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そしてやってきた生徒会室前。
扉を開けば、まず見えたのは五十嵐の背中だった。
開いた扉にゆっくりと振り返った五十嵐は、そこにいた俺の姿を見るなり「来たか」と呟く。
相変わらず散らかった生徒会室の中央、円を描くように乱雑に置かれた椅子に座っていた神楽は「元くーん、早かったねえ」と笑う。
そして、その隣。
「おや、来ましたか。待ってましたよ、尾張さん」
そう、長い脚を組み直す能義はひらりと手を振って見せた。
「おう」と返し、肝心の五条の姿が見えないことに不信感を抱いた矢先だった。聞こえてきたくぐもった声。
そして、どこからともなく鞭を取り出した能義は思いっきり座っていた椅子、否、五条を引っ叩いた。猿轡を噛まされた五条は今にも死にそうな、やはりくぐもった悲鳴を上げる。
「お、おい……どういう状況だよこれ……」
新手のプレイか、心なしか五条が喜んでるように見えるのが余計嫌だ。小声で五十嵐に尋ねれば、五十嵐は「見ての通りだ」と頷いた。なるほど、見ての通りか。
「尾張さん、五条が持っていたデータは全て消去させたのですが……どうやらこの男、余計なことをしたようですね」
言いながら、五条の首根っこを引っ張る能義。涼しい顔をしてるが相当の力が込められてる。やつの額に浮かぶ青筋に内心冷や汗流しつつ、俺は「余計なことって、どういうことだ」と聞き返す。
「もうすでに流出させてるんですよ。送信先はここのパソコン……会長補佐のあの二人に送ってるんですよこの男は……おまけになんです? この『結愛ちゃんと乃愛ちゃんの秘蔵プライベート写真』を代わりに? はい? こんなもののために貴方はなんてことをしてくれたんですか」
「ん゛ぐぐぐゥッ!!」
「副かいちょーソレ以上はまじで死んじゃうから! 落ち着いてー!」
「私の命令はろくに聞けないくせにあの顔だけぶりっこクソ性悪双子にはたかがしょうもないポロリもないJPEGでホイホイ言うことを聞くとは……聞いて呆れますね」
双子、というとあいつらか。
会長補佐のあの二人に手渡ったとなると、政岡に渡るのも時間の問題だ。冷や汗が流れる。
「っ、俺、双子に会ってくる……」
「それはお勧めできませんね」
「……どうして」
「恐らく貴方が行ったところで後の祭りです。あの鬼畜外道双子は政岡のことになると無駄な行動力を発揮します、流出は時間の問題です」
何も言い返せなかった。
それは、頭の片隅で危惧していたことでもあった。可能性としては考えていたが、最悪の展開だ。
押し黙る俺に、能義は華のように微笑む。
「それよりも、私にいい案があります」
薄い唇が歪む。
その笑みは蠱惑的でもあり、不気味でもあった。
「私たちも流出させるんですよ。同じものを。まあ、前後を少し弄れば問題はないです。会長の元にあるデータが切り抜きだと分れば良いんです。そうすれば、なかったことにできる。まあ、そのためには貴方の協力が不可欠ですが……どうでしょうか?」
「勿論、協力する」
寧ろ、それだけで良いのかという気持ちもあった。
恐らく俺一人では技術的にも難しい話ではあるが、能義たちがいる。てっきりとんでもないことを言い出さないかと身構えていただけに、珍しくまともな提案してくる能義に申し訳なさすら覚える。
「五条、貴方には今までサボった分まで仕事してもらいますよ」そう、能義は鞭で床を打つ。恐ろしい程鞭が似合う男だ。その音だけで反応する五条は俺が来るまでの間にかなり絞られたように見える。こいつについて深く追求することはやめ、俺は能義の話を詳しく聞くことにした。
能義の恐喝、いや、協力もあってか事はスムーズに進むことになる。演技のような真似事はやれと言われたら結構難しいもので、元の音声と繋げても違和感のないように声を吹き込むのは至難の技だったがなんとかなった。
