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シリウスフィリア
柳楽 一臣はその日もまた、二ノ宮 凛一が住むマンションに訪れた。エレベーターを使用する際の耳鳴りが、ほんの少し気分に触れた。凛一の部屋の前に着いたがチャイムを押しても空しく響くだけで、対応をする気配は見られない。一臣は仕方なくポケットを探り合鍵を使い、玄関の錠を落とした。かちり、と扉を開け、身をなるべく音をたてぬように室内に滑り込ませた。靴をスリッパに履き替え、勝手知ったる廊下を進む。そしてとある部屋の前に着くと扉をノックした。
「凛一?」
「…。」
凛一は奥の部屋―…、寝室で眠っていた。まるで胎児のように丸くなり、ベッドの上。毛布にくるまっていた。規則正しい寝息が聞こえる。時折、その長い睫毛を震わせてきゅっと眉根を寄せた。自らを抱くように腕を回して、微動だにしない。
ベッドのサイドテーブルには水のペットボトルが置かれ、枕元には錠剤があった。
「量が増えたなあ…。」
恐らく睡眠導入剤だろう。凛一は一日の大半は睡眠導入剤を飲んで眠って過ごしている。眠って、眠って、眠りすぎて頭痛を訴えることもあった。だが、凛一は眠ることを選択する。現実に生きるのがつらく、夢に逃げているのだ。
一臣は眠る凛一の髪の毛を優しく撫でた。髪は指で掬うとさらりと零れ、逃げていく。慈しみ、労わりを込めて撫でるその髪の毛は猫っ毛だった。
その後、凛一を起こさぬようにキッチンに移動して食事を作り始める。最近の一臣の日課だ。冷蔵庫にあるもう食べられそうにないものを処分し、新しく作ったものを代わりに納める。ほとんど減らないのが、目下のところ悩みの種だ。
一臣がジャガイモの皮むきをしていると、寝室で物音が聞こえた。手をエプロンで拭きながら、寝室に向かう。大きな音は立ててはいけない。彼は今とても敏感で、物音に驚くとたちまち涙を零して嫌がった。
コンコン、と軽くノックし中の様子を伺った。
「凛一?どうしたの、大丈夫だよ。」
「ぁ、っ…、」
「俺だよ。一臣。」
凛一は酷く怯えた瞳をしていた。身体を震わせて、ぎゅっと毛布を握っていた。一臣は凛一に触れないように、でも気遣うように、そっと膝をついて凛一の顔を見上げた。
「また…、夢に見たの。」
「…。」
凛一はこくりと首を縦に振った。過呼吸のように急いで息をしているものだから、一臣はビニール袋を凛一に手渡し、ゆっくり呼吸するよう促す。
乱れた呼吸を整えたところを見計らい、一臣はリビングに凛一を誘った。
「一応、凛一の好物をそろえてみたけど。食べられるものはない?」
「…。」
首を横に振って凛一は答える。
「そんなこと言わないで、食べて。そんなに痩せてどうするの?」
何とか宥め、食卓に着かせるが凛一の箸は進まない。そして終いには白い顔をして、頑張って食べたものをトイレにこもって戻してしまうのだ。
ここまで凛一を追い詰めて、弱らせていく原因はただ一つ。凛一は一年前、複数の男性から性的暴行を受けた。
その日から凛一は人に触れるのも、触れられるのもできなくなった。かすかな物音に怯えて、過ぎ去る影に恐怖した。
そして日常はおろか、声すら失った。
PTSDは残り、発作のように強姦された体験を思い出して、凛一は手が付けられぬように暴れた。自傷行為から始まり、近くにあるもの全てを破壊してしまうのだ。
涙を零し、声にならない叫び声をあげるのだ。
あの時の光景は忘れられない。
シャワールームで全裸のまま倒れている凛一。手には剃刀が握られていた。
身体のいたるところに―…顔にまで切り傷が刻まれていた。そして特に傷が集中していたのは手首だった。傷口は渇くことを知らず止めどなく血が流れ、床を冷水と交わって紅く染め上げた。
「凛一!?」
「…。」
「っ、どうした?何が、」
凛一を抱き上げた一臣が気付いた。凛一の秘部から出血と、どろりとした乳白色の液体が溢れたことを。
