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 ◇  サイ暴君三初が風邪を引いてグズグズに故障してから、一ヶ月が経過した。  つまり早いもので同棲、ゲフンゲフン。  同居生活も開始一ヶ月を過ぎている、ということである。  大人の時間感覚は子供の三倍速なのだ。  現在は季節的にいうと、初夏に差し掛かった六月半ば。  クールビズが始まったことで堅苦しいジャケットをロッカーにしまいこんだ俺は、シャツの袖をまくり、今日も今日とて自分のデスクに着く。  始業にはまだ早い時間なので、オフィス内の同僚たちも各々思うままに過ごしていた。  お茶を飲んだり、スマホを触ったり、同僚とだべったり、結構自由だぜ。  しかし俺が仕事の準備をするためにパソコンの電源ボタンを押したところで、グッと人影が近づいた。  犯人はもちろん、共に出勤して隣のデスクに着いた三初である。  クールビズでジャケットを脱ぎベストを着た三初は、鎖骨チラの大盤振る舞い。  その鎖骨が眼前にあることで視線を一瞬奪われたが、悔しいのでそっぽを向く。  三初が気まぐれに動くのはいつものことなので特に動かず訝しむに留める。 「んー……シトラス系」 「あぁ? お前が朝出したオレンジ食ったからじゃねぇの」  スンと髪の香りを嗅がれた。  ンだよ、オレンジじゃねぇのか? でも昨日ちゃんと風呂入ったぜ。  それは三初も知っているはずだ。  髪を乾かしたのは三初なのだから、当然のことである。 「先輩、ヘアスプレーでセットしろって言ったでしょ? なんでワックスの匂いするんですかねぇ。老眼極まりすぎ」 「あぁ? どっちも似たようなもんだろ」 「そんなんだからいつまで経っても最新ヘアスタイルの寝ぐせセット一択なんですよ」  鼻で笑われたのがストレートにムカついたので頭突きをするが、ひょいと躱された。  これもいつものことだ。  俺は毎度本気で当てる気なので、ヘイトは高まる一方である。  とは言え、話半分だった俺が悪いんだけどよ。違いがわかんねぇから、どっちでもいいって思うけど。  普段から強めの寝ぐせがつくと自力では直せない俺は、今朝三初に『髪ドライヤーした後、洗面所のヘアスプレーでセットしてみてください』と言われたのだが、うっかりしてしまったらしい。  それを匂いだけで気づく三初はなんなんだよ、チクショウ。  この間だって美環が部屋を借りているからと言ってくれたボディソープを使ってみると、「はちみつ臭い」と一蹴された。  根っから毒舌マンだ。テメェだって翌日から同じ匂いしてただろうが。 (ケッ、いちいちひねくれた絡み方をしてくる野郎だぜッ)  髪を触ろうとする三初から逃げ、逆に触ろうと掴みかかっては避けられ、とバトルをしながら思い返す。  風邪を引いた三初を丸二日看病していつもと逆な立場をお互い味わってから、一応は共同生活で歩み寄ることに成功した。  とはいえ、ちょっとした言い合いは日常だが。それでも成長したんだ。  俺は料理を蝸牛のごとき速度でだが、どうにかチャレンジしている。  三初は副業の仕事で部屋に籠る時は「晩ご飯までには出てくるんで」などと、声をかけてから籠るようになった。  言葉もなく行動する三初が声をかけてくるようになったのは、著しい進歩である。  三初がなにかをしていて手が離せない時は、俺が家事をする。そのつもりでいてくれる。  弱った姿を見せてしまったので、これ以上あれこれと考えるのをやめたらしい。  確かに翌日には熱い、寝るの疲れた、動けない、だるい、あれ食べたい、なんかの弱音と甘えを見せてきたように思う。  最終的には構うイコール虐めるという暴君方程式を見せるまでに至っていた、というのは置いておこう。  まぁ、変化には誠意で返そうってことだ。  俺はその言葉を受け入れて、多少言葉足らずなところも〝しかたねぇな〟ともう不貞腐れたり不安がったりしない。  結構俺たちはいい関係を築いてるだろ?  つまり半年も付き合ってりゃ、流石にこうなるってこった。  閑話休題。  そんないい関係になった俺たちだが、一見してはなにも変わっていないとも思う。  こうして遊ばれるのも変わらず、俺が噛みつくのも変わらず。  別に悪くはねぇ気分だから、このままこうして過ごせたらいい。 「いやでも限度ってもんがあンだろうが三初ェッ!」 「あっはっはっは!」  なぜか貰い物らしい小さなヘアゴムで前髪を結われた俺はついに噴火し、三初のデスクチェアーを思いっきり蹴り飛ばした。

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