それが完成する頃には既に昼を回っていた。
これなら政岡が何しても平気だ。
そこでようやく緊張の糸が切れたかのように安心することができた。
「尾張さん、ご苦労様でした。後のことは我々に任せて下さい」
言いながら、能義はテーブルの上、俺の前にアイスティーの入ったカップを置く。
あまり能義の用意したものにいい思い出のない俺は「ありがとな」だけいい、取り敢えずそれを受け取るだけに留めておいた。
生徒会室に残ってるのは俺と能義、それから役目を果たして抜け殻と化した五条だけだ。
五十嵐と神楽は作業の間、政岡たちの様子を見てくると言って生徒会室を出ていっている。
実質能義と二人きりなわけだが、以前のように不気味な印象がないのは協力してくれたからか。
「本当、お前らが居てくれて助かったよ。俺、パソコンとか機械とかそういうのからっきしだから」
「そうでしょうね。でもまあ、岩片さんなら卒なく熟しそうなイメージもあるんですけど」
「ああ……まああいつはそうだな、前は結構パソコンでゲームとかしてたときもあったけど……どうだろうな。でも、確かに得意そうだな」
岩片のことを出され、内心ギクリとしながら俺は動揺を悟られないように「それにメガネだしな」と笑いながら眼鏡を上げる真似をしてみる。
能義は「そうですね」と微笑む。
「……つかぬ事をお聞きしますが、貴方、岩片さんと何かあったんですか?」
「……えっ?!」
思わず声が裏返りそうになる。
「すごい声出ましたね」とおかしそうに笑う能義とは対象的にこっちは上手く笑うこともできなかった。
「いや、え、どうしたんだよ突然……別になんもねーけど……」
「そこまで露骨に反応されるとこちらとしても困るんですが」
「本当、なんもねえよ、まじで」
「そうですか? ならいいんですが、貴方はいつも岩片さんといることが多かったのでちょっと気になって」
「確かにそうかもしれないけど……」
基本ずっと一緒に行動することになっていたのだからそう思われても無理もないが、こんなに第三者に指摘されるなんて俺が分かりやすすぎるのか。
気をつけていたつもりだったが、指摘され何も言えなくなる。
「あの、ちょっと聞きたいんだけど」
「私に答えられることならどうぞ」
「…………能義って、五十嵐と幼馴染なんだよな」
「まあ、そうですね。とはいえ、腐れ縁のようなものですが」
「もし、もしだけど…………五十嵐がいきなり優しくなったらどうする?」
「………………………………気持ちの悪いことを言いますね」
「見てください、ここ、サブイボ立ちましたよ」と腕を出す能義の顔はまじで嫌そうだ。
そりゃそうだろう、確かにたとえ話だとしても薄気味悪いことを言ってしまったと反省する。
「つまり、岩片さんがいきなり尾張さんに優しくなったと」
「こ、これはその、例えばの話で……」
「大丈夫ですよ、貴方が真剣に悩んでいるのを茶化したり誰かに話したりするような真似はしませんので」
「……本当か?」
「本当ですよ、それに、貴方に相談されるなんてこれほど嬉しいことはありませんからね」
先程まで五条に鞭打っていた人間とは思えないほどの優しい言葉についうっかり騙されそうになるが、こいつは変態だ。しかし、真摯的なその言葉に嘘はないように思える。
「それにしても、貴方が悩むところが『優しくなった』というところが興味深い。普通なら、そこは喜ぶところじゃないんですか?」
「けど、今まであいつはそんな素振り全然なかったんだぞ。……余計不気味だし、何企んでんだよって感じでこえーし……」
「私からしてみれば、優しくもされないのに岩片さんと一緒にいる貴方の方が不思議で仕方ありません。……失礼ですが、貴方のような方と岩片さんは対象的ですし」
