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きれいな男の子

一人ですか、と声をかけた。声をかけるまで、結構長い時間見ていたから、一人で来て男を物色しているのはわかっていたけど。 何故かがわからなかった。まるっきり空虚な表情を浮かべてカウンターに座った様子は、人を寄せつけない。 それでも見ている間に何人かに声を掛けられ、全員に少しだけ笑顔を見せて、適当に追い払っていた。 金で済むなら簡単だが、金目当てではなさそうだった。 「ひとり」 彼は、スキャンするように上から下まで俺を見た。俺を見たというより、何かを探しているようだった。 「隣に座っていい?」 彼は頷いた。 「何飲んでる?」 「もう帰るから大丈夫」 「帰るの?」 彼は肩をすくめ、笑ってみせた。 「帰らないの?」 笑うと幼く見えて、整った顔立ちの酷薄な印象が薄れる。瞳の美しさは、子どものようだった。 見とれていると、彼は笑顔を引っ込めて、目をそらした。 「僕の家でいい?人がいると眠れないから、終わったら、帰ってもらうけど」 そう言いながら、半分スツールから滑り下りている。 「泊まらないで、帰ればいいということ?」 「そう」 「わかった」 会計を済ませる間、彼はカウンターにもたれて、ぼんやりと店の中を見回していた。 スーツと持ち物と髪型、一目でごく平均的な会社員だとわかる佇まいなのに、俺にはどうも、別の惑星から来た生き物のように見えた。 狭いアパートの部屋に着いてから名前を尋ねると、あとで、と上の空でいなされた。 玄関を入ってすぐのキッチンに、小さなテーブルと椅子があった。 「何か飲む?水かお茶か」 「水を」 彼は冷蔵庫からペットボトルを出して、俺の前に置き、 「先にシャワーどうぞ」 と言いながら、ベッドがある隣の部屋に入っていった。 彼が視界から消えた途端、俺は大きく息を吐いた。呼吸するのを忘れていた。 くすんだ蛍光灯の下で、彼の周りだけ明度が上がって見えるほど、きれいな男の子だった。 中学生の時、初めて好きになった男の子のことを思い出した。きれいだと思って、いつも見ていた。 幼なじみに、あいつ、顔がきれいだよね、と言うと、彼女は少し考えてから、 「英司、あの子のこと好きなの?」 と言った。俺は言葉に詰まった。 「好きだから、顔がきれいとか思うんだよ。人間の顔なんてみんな同じだよ」 初めて触れた時、彼は突然体をこわばらせて、息を止めた。驚いて手を離した。 「どうかした?」 「何でもない」 ためらう手を掴まれて、そのまま続けても、やはり体は緊張したままだった。暗いので、顔を近づけて様子を見ると、目が合った。 「キスしていい?」 「して」 半分開いた唇を塞ぐと、すぐに熱い呻き声が漏れ出して、俺の首に腕が回る。キスはいいのか、と思ったが、口の中が性感帯で、舌や指でしつこくいじめられるのが好きだということを、この後すぐ覚えた。 途中で、 「名前、なに?」 と聞かれる。 「えっ、俺の名前?」 「うん。聞くの忘れてた」 その時は呼ばなかったが、セックスしながらよく俺の名前を呼んだ。 自分の名前を呼んで欲しかったんだろう。でも俺はたまにしか呼ばなかった。 やり慣れなくて照れくさかったし、前の男の顔を思い浮かべるのかと思うと、言いたくなかった。 帰り際に連絡先を聞いたら、スマートフォンを出してきた。俺の二つ折りの携帯電話を見て、 「へえ。もうそっちの使い方忘れた」 と無表情に呟いた。 「電話番号でいいの?」 「メールアドレスも。君は、名前は?」 「ゆきひこ。字は適当でいいよ」 さっきは教える気がなさそうだったから、一応合格点だったのかもしれない。 「また会ってくれますか?」 と聞いてみた。 彼が何と答えようと、また会う気だった。 きれいな顔、しなやかな体、感じやすくて抱かれるのが好きなくせに、未熟で怖がりなところ、喘ぐ声の甘ったるい響き。 面白いおもちゃは、手元に置いておきたい。 そして、美しい瞳に時折差す暗い色に、心を囚われていた。 あれは悲しみの影だ。何度か会ったら、早めに切り上げた方がいい。 彼の部屋から出て、今すぐ部屋に戻って抱きしめたいという衝動に抗うために、真夜中の住宅街を早足で大通りに向かった。 何年かは会い続けた。 口の中と同じくらい敏感な場所を増やして、俺に慣れさせて、二人でたわいない話をして、彼は時々楽しそうに、けらけらと笑い声を立てることもあった。 夜中にパニックを起こした時の別人のような絶叫も、明け方に目を覚まし、肩を震わせて泣き伏す様子も、英司、と呼んだあえかな声と、その時は確かに俺を見ていた瞳も。 喜ぶことなら何でもしてやればよかった、名前を呼んでやればよかったって、馬鹿みたいな後悔も。 別れると彼に言わせて、全部、心のどこかにしまい込んだ。 最初から失っていたと諦めて、暗い色で印をつけたドアを閉めた。 時間を忘れたように、まるで子どものように、一心に夏の海を見つめる横顔だけは、そのドアの隙間から長く長く影を伸ばして、いつも胸の痛みに触れてくる。 美しいと思うものに出会ったらそのプロフィルと比べるのが俺の人生の新しい習慣になって、誰に知られることもなかった。

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