「…まさか…。」
「…、」
揺さ振られた刺激に、凛一は目を覚ました。
「凛一、」
「―…っ!!……!」
喉の奥をヒューヒューと鳴らしながら、凛一は一臣の腕の中から逃げようと暴れた。泣きながらがむしゃらに手足をばたつかせ、首を振って全身で拒否をした。
「大丈夫、もう大丈夫だから!」
一臣は自傷しようとする凛一を背後から抱きしめ、何とか制止する。剃刀は目覚める前に取り上げておいて、本当によかったと思った。
その日、珍しく寝ずに覚醒していた凛一は、部屋でヘッドホンを着け音楽を聴いていた。一臣のいない日中は、酷く心が無防備になった。
「…。」
耳から鼓膜へ直接流れるメロディ。以前、好んで聴いていた明るく華やかで、そしてささやかな恋の歌。甘い歌詞が、優しい旋律が、凛一の身を苛んだ。
無表情の凛一の顔に、涙が伝っていく。熱く、さらさらしていて、拭うのも面倒でそのままにしていた。その内、身体が震え出した。凛一は自らの両手をじっと見つめた。無様なほどがくがくと震え、物を持つこともままならない。手首には、線のような傷が残っている。
こんなに。こんなに、自分は弱かったか。
金属音が響くように頭痛が走る。そして、カメラのフラッシュがたかれるように記憶が心にせめぎ出した。
男性たちの複数の笑い声。
身体に伸びる手。
多勢に無勢で、何もできなかった自分。
飲み込んだ叫び声。
「―…っ!」
ヘッドホンを壁に投げつけ、耳を手で覆っても聞こえてくる。
嫌だ。
・・・嫌だ。
止めてくれ。
凛一は息を切らしながら、手の指を噛んだ。あまりにも強く噛んだせい皮膚が裂け、血が滲む。きっと後には青黒くも変色するだろう。それでもお構いなしにカチカチと震えながら、歯を突き立てていた。
『凛一。』
「!」
ふと、一臣の優しい声が脳内に響いた。
『凛一、大丈夫。…もう、俺がいるから。』
止めて。そんな声で、僕の名を呼ぶな。僕にはもう、耐えられない。
凛一は、睡眠導入剤に手を伸ばす。そして何錠かを口に放り込み、ペットボトルの水で空っぽの胃に流し込んだ。胃に何もないまま薬を飲むと、酷く胸やけを起こすがそれは後のことだ。今、乗り切れればそれでいい。
段々、意識が朦朧としてきて凛一はベッドに倒れ込むように横になった。
「…っ…。」
ドクン、と心臓が嫌な音を立てる。
助けて。
夢を見た。よく覚えていないけれど、触れるものが皆壊れていく、酷く物悲しい夢だった。
すう、と息を吸い込むように重い瞼を開けると、そこには心配そうな瞳で凛一を見つめる一臣の姿があった。
「…、」
「…あ、起こしちゃったかな。」
一臣は凛一の髪の毛を撫でていた。優しく、慈しむその手で。
撫でていた。
触れていた。
凛一は飛び起きて、ぎりぎりまで壁際に身を寄せた。動悸が激しく、嫌な汗が流れる。
「ごめん。つい…。」
一臣は傷ついたような瞳をしていた。否、傷付けた。
謝らないでくれ。謝らなければならないのは、僕の方なのに。
その事実が悲しくて、ぽろぽろと涙が零れる。声が出せれば、伝えられるのに。せめて、大丈夫だからと。もう来ないでくれ、と。そう言って、僕と言うお荷物から解放させてあげられるのに。
「凛一…!」
真冬のある日、様子を見に来た一臣に発見された。凛一は玄関の先、廊下の奥でぐったりと壁にもたれかかるように倒れていた。
一臣は凛一の元に駆け寄ると、首筋に手を当て脈拍を図ろうとした。その素肌に触れて、冷たさに驚いた。何時間、この寒い廊下に居たのだろう。
「馬鹿…っ、こんなに薬を飲んで!!」
傍らに落ちていた錠剤の包装を見て、また驚愕する。いつもの倍は睡眠導入剤を飲んでいた。
「…、」
顔を見ると、泣いた痕が見られた。一臣は凛一を抱え、トイレに連れ込む。
「凛一、しっかり。」
何とか叱咤し、支えながら屈ませる。
「…ぅ…。」
「ちょっと、ごめんね?指を噛まないで。」
一臣は凛一の喉奥に指を突っ込んだ。凛一はその苦しさに、咳と共に嘔吐した。指を抜き、凛一の腹を圧迫しながら、背をさする。
