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 ――地下・懲罰房。  独房の扉を開けば、相変わらず拘束されたままのアンブラの姿があった。  少し休んでいたようだ、「アンブラ」と名前を呼べば、驚いたようにアンブラは顔を上げる。 「い、伊波……」 「約束通り迎えに来たぞ、アンブラ」 「約束って……」  嘘だろ、と驚くアンブラに笑い返し、俺は取り出した鍵で牢を解錠する。「拘束は自分が解こう」と申し出る黒羽に頷き返し、俺は一歩下がった。  そして、黒羽の手によってアンブラの拘束が外される。  アンブラは戸惑ったようにそのままへなへなと座り込むのだ。まるで腰が抜けたみたいに、こちらを見上げる。 「おい、大丈夫か?」 「……嘘だろ、まさか本気か?」 「本気だよ。……アヴィドさんにも許可は取ってある」  その名前に、びくりとアンブラの肩が跳ね上がる。怯えたような暗い顔。そんなアンブラの前に、俺は視線を合わせるために屈んだ。 「伊波……」 「ヴァイスにお礼、言いたいんだろ?」 「……っ」  こくり、と頷くアンブラ。俯く度に長い前髪が揺れ、顔に陰を落とす。 「なら、俺と一緒に来てくれないか」 「っで、も、アンタになんの得が……お、俺になんか肩入れしたところで、もし何かあったら……牢から出した責任を問われるんじゃ……」 「前から思ったけど、アンブラってなんか魔物っていうよりも……人間っぽいよな」 「な」 「アンブラはヴァイスに会いたくて、俺はそんなアンブラに協力したいと思った。……それで十分だろ」  ……今は、取り敢えず。  余計なことを考えて行動を鈍らせるよりかはずっとましだ。  そうアンブラに手を伸ばせば、伸ばした掌、その指先からゆっくりとこちらへと視線を向けてくるアンブラ。 「俺と来てくれないか、アンブラ」  勝算があるわけではない。ここまでして断られてしまえばどうしようもない。  怯えたように俺の手と俺の顔を交互に見上げたアンブラだったがそれも暫く。 「……そこにいる人たちは、良いって言ってんのか。俺、ここから出た途端食い殺されたりして……」 「伊波様の御前でそのような真似はしない」  こくこく!と黒羽の横で頷くテミッド。  本当かなあ……と笑いながら、俺は改めてアンブラを見た。 「……ってことらしいけど、どうかな」 「だ、だって……でも、俺はカンニング野郎で……」 「カンニングもよくないけど、もっと凶悪な人たち……いや、魔物たちだってこの学園にはたくさんいるよ」 「俺、伊波にもひどいことした……」 「酷いことしたって自覚あるんなら俺は許すよ。それに、アンブラはヴァイスのために必死だったんだろ?」 「……っ、それは……」 「……一応、強要はしない。来てくれたら嬉しいけど、それでもアンブラが嫌だっていうなら……俺はまたここに鍵を掛けるだけだから」  脅してるつもりはない。そうせざる得ない状況なのだから仕方なくても、こればかりは伝えなければならないと思った。  もしアンブラを単独で外に出した途端、ヴァイスに目を付けられて殺されてしまうのではないかとそんな気すらした。だったら、またここに幽閉されてた方がまだましだ。 「……伊波、ぉ、俺、役立たずで……いいところなんて、なにもないし……」 「なに言ってんだよ、俺よりも全然凄いだろ。人の夢の中に入るなんて」 「……っ、ぅ、……で、でも」 「……」 「…………ぉ、おれ……」  俺、と繰り返す。何度も手を出そうとしてはその指を引っ込める。その姿を見て、ああ、と思った。  見放され、捨てられ、馬鹿にされてきたからこそなのだろう。選択肢を与えられ、選ぶことができなかった。押し付けられてきたことだけを受け入れてきたからこそ、自ら選ぶことに恐怖を覚えるのだ。 『俺についてこい』とアンブラの手を取りたかった。けれど、それをすればあの男と――ヴァイスと同じだ。人の弱さに付け入るのは。 「……アンブラ」 「……っ、伊波」 「この先はお前が選んでくれ」 「俺は、アンブラが選んだ選択なら受け入れるよ」少なくとも、恨めしく思うこともない。俺には俺のやれることはやったと満足できるだろう。ただ、ふりだしに戻るだけなのだから。  そう、アンブラを見据えたとき、アンブラがぐ、と唇を噛みしめる。そして。  おず、と生白い手がこちらへと伸ばされ、俺の手を取った。それはしがみつくのに等しい。あまりの強さに引っ張られ、思わずよろめきそうになったところをアンブラに支えられた。 「伊波様……っ!」 「だ、大丈夫……っ、ぁ、アンブラ……?」 「あ……アンタと、一緒に行きたい……」  ぽそりとアンブラの唇が動く。唇から漏れたそれはアンブラの本音だった。  その言葉を聞いた瞬間、胸のうちが熱くなる。 