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04

この世に誕生してからここまで困ったことはあったかだろうか。 そう改めて過去を振り返りたくなるほどには俺は困惑していた。 顔色を変えた翔太が部屋を飛び出してから暫く経つ。 中途半端に脱がされた下着をあげようにも手が使えず、なんだこの扱いはと泣きそうになりながらも、逆に俺は翔太が居なくなった今はチャンスではなかろうかと考えた。 ついさっきまで翔太が付きっきりだったせいで逃げる暇がなかったが翔太が居なくなった今、俺は自由だ。 もそもそとケツを上げ、翔太の目を気にしなくてよくなった俺はスカートがめくれるのも構わず立ち上がる。 ずっと寝かされてたお陰で均等感覚を取り戻すのに時間がかかったが、それもすぐに慣れてくる。 よたよたと生まれたての子鹿よろしく蹌踉めきながら部屋を出ていく。 この際、自分がウエイトレスの格好だとかそんなことどうでもいい。とにかく翔太がか帰って来る前にどこまで逃げ切る事ができるかということが俺には重要だった。 足でドアノブを引っ掛け、扉を開けた俺は玄関までやっとこさ辿り着くことは出来たのだが――そこにきて、難関。 目の前の大きな扉には鍵がかかっていた。 「う……っ」 手が使えない今、解錠する術は限られてくる。 あの野郎、人の下着はちゃんと戻さなかったくせにご丁寧に戸締まりはしていきやがって。 小さく舌打ちをし、なんとなく周りを見渡すが解錠に役立つものは見当たらない。 こうなったら仕方がない。 背に腹は変えられないと諦めた俺は扉の前、小さく屈み、恐る恐るその摘まみに顔を近付ける。 「……っ、う、ん」 ちろりと舌を出し、冷たい金属の摘まみに舌先を絡めた。 そのまま解錠しようとするがやはり相手は金属。なかなか固くて、舌先に力を入れれば入れるほどアホみたいに開いた唇の端から溜まった唾液が垂れ、自分でやってて変態かなにかのように感じてしまわずにはいられなくなる。 舌先でなぶり続けたお陰で熱を帯び始める無機物は唾液で濡れ、舌を動かそうとすればするほどくちゅくちゅと濡れた音を立てるそれによからぬ想像をしてしまい全身が熱く疼き出す。 ああ、くそ、早く開けよ。くそ。 焦る思考、早まる鼓動、嫌な汗が全身に滲み肌触りのいい制服が肌に張り付く。 つーかなんだよこの服、無駄にヒラヒラして暑苦しいんだよ。 もはやどこに八つ当たればいいのかわからなくなる俺は煩悩を振り払いがむしゃらに舌を動かし、その摘まみに歯を立てた。 固い感触に目を瞑り、そのまま摘まみごと顔を動かせばカチャリと錠の落ちる音が聞こえてくる。 よしきた! どれくらいの時間がかかったのか分からなかったが、とにかく安堵した。 これでようやく解放される。 唾液で濡れた摘まみから顔を離し、扉を蹴り開くように外に転がり出る。 マンション、自宅前通路。 久々に吸った外の空気に思わず勃起しそうになるくらいはテンションが上がった俺は一先ずここを離れるためエレベーターへ小走りで向かい、ボタンを連打する。 もう一度言っておこう、俺は今半ケツウエイトレスだった。しかしこのとき俺の頭の中は逃げることでいっぱいいっぱいになっていて、今まさに自分が職質受けそうな格好をしてるなんてことなんて忘れていた。 だからだろう。人が乗って上ってきているであろうエレベーターを自らの手で停めるなんて社会的自殺行為を行ってしまったのは。 扉越しにエレベーターが上がってくる音が聞こえ、チンと軽快な音を立て扉が開いた。 てっきり無人と思い込んでいた俺は扉を割り開くようにして機内に乗り込み、そしてそこたせ先客の影に青ざめる。 「あ……」 エレベーターの中には、先客がいた。 無造作な黒髪に、落ち着いた服装。俺と同じくらいだろう、その地味な青年には見覚えがあった。 そして向こうも愉快な格好のこちらに気付いたようだ、青年はそのままイヤホンを外す。 そして、 「……原田さん、なにやってんの」 俺に冷ややかな眼差しを向けてくる司は、変わらない淡々とした口調で尋ねてくる。 落ち着け、とりあえず落ち着け。 口から息を吸い、肩の力を抜く。 そしたら、次はゆっくりと周りを見渡し自分が置かれたこの状況を把握しよう。 ここは元親友だった中谷翔太のマンションであり、俺はバイト辞めて自分専属の召し使いになれと言い出した翔太に翔太オリジナルの悪趣味極まりないウエイトレスの格好をさせられている。しかも半ケツ状態で手首は縛られていて、まあ、いつどこで通報されてもおかしくはない。 そしてここはエレベーター。 向かい合うような形で佇む司の恐ろしいほど反応がないその無表情に立ちすくんだ俺は戦慄する。 結論、やばい。 「あ、え……あの、これは……その、深いわけがあってだな……」 どうせなら冗談だと笑い飛ばして開き直った方がネタで済むとわかっていたが、冷めた目をした司を前にしたらそんな気すら湧いてこなかった。 「つかなんで、ここに」 「ここの八階、俺の部屋」 「へ、へー…」 すごい偶然、それにしても随分といいところに住んでますね。とかそんな言葉がでなくて、冷や汗がだらだらと流れる中、俺はとんでもないことに気付く。 ということはこれ八階にいくのか、このまま。 閉まる扉、思わずボタンを押して途中下車を試みるも遅かったようだ。 くそっと心の中で舌打ちしたとき、司の視線に気付いた。 「俺からも質問いい?」 「は……はひ……」  「原田さん、なにやってんの」 二回目ですよ、司さん。その質問。 え、わかってますか。そうですか。 「え、う、あの、これは、その……」 殺してくれ、いっそ俺を殺してくれ。 恥ずかしさと死にたさで口ごもる俺に、司は「趣味?」とこちらを覗き込んでくる。 澄んだ瞳が余計怖かった。慌てて首を横に振れば、何考えてるのかわからない無表情のまま司はじっと俺を見て、そして目を反らした。 「可愛いよ。似合ってる」 ――え? さらりとなんでもないようにやつの口からでたその言葉に俺の思考回路は停止する。 まさかそんなこと言われるとは思ってなくて、いや翔太には誉められたけど、あいつの場合自分が作った服を誉めていただけの自画自賛だ。 司みたいなやつに誉められるのとはやっぱり違って、というか思いっきりバカにされた方がましってどういうことだ。 言葉が飲み込めずに絶句して固まっていると、不意に機体が停止した。どうやらもう目的地である八階に着いたようだ。 「こっから俺の部屋近いけど、来る?服くらい貸すけど」 そんな格好じゃ通報されるだろ。 そう、司は続ける。 相変わらず何を考えているのかわからない司だが、司の言い分はもっともだ。本当は早く誰もいないところに逃げたい気分だったが、自分の家に着くまでの距離を考えるとその間に補導されかねない。 確かにこのまま人前に出て変態デビューするのは困ると再確認した俺は悩んだ末、司に着いていくことにした。 そう、この選択自体がそもそもの誤りだと知らず。

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