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「それよりも、そうだ、巳亦、その格好……」 「ああ?これ?……まあ、色々あってな」 「大丈夫だったのか?あの後……」  そうだ、ヴァイスによって無理やり引き裂かれたあとのことが気になった。巳亦は「ああ、俺は大丈夫だよ」と安心させるように笑った。  あの後一人取り残されたという巳亦は俺たちを探していたようだが、どうやらヴァイスの邪魔のせいで上手く居場所を突き詰めることができなかったらしい。そして、途中出会った店員から制服を奪った のだと。  その店員がどうなったのか聞くのは恐ろしかったが、その制服が汚れていないのを見る限り手荒な真似はしていない……と思いたい。 「どこを探し回っても曜たちの気配は見つからないし一時はどうなるかと思ったんだが、曜が無事ならよかった。……そうだ、先程からテミッドの姿が見当たらないがどうした?」 「そ、それが……その」  指摘され、俺は酔いが醒めていくのを感じた。  そしてなるだけ手短に、俺は、巳亦がいない間に起きたことについて説明する。そして、アヴィドを頼ることになった経緯についてもだ。  一通り俺の話を聞いた巳亦は「まずいな」と呟いた。 「急いでテミッドを探した方が良さそうだな」 「そう急く必要はない。わざわざ探し回らずともすぐに居場所は割れる。まあ、邪魔が入らなければ直ぐだったのだがな」 「邪魔だって?まさか、俺のことを言ってるのか?」 「なに、諸々だ」 「……………………」  ……しかもまたなんかギスギスしてる。  アヴィドに至っては絶対にからかってる気がするんだが、明らか不快感を隠そうとしない巳亦の背中を「どうどう」と擦って宥めた。  グラスに残っていたワインに口を付けたアヴィドはそのままソファーに凭れかかった。そして、バーカウンターの方角に視線を向けた。 「動いたな」  そうだ、先程アヴィドがレモラに何か埋め込んだとか言っていた。バーカウンターの方を確認すれば、レモラは奥に引っ込んだようだ。そこには他の魔物しかいない。 「見えるんですか?」 「ああ。君の友達――テミッド君だったか?……ああ、なるほど。見つけた。リューグが虐めていたグールの子供か」 「居たんですかっ?」  俺には見えない何かを見てるのだろう。アヴィドの言葉に思わず顔を上げた。 「無事ですか?テミッドは……っ!」 「ああ、心配ない。拘束はされてるようだが元気にジタバタ暴れている。……ここが厨房だろうな、今クリュエルに向かわせてるから安心しろ」 「お、俺も行きます!場所は……っ」 「少年はここにいろ。……下手に君が動いた方が危険だ」 「……っ、それは……」  足手まとい、と言われてるのが分かった。  アヴィドの指摘に対し、俺は何も返すことができなかった。  確かに、そうだ。もしヴァイスが動いたとしてまたバラバラにされたらどうする?また妙な魔法を掛けられたら?  それでも、助けたいと逸る気持ちを抑えられない。そんな俺を見透かしたのだろう、アヴィドはふ、と微笑んだ。 「助けに行きたいという気持ちはわかるが、ここは君の安全を守る方が優先だ。安心して俺たちに任せておけ、少年」 「っ、はい……」  そっと背中を撫でられれば、胸の中で燻っていた不安がみるみるうちになくなっていくようだった。リューグと似ていないと思っていたが、自信に満ち溢れたアヴィドを見てるとふとリューグと重なるのだ。  あいつも、自分を卑下するようなことを言うわりにはいつも堂々としていた。  そんなときだった。  アヴィドの動きが止まった。 「アヴィドさん……?」 「……なるほど、見つけたぞ。ここか」 「え、あ、あの、アヴィドさんっ?」  