「……っ、ああ、一緒にきてくれ」  そのまま俺はアンブラの肩を抱き寄せ、軽く擦った。なんだか大きな弟みたいだな、なんて思いながら、小刻みに震えるアンブラが落ち着くまで暫くそのままにしておいた。  テミッドと黒羽がずっとそわそわとしていたが、なんとか待ってもらうことに成功する。  アンブラを連れて懲罰房を出た俺たちは、そのままの足取りでSSS寮へと戻ることになったわけだけども。  一段落ついたし、一先ずご飯でも食べに行こうかという話をしていた矢先のことだった。  だだっ広い相変わらず豪奢な通路の奥から誰かがやってくる。 「おい、人間――」  見覚えのある尖った耳のシルエット、そしてこの高圧的な態度は。 「ニグレド!」 「お前、今までどこに……って、お前……ッ!」  俺の顔を見るなり早速詰め寄ってくるニグレドだったが、俺達の後ろにいたアンブラに気付いたようだ。さっと目の色を変えるニグレドに、アンブラはびくりと縮こまる。  そして、今にもかき消されそうなほどの声で「に、ニグレド……」とアンブラは呟いた。今にでもアンブラに掴みかかりそうなニグレド、そんな二人の間に「わー!ストップストップ」と割り込めば、今度はニグレドの鋭い目がこちらをギロリと睨みつけてきた! 「おい人間、何故そいつがここにいる。罪人であるそいつが」 「あーっと、その、これには深い事情があって……」 「――アヴィドの許可は得ている」  恐らく、鶴の一声というのはこういうことを言うのだろう。正確にはカラス天狗の一声だが。  静かに口を開く黒羽に、「なんだと?」とニグレドの目が釣り上がった。ただでさえ鋭い目つきは視線だけでも人一人くらいなら殺せそうなほど凶悪だ。  しかし、黒羽はそれに動じることもなく真っ直ぐにニグレドを睨み返す。 「もしこの男が勝手な真似をするなら切り捨てても構わないという許可もな」 「アヴィド様……っ」  一体なぜ、とニグレドの表情が曇る。理解できない、しかしアヴィド相手となると何も言えなくなるようだ。 「ニグレド」と心配そうなアンブラがニグレドに恐る恐る歩み寄った時だった。ぱん、と乾いた音とともに伸ばされかけたアンブラの手は振り払われた。 「近づくな! ……この寮の面汚しが、よくも恥ずかしげもなく出歩けるな」 「おい、言い過ぎじゃ……」 「煩い、部外者は口を挟むな。……アヴィド様がお前を許そうとも、俺はお前を軽蔑する」 「二度と軽々しく俺に話しかけてくれるなよ」と吐き捨て、そのままニグレドは俺達の前から立ち去るのだ。  残されたアンブラは最後まで手のやり場もなく、そのまま固まっていた。 「い、行っちゃった……」  居心地の悪さだけが残った通路、俺はアンブラになんて声を掛けるべきか言葉を探した。そんな中、意外なことにその重苦しい沈黙を破ったのはアンブラ本人だった。 「ニグレドの言い分も無理はない。……あいつは特に潔癖だしな」  項垂れたまま、ぽつりと呟くアンブラ。  確かに普段のニグレドの言葉の数々を思い返せば予想できる態度ではあるが、ニグレドが案外いい奴だと知ってしまった俺からしてみるとただの潔癖云々だけの話しではないような気がしてならなかった。 「ニグレドとは仲悪かったのか?」 「……そんなことはなかった。ここに入寮したときは何度か話したこともあった。……この寮には変なやつが多いが、アンブラとは趣味が合ったから」  なるほど、オタク仲間みたいなものだろうか。  アンブラの言葉を聞いて納得する。 「なんだよ、友達いたんじゃないか」 「友達? ……いや、別に俺たちはそんなんじゃない」 「そうかなあ……」  あのニグレドと対等に話せるってだけで、俺みたいなやつからしてみればすごいことだと思うのだけど。  それに、本当にどうでもいいやつにあんなに怒るだろうか。……まあ、汚名だとかで怒りそうだけども。  俺も別に人生経験豊富だとか、相談に乗れるほど器用なわけではないけれども、なんとなくニグレドのことが気になった。  そもそも、魔物たちに友情って存在するのだろうか。  そう、ちらりと俺は何が何だか分からないと言って様子ではわはわしていたテミッドを眺める。「伊波様……?」と恥ずかしそうにするテミッドの頭をそっと撫でながら、俺は考えた。  元はと言えば、アンブラに心の支えとなるような友人がいなかったせいでヴァイスに付け込まれてしまったようなものだ。  アンブラとニグレドを仲直りさせて脱ヴァイス――なんて虫が良すぎるが、その考える方向性は間違ってはいない気がする。  ……となれば、一度学園へと戻って社交性高そうなあいつに相談してみるか。  お返しのつもりなのだろう、テミッドに頭をそっとわしわし撫でられながら俺は一人思案する。

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