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出立前夜

 人里離れた山奥に男の二人所帯を構えて、もう何年経つだろう。川で拾った赤子が独り立ちするのだから、もう十四、五年だろうか。父親二人を、じさま、ばさまと呼ばせて育てた。息子が他所で親の話をしても怪しまれることはないだろう。  陽が落ちてからは一枚余計に羽織らないと肌寒い。明かり取りの火にも近寄りたくなるし、連れ合いに擦り寄って身を温めたい。  息子が寝入ったのを確認してからゴソゴソと動き出す。追い払われると知っていても、それでも滑らかな温もりに手を伸ばし、やっぱり怒られた。 「こら」 「ぶたなくてもいいだろう? あいたた……」 「汚い手で触るな」 「だってさ、明日からのことを考えたらやたら寂しい。温かいものに触れていたいじゃないか」  手元の塊をやわやわと丸めるようにあやすと、そっと手を放す。 「なんでこんなに柔らかい?」 「……もっと固くする?」 「聞き返すなよ。なんでかな、と思っただけだよ」 「固い方が良いとは限らないだろう」  指先でつんと突いた熱い玉は、明日持たせる搗き立てのきび団子だ。夜風に晒されて冷えてゆく。 「まあ、放っておいても朝方にはコチコチになるけどな」  声を殺し肩を揺らして笑う。何年経ってもたわいない話で笑える関係は居心地がいい。  家を出て鬼ヶ島に行くと決めた息子。一人では非力で、仲間の助けが何倍にも力を膨らませるということは身をもって知ればいい。やかましく言葉で言うより、話のきっかけになる食い物でもこさえて持たせてやろう、と、本人が寝てから二人できび餅を搗き、丸めているのだ。 「子供に気を使ってコソコソ話すのも今夜までか」 「十五年、か。あっという間だな」 「あの子にもいろいろな出会いがあるといいな。若いうちに少し苦労して、大事なものを知って、いい人と幸せに暮らして欲しい」 「この親には似るなよ」 「おや。似たっていいぞ! 自分の幸せと他人を切り離せば、幸せに暮らすのは案外簡単だ」 「俺は寛容だぞ。性別どころか、人間でない者を選んでも祝福するさ」 「連れてきたらどうする?」 「せめて、同じ飯が食える種族であって欲しいな。人間の肉を取って食う輩だったらどうしよう……」  夜風ではない冷たいものが背筋を伝う。 「思えば息子も、この吉備餅よりも生肉を好んで食べるよな」 「そもそもあいつこそ人間なのか。川を流れる捨て子なぞ、普通ではない」 「よせやい。考えるな」  明日は涙なしで見送れそうな気がする。  おあとがよろしいようで。

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