そういうなりいきなり立ち上がるアヴィド。  先程までの柔和な笑みはない、そこには冷ややかな笑みが浮かんでいた。 「……一体クリュエルがやられた、恐らくここがやつが隠したがってる部屋だ」 「え……」  やられたって、まさか殺されたってことか? 「直にここへ別のクリュエルが君の友人を連れてくるだろう。蛇男、お前はそこで彼と合流するといい」  そう、巳亦に対し命じるアヴィド。不遜なその態度に巳亦は案の定反応した。 「おい、待てよ。まさかそこに曜を連れて行くつもりじゃないだろうな」 「連れて行くさ。少年はヴァイスへの抑止剤だからな」 「数分前曜のことを危険な目には遭わせない、と言っていたのはどこの誰だ?」 「お前といるより俺といる方が遥かに安全だろう。それに、さっきのは俺が出る幕ではなかった」 「なら俺も行く」 「駄目だ、お前は少年の友人を捕まえてそのまま地上へ帰れ」 「なんで……」 「言っただろう、クリュエルがやられたと。アンデッド以外の魔物を強制排除する魔法をヴァイスは掛けている」  納得いかない巳亦に対し、アヴィドは態度を変えぬまま続けるのだ。クリュエルが淫魔だというのは聞いていた。仮死状態の俺と吸血鬼のアヴィドはともかく巳亦は蛇神だ。 「っ、それって……もし巳亦がいったら巳亦も……」 「ああ、そうだな。相手は魔物殺しの魔術師だ。不老不死の獣とてどうなるかわからない」 「それでも、曜が危険な目に遭うくらいなら……」  構わない、そう言いかける巳亦に、俺は地下監獄でのことを思い出し、血の気が引いた。巳亦、と咄嗟にその腕にしがみつけば、二つの赤い目が俺を捉えるのだ。 「俺は、大丈夫だから……テミッドを守ってくれ」 「……曜、どうしてそんなこと言うんだ」 「もし、巳亦に何かあったら……俺……っそっちの方が耐えられない」 「曜」と、その目が揺らぐ。本心だった。巳亦が弱いとかそんなことを言ってるわけではないが、何かがあったとき、そのなにかが怖いのだ。また、血だらけになった巳亦を見たくない。  巳亦だったら俺のために傷付くのは構わないと言うだろうが、俺が耐えられなかった。  我儘だと分かっていたが、これだけは譲れなかった。しがみついて離さない俺に、巳亦は暫く黙っていた。けれど、そっと俺の頭を撫でてくれるのだ。  ……そして。 「わかったよ」 「っ、巳亦……!」 「けど、俺たちは帰らないからな。まだ何も見つけれてはいない」 「アヴィドさん、曜を頼んだ。けど、こっちはこっちで勝手に動かさせてもらうからな」そう、巳亦はアヴィドに釘を打つ。アヴィドは微かに微笑んだ。 「構わない、勝手にするといい。なんなら、クリュエルを貸してやってもいいぞ。捜し物には役立つだろう」 「そりゃお気遣いどうも」  ……どうやら和解することはできたようだ。  ほっと胸を撫で下ろすのも束の間。 「それじゃあ少年、行こうか」  アヴィドの言葉に俺は慌てて「はい」と頷いた。クリュエルの分身が消されたのだ、何かがあることには間違いないだろう。せっかく会えた巳亦と別れるのは心細いが、クリュエルの無事が確認できただけでも大分気持ちに変化があった。  ……あとは黒羽さんと、ホアン……リューグか。  早く見つけたいが、今はクリュエルたちに任せるしかない。  俺たちは巳亦と別れ、ホールを後にした。  迷いなく歩いていくアヴィド。その大きな歩幅に置いていかれそうになりながらも向かったのは地下だった。  とにかくアヴィドに付いていく。  薄暗い通路を歩いていくアヴィドの背中を追いかける。そして、やってきたのは地下だ。  ヴァイスの悪趣味な実験のための施設と知ってる今、この腐臭の正体を思い出し吐き気がした。 「少年、大丈夫か」 「は、はひ……鼻で呼吸すればなんとか……っ!」 