「よしよし…。上手、その調子…。」
あらかた胃の中を吐かせ、水を大量に飲ませ、ベッドに寝かせる。幾分か顔色はマシになった。浅かった呼吸もちゃんと深呼吸できている。
「…。」
そうしてでも眠る凛一の髪の毛を、一臣は優しく梳いた。眠っているからこそできる接触だった。
「…どうすれば、いいんだろうな…。」
ぽつりと呟いたところで、答えはどこからも出てこない。
下卑た笑い声に、身体を抉る熱量と痛み。苦しさ。羞恥心、自尊心共にずたずたに傷つけられて、思考回路が鈍る。
「…。」
気が付けば、凛一は裸のままその場に放置されていた。ぽつぽつと雨粒が身体を伝う。身体が重く、いたるところが痛かった。
しばらくぼうっとして、凛一は身体が動くことを確認するとのろのろと起き上がった。汚れた服を着込み、何とか歩き出す。時刻は早朝のようだった。真白い光が街を覆っている。
歩いて、歩いて、歩いて。
瞳から涙が零れていることにはまったく気が付かなかった。
自宅に辿り着くと、凛一は玄関でうずくまった。しばらく自分を抱いて、落ち着こうとしたがそれは不可能に終わる。
――…身体、綺麗にしないと。
働かない頭で考え、バスルームになだれ込んだ。
温度のわからないシャワーを浴びながら、これからの事を考えた。今日は確か、一臣が家に来る予定だった。
一臣。
一臣。
知られたくない。見られたくない。誰も、僕に触らないで。
凛一が風邪を引いた。
恐らく、先日の長時間廊下で倒れていたことが原因だろう。高熱を出し、汗をかき、息も絶え絶えに眠っていたところを発見した。体力が落ちきっていて、免疫力も下がっているのだから予測はできたことだった。
「凛一、ごめん。触るよ。」
「…。」
抗う気力すらないのだろう、凛一はされるがまま一臣に身を預けていた。額に手を当て、熱の上がり具合を測ると、一臣は自身のコートを凛一に羽織らせて袖を通させた。
「寝間着のままでいい。今から、病院に行くよ。財布とスマホだけ持って。」
一臣は凛一を抱き上げると、マンションの地下駐車場に向かった。
車の助手席に乗せ、シートベルトを掛ける。少しでも身体が楽なようにシートを傾けた。一臣は運転席に回ると、静かに発車させた。
街の景色が流れていく。木枯らしが吹き、季節は真冬。もうすぐクリスマスなのを、駅前のロータリーで飾られたツリーによって知った。
『一臣!クリスマスは、一緒に過ごせる!?』
2年前のクリスマスを思い出す。凛一ははしゃいだように、一臣にねだった。明るく、朗らかで、無邪気な凛一は見ていて愛しく堪らなかった。その年のクリスマスは外食をして、部屋に戻ってきたころプレゼント交換をしたものだった。
「…軽くなったねえ…。凛一。」
赤信号で止まり、一臣は凛一を見た。さっき抱いたとき、あまりの軽さに驚いた。髪の毛も伸び、その華奢な身体はまるでティーンの女の子のようだった。
青信号。車を出した。寒い、寒いと思っていたら、車窓にちらちらと小雪があたるようになった。雪は刹那、結晶の形を成しすぐに溶けて消えた。景色が流れていく。車内はとても静かだった。
やがて市民病院に到着し、一臣は再び凛一を抱き上げた。人目など気にはしていられない。待合室の隅のソファに凛一の身を預け、受付に診察券を提出した。病院の待合室は季節柄、風邪の患者が多い。中には幼子を連れた母親の姿も見られる。一臣は凛一の隣に腰を下ろした。凛一は一臣の肩に力なく頭を傾けていた。どのぐらいの時が過ぎただろう。混み合っている診察の待ち時間に飽きた子供たちが、他愛もない遊びを始める。何の遊びかは把握していないが、じゃんけんをする声が響いた。
その瞬間だった。凛一の身体が大きく震えた。
「凛一…?」
「―…!!」
ガクガクと肩を震わせて、凛一は不意に立ち上がる。そして闇雲に走り出した。人にぶつかり、よろけながらもその速度は落ちない。一臣も慌てて後を追った。
「待って…っ。待つんだ!」
