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閑話:熊さんの昔話⑥

 その店は店員が言う通りに客層は歳のいった高齢者が多く静かで穏やかな店だった。綺麗に着飾ったスタッフにちやほやされながら食事をし楽しく飲む、それがこの店のルールらしい。  傍らに座ったスタッフの太腿を撫でたり、逞しい胸元に顔を埋めたり、その辺は客によってそれぞれ楽しみ方は違うようだが、なるほどこれが『おさわり喫茶』というものなのか。出てくる料理もとても美味しいし、スタッフは全員口の回る褒め上手で気分もいい。  しばらくそんな店の様子を楽しんでいたら、店の奥に設置された舞台に灯りが灯り、客が全員そちらを向いた。 「あなた運が良いわよ、今日はミニーがお出ましだもの」 「ミニー?」 「うち専属の踊り子さん。本名も年齢も分からないミステリアスな子よ」  それは一体どんな奴が現れるのかと好奇心から舞台を眺めていたらしずしずと舞台に上がってきたのは狐の仮面の獣人、こんな店のショーだというのだからもっとセクシーな衣装を纏っていてもいいと思うのだが、全身一部の隙もなく着込まれた衣装は何処かエキゾチックであまり見かけない装束だった。  舞台の上の狐面の獣人の表情はまるで読み取れない。そもそも仮面で顔が見えない、けれどその背中に揺れる尻尾に心当たりがあり過ぎる俺は唖然と言葉を失くした。 「ミレニア……」 「え?」  いや馬鹿な、ミレニアがこんな場末の風俗店で踊り子だなんてあり得ない。これは完全に他人の空似、同じようなもっふりとした尻尾の持ち主ならばきっと他にもいるはずだ。  扇子を持って踊り出す仮面の踊り子、だがそれはこんな場所には似つかわしくもなく、それはもう美しい舞だった。客も皆うっとりとその舞を見やり、賑やかな喧噪が急に静かになった。確かに『ミニー』の舞いは他の客にとっても特別なのだろう。  何曲かを舞い終わりミニーがぺこりと頭を下げるとわっと拍手と歓声が上がる、客から舞台におひねりが投げ入れられて、ミニーはその光景をただ眺めていた。 「拾わないのか?」 「後で全部回収するわよ、だけどアレが全部ミニーの懐に入る訳ではないからね」 「そうなのか?」 「当たり前でしょう? これはあくまで余興であってミニーの一人舞台じゃないんだから、衣装代やらショバ代を引かれて手元に残るのなんて僅かなものよ、それでもいいとミニーが言うからこうやって舞台に立たせているの。お店としては良い客引きになっているけど勿体ないわよね、あんなに綺麗な舞なのに」  確かに投げ入れられるおひねりなど然程の金額にはならないだろう、そこから諸経費を引かれてしまうのだとしたらミニーが手にする金など微々たるものだ。俺は思わず立ち上がりつかつかと舞台に進み出て佇むミニーに手を伸ばそうとしたら「踊り子さんはお触り禁止よ」と止められた。 「触ろうと思ったわけじゃない、俺はただミニーに金を手渡したかっただけだ」  小銭ならば舞台まで投げ入れられるが、札はそこまで飛んでいかない。ミニーに対する賛辞の評し方がこの投げ銭だと言うのなら、俺はそれをミニーに手渡すしかない。  俺の前に無言ですっと扇子が伸びてきた。何だと思ったらその扇子は目の前でひらひらと揺れる。 「これは店のルールだ、客は踊り子に触れてはいけない。渡したいなら金をその扇子の上に置け」  客の一人にそう言われ、俺はその扇子の上に札を乗せた。それはこの国における一番大きな高額紙幣、瞬間店内がざわっとどよめいた。 「これはまたなかなか豪気だな。あんた一体何処の坊だい?」 「別に何処だっていいだろう? それだけの価値があると思ったから支払っただけだ」  俺の言葉に客も納得したのか、顔を見合わせるようにしてミニーに金を差し出す。その日の売り上げは過去最高金額だったとのちに聞いたが、別に俺の功績ではないと思う。

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