対象的。
確かに、好きなものも全く違うしあいつは俺がいいと思ったものも貶す。それは俺も同じだ。あいつが好きだというものを良いと思うことはあまりない。
けれど、能義の言ってる対象的という言葉には見た目の話も入ってるのだろう。
確かに俺も関わらなくて済んだのならもしかしたらあいつとは一生仲良くなることはなかったのかもしれないと思う。
「優しくされるのが不気味、ですか。それは、他の人に対してもそうなんですか?」
「……わかんねえ」
「では、私がこうして貴方に優しくしてるのも不気味だと思いますか」
「……不気味っていうか、能義のは、変な感じだ」
「変な、とは?」
「能義は多分、表情とか、顔とか目が優しいからあんま違和感ないってか……てか、前から結構俺には優しくしてくれたし」
岩片への違和感とどう違うのかと言われれば、能義は元々俺に優しくしてくれることはあった。酷い目にも遭わされたが。
けれど、他人への気遣いなどと無縁な岩片が似合わない優しさを発揮するとき、それは自分の手籠めにするときくらいだろう。それを知ってるからこそ、自分が今までどおり岩片の側に居られないという事実を突き付けられたみたいで、どうすればいいのかわからなくなるのだ。
能義は少し考えて、それから浅く息を吐く。
「……尾張さん、岩片さんのことが好きなんですか?」
「……は?!」
「ちょっと、声大きいですよ!」
「わ、悪い……」
咄嗟に謝るが、能義の爆弾発言が頭の中で反芻され、一気に全身の熱が上昇する。そんなはずがない、そう言いたいのに、声が出ない。
「そ、んな、わけ……ないだろ……はは……なんであんなやつ……」
「あまりこういうことは言いたくないんですが、好きでもない相手の態度が急変したところでそんなに意識しないと思うんですよね」
確かに、と納得しそうになり慌てて頭を振る。
「確かに、岩片のこと嫌いだったらわざわざここまで来ねえし、けど、好きとか、そんなんでは……」
「やはり岩片さんを追いかけて転校してきたのは貴方の方だったんですね、尾張さん」
「っい、いやでも、それは岩片に言われてであって、俺が自主的についてきたわけじゃないからな?!」
「………………それで、付き合ってないんですか」
そう口にする能義に先程までの笑みはない。
呆れ果てる能義の言葉に俺は自分がどんどん墓穴を掘っていっていることに気付き、後悔した。が、時既に遅し。
「それで? そんな友達以上恋人未満だった岩片さんが急に優しくなった? ……本当に急だったんですか? 兆しはなにもなかったと言えるんです?」
「っ、……な…………なくはないかもしれない……」
「岩片さんに抱かれたんですか?」
当たり前のようにサラリと尋ねられ、思わず聞き流してしまいそうになる。その言葉を理解した瞬間、ぶわりと全身の穴という穴から嫌な汗が溢れ出した。
バクバクと心臓が早鐘打つ。目の前が、赤くなる。
能義の目が、視線が、痛かった。
「抱かれたんですね」
「いっ、や、違…………」
「尾張さん、貴方もう少しポーカーフェイスを身に着けた方がいいですよ。……貴方がわかりやすすぎてこっちまで心配になります」
そう能義は長い脚を組む。軋む背もたれに、スプリング。制服からタバコを取り出した能義はそれを咥え、そして流れるような動作でそれに火を付けた。
それから、深く煙を吐く。その動作は溜息にも似ていた。
「の、能義……お前タバコ吸うのか……」
「意外ですか? ……まあ、気分が優れないときにしか吸いませんが」
そう、こちらに煙を向けないように息を吐いた能義は自嘲的に笑う。つまりそれは俺が能義をイライラさせてるということか。何も言えなくなる。