凛一が走る先には、交通量の多い交差点がある。
「凛一!」
じゃんけんをする無邪気な声が、おぞましいあの日の記憶を蘇らせた。男たちの声と重なってゾッとした。手が幾重にも伸び、安室を拘束して服を剝いでいく。晒された素肌には悪意しか触れず、痛みや苦しみ。恥ずかしいと思う気持ちでさえ、ずたずたにした。
逃げなければ、と思う。
ここから、逃げたい。
その気持ちだけで、周りが見えなくなる。否、周りはみんな自分を捕まえようと手を伸ばしているような気になった。
呼吸をするだけで肺が軋み、胸が痛い。寒気が身に沁みるようだった。刹那、足がもつれ盛大に転んでしまった。
「…ぁ…。」
スローモーションのように感じた。赤の歩行者用信号。迫る大型トラック。手足は痺れたように動かない。このままだと死ぬ。ああ、でも。
それもいいかもしれない。
そんな考えが脳裏に浮かび、陶酔したかのような甘美な感情に捕らわれる。ほっとして力が抜けた。クラクションが鳴り響いて、そして。
不意に後ろから抱きしめられるように強い力で、歩道に連れ戻された。しりもちをつくように後ろに倒れ込んで、凛一は愕然とした。
荒い息遣いが耳もとで聞こえた。自分を抱き締めて、包み込む体温を直に感じた。
「平気…?凛一。」
一臣。
「ぅ、ぁ…ぁ…っ、」
何故助けた。
幼子のように凛一は泣いた。寒空の下、声の無い悲しい叫びだった。
泣く凛一を抱いて、何とかあやしながら病院の駐車場に連れ帰る。きっと、彼の心は限界に近いのだろう。一滴ずつ溜まっていき、今、表面張力で保たれているような…そんな危うさだった。
凛一は気付いていなかったかもしれないが大きな車体が近づいた刹那、彼の横顔は笑みで歪んでいた。
必死で手を伸ばした。届いてくれと、願いながら。
願いは叶い、何とか凛一をこちら側へ連れ戻すことができた。だけれど凛一は子供のように泣きじゃくった。もうこの世界は、彼にとって優しくないのだ。
診察どころではなくなったため、このまま帰ることした。診察券は後日、受け取りに来ようと思う。
一臣は考えていた。凛一のために出来ることを。明日を描こうともがきながら苦しんで、それでも描けない時には何をすればいい。
マンションに帰り、凛一を自室のベッドで寝かしつける。閉じた目蓋は長い睫毛で縁取られて、眠り姫のようだと思った。
一臣もまた、疲労感を覚えその場に座り勇利の寝顔を見つめていた。
「…ごめんね。凛一。」
一臣はポツリ、呟く。
助けてあげられなくて。守ってあげられなくて。今だって、記憶や残滓と戦っているんだろう?本当なら、死なせてあげることがお前のためなのかもしれない。それでも。
「俺には…お前だけだ」
ふと、一臣は頬に熱い液体が伝うのに気が付いた。それは涙だった。酷くサラサラしていて、でも燃えるように熱い。悔しいのか、悲しいのか。分からない。
「…今日は帰るね。」
眠る凛一の額を撫でる。
「ゆっくりおやすみ。」
凛一が目覚めないように、ゆっくりと扉を閉めた。
次に一臣が凛一の元へ訪れたのは二日後の事だった。時間が欲しくて、二日も経ってしまった。
凛一は珍しく落ち着いており―…、泣き疲れたのだろう。目を真っ赤にして頬を張らしていた。
「たった二日なのに、久しぶりに感じるね。」
「…。」
俯いて下を見つめ、凛一は動かない。聞いているのか、いないのか。それすらもわからない。
「…凛一。」
一臣は膝を床に着き勇利と目線が合うようにして、問いかける。
「一緒に死のうか。」
「…。」
ゆらり、と凛一の瞳が揺らぐ。
「考えていたんだ。凛一にとって残酷なこんな世界、存在する価値があるのかどうか。俺は…君を手放す気はないし、先立たせることもしたくない。なら、いっしょに死ぬしかないじゃないか。」
「…ぁ…、」
「無理に喋らなくていい。もし、いっしょに死んでくれるなら頷いて。」
「…。」
長い沈黙。凛一は一瞬息を呑み、そしてやっと頷いた。
「ありがとう。凛一。」
一臣は微笑んで見せた。