「無理そうだったら言うといい。気絶させて抱えてやる」 「だ、大丈夫です……!頑張ります!」  気絶させるってなんだ。ジョークのつもりなのか、アヴィドは感情が読みにくい分余計怖い。  鼻呼吸を駆使し、今度は階段を降りていく。  そして辿り着いたバーの地下。  相変わらず上のフロアに比べて閑散としている。  アヴィドが向かったのは先程ヴァイスに連れてこられた部屋とは違う場所だった。  とある部屋の扉の前。まるでどす黒い絵の具をぶち撒けたように汚れたそこに、思わずアヴィドを見た。 「ここがクリュエルの分身が潰された場所か。……少年、無闇に近付くなよ」 「は、はい……っ」  そう答えた矢先、アヴィドは扉に触れる。瞬間、扉全体に黒い電流が走り、バチ!と凄まじい音ともに扉が吹き飛んだ。驚いて咄嗟に扉から離れることもできなかった。  けれど、アヴィドはびくともせず俺の盾に鳴るように立ったままだ。そして、目の前の扉は粉々に砕け落ちる。  扉が開いた。いや開いたというよりも吹き飛んだ、というべきか。呆気取られる俺を置いてアヴィドは部屋の奥へ足を踏み入れた。そして、俺も置いていかれないように慌ててその中に踏み入れる。  そして、固まった。 「っ、く……黒羽さん!」  食料庫だろうか、おぞましいものが瓶詰めされた瓶が並ぶその部屋の中央、太い柱に縛られるように蹲る黒羽を見つけ思わず飛び出そうとして、アヴィドに止められる。 「っ、アヴィドさん!」 「……様子がおかしい、少し待て」  言われて、再度黒羽に目を向ける。「黒羽さん」ともう一度名前を呼ぶが、黒羽は反応しない。眠っているのか、気絶してるのか。そして黒羽の足元、柱を中心にするかのように妙な魔法陣が描かれていることに気付いた。 「なるほど、ヴァイスのやつ、この烏から魔力を吸収しているようだ。小賢しい真似をする」 「えっ、そ、それじゃあ黒羽さんは……っ!」 「死んでいるわけではないが見たところその魔法陣の影響で体を動かすこともできないのだろう。辛うじて生きているが、回復するどころかそれを利用されている」 「そんな……ッ」  黒羽さん、ともう一度呼びかける。ぴくりとその肩が揺れたような気がしたが、それでもそれ以上動けないのだろう。項垂れたままだ。 「どうしたら……」 「……なにも助ける手段がないとは言っていない。試してみよう」  え、と俺が反応するよりも先にアヴィドは指を鳴らした。瞬間、アヴィドの影が蠢き、黒羽に向かって蠢く。瞬間、魔法陣は青白く光る。視界が白く染まり、眩しさに耐えられずに目を覆ったときだ。風が吹く。爆発したのか、と身構えるよりも先に前に立ったアヴィドが風除けになってくれたことに気づいた。そして、光が消え、風が止まったとき。 「……っ、黒羽さん……!」  柱が崩れたのか、瓦礫の中拘束が解かれた黒羽が倒れてるのを見つけ、咄嗟に駆け寄る。  黒羽さん、黒羽さん、と何度も呼びかけながら黒羽の上半身を抱き起こそうとしたとき、黒羽の左目、その瞼がぴくりと震えた。  そして。 「い……なみ、さま……?」 「っ、黒羽さん……ッ!」  良かった、意識があるみたいだ。嬉しいのに、それでも状況が状況だ、素直に喜んでる暇はない。 「良かったな、空っぽになる前に助けられて」 「アヴィドさん、どうすれば……」 「この男ならば少し休めばすぐ元通りだろう。……けど、このあたりはところせましに妙な魔法陣が張り巡らされているな。それを先に壊してきた方がいいだろう」 「あ、俺……」 「……少年、君はそれの側についてるといい。これは俺一人で済む問題だ」 「それまでその天狗を見ているといい」気を遣ってくれたのかわからないがアヴィドはそれだけを言い残し、壊れた出入り口から食料庫外へと出ていくのだ。  