俺は、本当にだめだ。能義にバレてしまうとは。恥ずかしさと情けなさ諸々で死にたくなるが、一周回って誰かに打ち明けれたことに安堵する自分もいた。重荷が取れたような、よくわからない感情だ。絶対によくないとはわかっていたが、この事実を一人で抱え、隠し通すには俺には重荷過ぎた。
「岩片さんに抱かれて、優しくされて、急に恋人扱いされることに戸惑いが隠せない……と。とんだ惚気話じゃありませんか」
「……頼む、それ以上言わないでくれ」
「尾張さん、耳まで真っ赤になってますよ」
「…………」
返す言葉もない。
恥ずかしさで能義の方を見ることもできなかった。
「貴方は何が不満なんですか? 岩片さんとそういう関係になるのが嫌なら嫌だと言えばいいじゃありませんか。……それとも、望まないのに強要されてるのですか?」
確かに、確かにそうだ。
俺は岩片とそういう関係になることを望んでいない。岩片に他の玩具と同じように思われることが嫌だった。
「わからねえ……なんか、全部わかんねえ……」
「尾張さんって結構ポンコツなんですね」
「ぽ、ポンコツ……っ」
「もう少し賢い方だと思っていましたが、恋愛になると途端に馬鹿になってしまう。……男のことで頭がいっぱいになってしまうところは恋する乙女のようで可愛いと思いますよ」
心のない賛辞に、バカにされてるということはすぐに分かった。悔しくて、けどここでムキになるのも嫌で「そうだよ、俺は馬鹿だよ」と半ばやけくそに言い返せば、クスクスと能義は笑う。
「……なるほど、通りで会長の様子がおかしいと思ったらそういうことでしたか」
「……っ、なんで政岡が出てくるんだよ」
「いえ、恋する人間は同じような事を言うものだと思いまして」
「だから、別に俺は好きってわけじゃ……」
ねえし、と言い返そうとしたときだった。
タバコをテーブルに押し付け、火を消した能義はこちらを振り向いた。そして、華が咲いたように笑う。
「尾張さん、試しに私と寝てみませんか」
「寝る、って……」
口にして、自分がとんでもないこと言われてることに気づく。咄嗟に能義から逃げようと腰を浮かせたとき、それよりも先に肩を抱かれ、思いっきり抱き寄せられる。
距離が近い。ふわりと淡い甘い香りがして、不覚にもドキリとしてしまう自分をぶん殴りたい。
「そうですね、岩片さんとしたことと同じことを私とすれば、また原因もわかるんじゃないでしょうか。……貴方が意識してるのが岩片さんだからなのか、それとも同性相手との性行為に戸惑っているのか。それさえ分ればまだ接しやすくなるのではないですか?」
「なるほど……って、だからって、それはおかしいだろ……!!」
能義に冷静に語り掛けられると、妙な説得力に流されてしまいそうになる。
昨夜のこと思い出し、言葉にし難い熱がぶわりと溢れ出す。あんな、あんな死にそうなほど恥ずかしい真似を能義ともすると考えたら、頭がどうにかなりそうになる。
未遂ではあるが似たようなことを能義にされたことはあるが、それとこれとはまた別問題である。
「おかしい、ですか……。まあ、無理強いはしませんよ。このままずっと恋だの愛だの思春期らしい悩みを抱えて悶々とする尾張さんを見てるのも面白いですしね」
「……お前、やっぱ面白がってんじゃねーか」
「ふふ、すみません、貴方の反応が可愛くて……不思議とからかいたくなるんですよ。けど、力になりたいという気持ちに偽りはありません。まあ、尾張さん、貴方さえ良ければ……という話ではありますが」
肩を抱く指先が、するりと首筋をなぞる。その艶めかしい動きに、全身が震えた。
「やめろ」と、能義の手を掴めば、能義は「おや」と笑う。
「やはり、岩片さん以外に触られるのは嫌ですか」
「嫌ってか、俺は、そういう趣味じゃないから……」
「嫌だ?」
優しく尋ねられ、ついつられて頷いてしまう。
正直、俺でもわからない。男相手なんて、と思っていたのに、実際昨夜だってそう思っていた。
