをどうしようもなく見間違うだろう。やってられん。まったくやってられん。      「店長? どうされましたか」  夢使いの瞳と出会う。よほど俺はもの思いに耽っていたらしい。   そう、この視線。  何もかも見透かしているかのようなのに、いざとなると何も知らないとこたえそうな。そしてこちらから手を伸ばすと、すっと遠く離れるはずで。かといって冷淡に退けられているわけでなく。それでいて、捕らえどころがない。  多分、夢のように。  あの男は夢のただなかにいる。  あの眼は夢を見ている人間のそれだ。この視界を変える会合の件でさえ、夢を見て描いた図に添っている。あの男の妻は、夫にいつまでも覚めない夢でも見させ続けているのだろうか。もうやめてくれ。もういい加減に解放してやれと墓の前で頭をさげたのはもう何年も前のことだ。  俺は一度ならず、そういうことが出来るのかと夢使いに尋ねたい衝動にかられたことがある。辛うじて踏みとどまったのは廉恥心のせいでなく、出来ると言われたら俺にまったく勝ち目がないからだ。誰が負け戦なぞ仕掛けよう。俺はやらん。  俺は、夢使いの黒々とした両目を見返した。 「ああ、なんでもない。引き受けてくれて感謝している。くれぐれもよろしく頼む」 「いえ、どういたしまして。こちらこそ、大事なお嬢さんをお預かりすることになるのですから今後ともどうぞ宜しくお願いいたします」  そういって彼は礼儀正しく頭をさげた。この生真面目な青年は、あの男の亡くなった妻の甥にあたる。つまり俺の妻だった女の従弟なのだ。この街で、俺はこの青年の保護者のような立場にある。まったくもって、あの男にいいように使われている。  裏を返せば、  俺は多分、あの男にそれなりに頼りにされ、恐らくは、必要とされている。あの男の手足になるのを拒んだのは、俺なりの節度だったはずだ。または、ただたんに俺の居場所はそこではないと知らしめたかっただけのことだ。そんなところで関係を保障されたくはなかった。秘書など他の人間がやればいい。俺は、俺にしかやれないことをやる。あの男の傍にいるために。  頼りない、はかない夢のような想いでも、俺はそれなしでは生きられない。次に会ったら、夢から覚めて俺を見ろと迫ることにしよう。  貴方より、先には死なないと約束して。  夢使いを送りだし心中でそうつぶやいたとたん携帯電話が鳴った。あいかわらずの千里眼。油断も隙もありゃしない。出来得る限り怠惰で不機嫌な声をあげてみる。 「今日は面会日ですよ」 「知っている。夜中まで娘を相手にしているわけじゃないだろう。終わったら来なさい」  返答も聞かず一方的に切られた。  いつもこの調子だ。  それなのに、いやそれゆえに俺の下腹に火がともる。声を聞いただけでこのざまだ。これから娘が来るってのになんてこった。さっさと出来上がっちまった若人達を笑えんじゃないか。やってられん、ほんとにやってられん。  だがまあそれも人生ってやつだ。この熱だけは、夢ではないのだから。   俺は煙草に火をつけて窓を打つ五月雨を眺めた。相合傘が横断歩道の向こうへ消えていく。もうしばらくしたら、赤いレインコートを着た娘があの道を走ってくる。                  了

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