残された俺は、腕の中の黒羽に目を向ける。薄く開いた目、冷たい指先をぎゅっと握り締めれば、確かに感触があった。 「黒羽さん……ごめん、俺のせいで……っ」 「……貴方のせいではありません。自分が……っ」  言い掛けて、黒羽が呻く。黒羽さん、と体を抱き支えようとしたとき、伸びてきた腕に体を抱き締められた。驚いたが俺は抵抗しなかった。 「……苦しい、よな。どうしたらいいのか俺にはわからないけど、黒羽さんが楽になるなら俺……なんでも手伝うから」 「……伊波様」  俺には魔法や魔力なんて大層なもの持ち合わせていないけど、力になりたいという気持ちなら負ける自信はない。更に強く抱き締められる。肩口に埋められる鼻先に心臓が跳ね上がった。吐息が首筋に吹きかかり、息が漏れる。 「……少しの間、ご無礼をお許し下さい」  吹き掛かる吐息の熱に脈が加速する。どくんどくんと流れる鼓動が黒羽にまで伝わっていないか怖かった。けど、それでもこの人を引き離すなんて思わなかったし、この行為を無礼だとも思わない。 「……これだけ黒羽さんはでいいの?」  俺にも巳亦みたいな治癒能力や、テミッドみたいな強い力があれば。そう思っては歯痒くなる。その広い背中に手を伸ばせば、腕の中で黒羽の体が僅かに跳ねた。 「……っ伊波様」 「俺が、もっとちゃんとしてたら……もっと早く見つけられたのに」 「貴方のせいではありません」  先程よりも言葉がはっきりとしている。回復してるのか、俺の体に回された手もしっかりと俺を抱き締めるのだ。顔を上げれば、視線がぶつかった。  もどかしい。何もできない自分が歯痒かった。黒羽優しいから何も言わないが、元はといえば俺の我儘だった。 「でも、俺のせいだ……苦しかっただろ、なのに俺はなにもできない……ずっと黒羽さんに迷惑掛けてばっかだ」  ごめんなさい、と俯いた時。目の前の黒羽の顔が強張った。そして、後頭部に回される大きな手のひら。そのままぐっと体を更に抱き寄せられ、まだ本調子ではないはずの黒羽にもたれ掛かってしまう。黒羽さん、と顔をあげようとしたとき。 「ならば、もう少しこのままいてくれ。……そうしてくれると、助かる」 「っ、そ……」  それは、と顔を上げれば黒羽と目があった。 「それだけで、いいんですか?」 「……ああ、私には十分だ」  優しさを孕んだ、慈しむようなその目から黒羽はきっと俺に気遣ってくれてるのだろうというのはわかった。逆に迷惑をかけてるのではないかとも不安になったけど、それでも、黒羽がそういうのなら。 「……わかった」  そのままぎゅっと黒羽の体に抱き着いた。……つい最近黒羽に抱き着いたことがあったが、それでもあのときとはまた状況が違う。ベッドもない、瓦礫と悪臭漂う部屋の中、それでも黒羽の体に熱が、力が戻っていくのが俺にもわかった。  沈黙。話したいことはいっぱいあったのに、何も言葉が出なかった。もぞもぞと体の奥から何かが蠢くようなその違和感を気付かないふりをしながら俺は黒羽の胸に顔を埋める。安心感だ。今はただ、黒羽に会えたことで胸がいっぱいだった。  どれほどの時間が経ったのかもわからない。  けれど、離れ難かった。黒羽の腕が緩まる。離れそうになり、堪らずその腕を掴めば伊波様、と優しく否された。 「……っ、黒羽さん……」  そう口を開いたときだった。 「なんだ、もうピンピンしてんのか。随分と早かったな」 「ッ!!ぁ、アヴィドさ……ッ!」 「……もしかしてお邪魔だったか?だとしたら悪かったな」  瓦礫の向こう現れたアヴィドは悪びれもなく笑うのだった。

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