凛一は一臣を涙が溜まった瞳で見つめた。
その日の夜、本当に久しぶりに一臣と凛一は一緒に寝た。
「凛一。」
優しく甘い一臣の声が凛一の鼓膜を刺激する。狭いベッドの上、じゃれ合うように抱きしめた。耳を甘噛みして、鎖骨に唇を這わせ、キスをする。唇を噛み、舌を吸うと甘く痺れるような陶酔感に襲われた。
「…。」
一臣は凛一が見つめる中、上に来ていたシャツを脱いだ。ぱさ、と渇いた音を立て床に衣服が落される。
「怖い?」
凛一はふるふると首を横に振った。
「そう…。よかった。」
凛一の状況を確認すると、また一臣は覆い被さってくる。凛一の衣服の中に手を忍ばせて、その肌を堪能するかのように優しく撫でた。胸の先端に指が触れると、凛一は僅かに震える。キスと愛撫を繰り返しながら、一臣は器用に凛一の服を脱がせていく。
「痕、残っちゃったね。」
裸になった凛一の身体を見て、一臣は残念そうにつぶやいた。凛一の身体は引っかき傷や噛み痕。切り傷の痕が刻まれていた。もうすでに桃色になっているが、傷の線は幾重にも重なる。一臣はその傷痕を舌で辿った。ざらざらとしていた。
「…っ…。」
く、と凛一は呼吸を漏らす。くすぐったいのか、耐え難いのか。真意は凛一にしかわからなかった。
「凛一、指…舐めてくれる?」
「?」
一臣の申し出に素直に従い、凛一は一臣の細く長い指を口に含む。ちゅく、と音が立って口元から唾液が零れた。一本、一本を丁寧に愛をこめて勇利は舐めた。
「あは。気持ちいい。凛一、ありがと。」
凛一の口から指を抜き、濡れた指で一臣は凛一の性器に触れた。
「!!」
「大丈夫。怖がらないで。」
ぐちゅ、くちゅ、と唾液を潤滑油代わりに指を動かした。時に緩く、時に性急に。筋に沿って、窪みを撫でた。
「…っぁ、」
凛一は苦し気に、握っていた枕に爪を立てた。
鈴口を抉るように押すと、小さな玉のような蜜が次々と零れた。
「―――!」
「いいよ。イって。」
一臣のささやきがトリガーになったのか、凛一は身体を震わせて先端から白濁とした精液を一臣の掌に吐きだした。
はー、はー、と肩で呼吸する凛一の頭を片方の手で優しく優しく撫でる。
「いい子。ちゃんとイケたね。」
「…。」
凛一は涙目で遠慮がちに見あげてくる。その真意に気付いて、一臣は月夜を背に微笑んだ。
「今日はここまでにしようか。」
最愛の人と死を約束できるなんて、これ以上のしあわせがあるだろうか。
夢なら覚めないでほしいと思う。傍にいてと、思う。
ごめんね、と思う。
死を想うことで、僕は心の平穏を手に入れた。もう大丈夫。もう僕は傷つかず、汚れることはない。
「疲れた?」
凛一は首を横に振る。一臣は凛一の右手を取ると、そっとキスをした。そして徐に起き上がり、少ない荷物の中から茶色の小瓶を取り出した。
「睡眠薬。二人の致死量分。」
秘する月が、二人の恋を見つめている。密やかな星々が、二人の愛を世界から隠していた。
「一粒ずつ、交互に吞もう。」
そう言って二人の真ん中に小瓶を置いて、最初に一臣が睡眠薬を一つ口に含んだ。続いて、凛一もそれに倣うように薬を飲んだ。
互いに見つめ合うように横になり、ゆっくりゆっくり死へ向かう。徐々に身体が重く、意識が薄れてきた。
「…凛一。お願い…。」
「…?」
「笑って。」
そういう一臣の瞳には涙が溢れていた。でも、笑みが浮かんでいる矛盾。
「か…ず…おみ。」
僕は、笑顔になれただろうか。
「凛一の声、久しぶりに聞いた…。」
擦れて、聞こえづらいだろうに一臣はちゃんと聞き入れてくれた。死にたいと思っていた気持ちを汲んでくれた。
「最後に…、凛一の声聞きたいと思っていたよ。」
一緒に死んでくれると、約束してくれた。
「そういうとこ、好き」
そういう君が、僕は。
「だいす…き、だよ。」
永遠の夢を見たいと思う。ありふれた日常を過ごしていたあの愛しい日々の夢を。
了
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