けれど、最中はずっと男同士云々っていうことよりも岩片に抱かれてるという事実ばかりがこびりついていた。
岩片との関係が変わることに対する恐怖と、嫌悪感以上の快感にわけわからなくなっていたのも事実で。
……色々思い出して死にそうになる。
「……尾張さん、すごい顔になってますよ」
「……っ、まじか……」
「ええ、一人百面相みたいですね。……随分と重症みたいですね」
「……なんか、俺、もう駄目なんだ、昨日からすげー変なんだよ。……ずっと同じことばっか考えて、その度自分で嫌になって……」
「貴方のような方が弱音を吐くなんて相当ですね」
「女々しいって自分でも思うんだけど、周りに言えるやつがいなくて……」
「そこで私を選んだのは正しい判断ですよ、尾張さん」
実はちょっと後悔しつつもあるんだが、そう嬉しそうに笑う能義になんとなく胸がざわつく。……嫌な予感がした。
「私と最後までするのは嫌なんですよね。でしたら、触れるだけで試してみますか」
「は? 触れる……?」
「ですから、こうやって触れるんですよ」
そう言って、能義は俺の掌に手を重ねてくる。人の体温を孕んだその感触に驚いて、ぎょっと目を開けば、やつは「大丈夫です、変なところは触らないので」と笑う。
「でも、これって……」
「貴方の話を聞いたところ、岩片さんとの関係が変わることへの戸惑いもありますが、やはりその大部分は『接触行為』に不慣れなこともその戸惑いを余計助長してるところがあると思うんですよ」
「ま、まあ……そうなのか……?」
「ええ、ですから本当は一発ヤッとくのが手っ取り早いんですが貴方は相当ウブな方のようなので……こうやって人の体温に慣れていくのが一番いいかと」
するりと指を絡め取られ、そのまま握り締められる。その感触に、手を握り締められてるだけだというのに恐ろしく全身が緊張した。以前までは『鬱陶しい』と思っていただけのスキンシップが意図を孕んで絡み付いてくるのが分かるからか、嫌な汗が流れる。
「能義、これ……っ」
「逃げては駄目ですよ。……まずは慣れることが大事ですので」
「んなこと、言われても……っ」
「嫌ですか?」
「嫌ってか、なんか、ぞわぞわする……」
「それだけですか?」
「……手が熱い」
「そうですね。……尾張さんは元々体温高い方みたいですね。……掌、汗ばじんでますね。緊張してるんですか?」
「っ、しないわけないだろ……こんなこと……」
指摘され、恥ずかしくなって「つか、言うなよ」と睨めば能義は「すみません、つい」と悪びれた様子もなく笑う。
「おや……手首、どうされたんですか?怪我してるようですが……」
不意に、袖口から覗いた手首の包帯に気づいた能義は不思議そうに尋ねてくる。内心ギクリとした。
「っ、これは……ちょっと、捻って……」
「両手首をですか? 器用な方ですね」
咄嗟に誤魔化してはみるが、能義がそれを信じたかどうかはわからない。包帯の上からそっと撫でられた瞬間、肩が震えた。直接触られたわけではないのに、傷が完全に癒えてないそこは少しの刺激でもピリッとした痛みに変換されるのだ。
「やめてくれ」と、手を動かして離れようとしたら「ああ、すみません」と能義は手を離す。
「……そうですか、怪我、してるんですね。……両手首が痛むのでは、日常生活なかなか不便ではありませんか?」
「……まあ、別に、死ぬほど痛いってわけでもないから…」
「そうですか」
そう答える能義。
離れた手にホッとしたときだった。今度はするりと腿を撫でられ、俺は能義を見た。
「触れるだけ、とは言いましたが手だけだとは言ってませんからね」
「大丈夫ですよ、変なところは触らないので」そう笑う能義は、俺が何かを言い返すよりも先に内腿へと手を下ろしていく。
変なところは触らないとは言うが、これのどこが変なところじゃないのか。
言い返したかったが、これくらいで意識されてると思われるのも嫌だった。ぐっと堪え、俺は息を吐いた。
確かに、心臓が煩いが、大分能義の手に慣れてきた……気がしないでもない。
要は慣れろということか。
癪ではあるが、慣れるというのには相手の存在が必要不可欠である。……本当に癪ではあるが。
俺は、なるべく意識しないように能義から顔を逸した。
「尾張さんは緊張すると黙るんですね」
耳元で囁きかけられると、心臓がどうにかなりそうになる。少しでも顔を動かせば、すぐ目の前には恐ろしく整った能義の顔があり、息が詰まりそうになる。
「もっとこっちに来てください」と、脚を開くようにそっと膝小僧を撫でられ、息を飲む。
「っ、能義……」
「震えてるんですか? ……過度の真似はしないと伝えたはずですが……それとも、期待してるんですか?」
唇が触れそうなくらいの至近距離、長い睫毛に縁取られたやつの目は俺を覗き込み、捉えて、離さない。
輪郭をなぞるように徐々に上がる手に、その動きに、体が強張る。
能義という男を心から信用し、油断してはならない。頭の片隅ではそう理解していたつもりだが、分かっていても心を乱されるのはやつの纏う妙な空気のせいもあるかもしれない。
「岩片さんにはどういう風に触られたんですか?」
「っ、へ」
「優しく? ……いえ、案外岩片さんは荒っぽそうですし、乱暴に撫で回されたんですか?」
こうやって、と腿の付け根、下腹部付近を撫でられ、腰が揺れる。直接触れられたわけではないが、布が擦れる音に、隔てて伝わるその手の感触に、昨夜の記憶が蘇る。
岩片の息遣いに絡み付いてくる指、噎せ返りそうな程の熱。心臓が今にも破裂しそうだった。
「っ、やめろ……!!」
情けないことに、俺は耐えられなかった。
恥ずかしさ、それ以上に平常を保つことができなくて、これ以上能義相手に醜態を晒すことになるのは嫌だった。
能義から離れようと手を伸ばした俺に、能義は目を細める。瞬間。
「っ、ん、ぅ」
顎を掴まれ、唇を塞がれる。
能義の行動に呆気にとられたが、唇を舐める舌の感触にすぐに現実に引き戻された。
慌てて能義を引き離そうとするが、背もたれに押し付けてくる腕は思いの外強く、振り解けない。
「っん゛……っ、んーッ!!」
細い体のくせに押し倒してくる腕の力はかなり強い。
捩じ込まれる舌先に歯列をなぞられ、舌の根から上顎まで嬲られれば唾液が溢れそうになった。
しつこく口の中を舐め回されれば力が抜けそうになる、顎を固定され、喉の奥まで舌を捩じ込まれ、愛撫される。
近い、とかそんなこと言ってる場合ではない。
胸を撫で回され、体が跳ね上がる。
こいつ、話が違う。
最初から全て完全に信用していたわけではないが、それでも下腹部の膨らみを隠そうともせず俺の上に乗り上げるのだ。
「っ、は、ん、……ぅ……ッ!!」
こいつ、と慌ててやつの体を押し返そうとすれば、逆に手を取られ、やつはあろうことか自分の下腹部を触らせるのだ。
掌に触れる嫌な盛り上がりに、思考が停止する。薄く微笑む能義は「すみません」と、逃げる俺の掌を上から握り締め、更に包み込むように握らせた。
「尾張さんがあまりにも可愛く誘ってくるので、据え膳かと思いまして」
「な……」
「でもお陰で分かりました。やはり今の貴方に必要なのは、他の男と寝ることですよ」
「安心してください、ちゃんと私が最後まで付き合いますので」なんて、能義、いや基この変態性欲化物男は片手で器用に上着を脱ぎ捨てる。
握り締められた掌の下から伝わる芯をもったそれを俺の手を使って取り出そうとする能義に、俺は青褪めて手を引こうとする。が、上から抑えつけてくる手はバカみたいに強い。
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