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第1話
西日が街並み全体をオレンジ色に染め上げている。
眼下に広がるのは、栄えた城下町の風景だった。民家からは夕餉の煙が立ち上っている。広場で駆け回っていた子供たちは、日が沈み始めていることに気付いて、慌てて家路につく。
「平和、だな」
ぽつりと俺は呟いた。
テルディオ国の王都。中央にそびえ立つ王城の上階。そこのテラスから俺は、街並みを見下ろしていた。
「この国がこんなに穏やかな時を過ごしていられるのは、すべて伸太郎 のおかげだ」
と、隣に立つ青年が告げる。
惚れ惚れとするほどに綺麗な青年だった。
夕焼けを浴びて輝く長い銀髪。青空を思わせるような碧眼。目鼻立ちも整っていて、ほほ笑むだけで周りの女子が一斉に赤面するほどの美青年サマだ。
「おう、もっと感謝してくれよ。この『異界からやって来た神子様』に、な」
軽い調子で返して、俺はニッと笑った。
「ああ、君には感謝してもしきれない。そして、すまなかった。君は祖国に戻ることもできず、この国のために、何年も戦いの日々に身を投じるはめになってしまった」
「お前が謝ることじゃねえよ。俺をこの国に呼んだのは王様で、お前じゃねえだろ」
俺は手すりに背を預け、銀髪の青年――ユリウスの方を向く。
「伸太郎。君はこれからどうするんだ。やはり元の国へ――『ニホン』に、帰りたいと思っているのか?」
「日本……日本か」
懐かしい名前だ。
あれは今から7年前のことだった。
普通の高校生として生活を送っていた俺は、ある日、不思議な魔法陣に吸いこまれ、ここ、テルディオ国へとやって来た。
俺をこの世界へと召喚したのは、王様だった。この国は長年、魔王の存在に脅かされていた。国に古くから伝わる≪予言の書≫には、魔王を倒すためには、「異世界人の力を借りる必要がある」と記されていたらしい。その予言を信じ、王は魔術の力を使って、俺を日本から呼び寄せた。
俺は『世界を救う神子』と呼ばれ、勇者と共に魔王を倒す旅に出るように頼まれた。
その勇者というのがこいつ……ユリウスだ。
右も左もわからない異界に放りこまれ、不安でたまらなかった俺が、ここまで何とかやって来れたのは、すべてこいつのおかげだろう。
初めて会った時から、俺は不思議とこいつに惹かれてしまっていた。こいつの顔を見ると、どこか懐かしいような、安心するような、そんな気持ちになれるんだ。
こいつと旅に出てから、7年の月日が経っていた。長かった。
だが、俺たちはとうとうやり遂げたんだ。
魔王は倒れた。俺たちの手で、息の根を止めた。もうこの国がモンスターの襲撃に怯えることは、なくなったんだ。
ようやく俺の肩の荷が下りた。
と、同時に、これから自分がどうしたいかなんて、今まで考えたこともなかった。
「そうだな……今さら日本に戻ったところでどうするよ、ってところだな。もともと俺には家族と呼べるような存在もいねえしな」
俺の両親は、俺が13の時に不慮の事故で亡くなっている。それから俺は叔父の家で世話になっていたが、叔父夫婦は俺のことを明らかに邪魔者扱いしていた。
俺がいなくなっても心配するどころか、むしろ安心していることだろう。
俺が答えると、ユリウスはパッと笑顔になる。
「では、これからも……テルディオにいてくれるのか?」
夕日を浴びて佇む姿は、目を見張るほどに儚げで美しい。
それなのに、こいつが浮かべる笑顔は無邪気で少年じみていて、俺は笑ってしまった。
「何だよ、そんなに俺にいてほしいのか?」
「ああ……いてほしい」
冗談のつもりで言ったのに、ユリウスは素直に頷く。
カッと頬が熱くなってしまったのは、きっと照り返すほどに眩しい夕焼けのせいだ。
まっすぐな双眸から俺が思わず目を逸らした、その時だった。
「伸太郎様」
部屋の中から声が飛んでくる。
従者の1人が顔を覗かせていた。
「王がお呼びでございます」
「王様が? 俺を?」
俺は手すりから背を離し、そちらに足を向かわせる。
すると、すかさずユリウスが口を開いた。
「俺も一緒に行こう」
しかし、従者は難しい顔で告げる。
「いえ。王は伸太郎様お1人で来るようにと仰せられています」
「ふぅん……何か内緒の相談事かね? 姫さんの恋愛相談とか? 彼女、もっぱらユリウスを狙ってるっつー話だしな」
「伸太郎! 俺は……!」
「冗談だっての。……んな顔すんなよ」
バカ真面目に俺の言葉を受けとって、ユリウスが険しい表情を浮かべる。
俺は苦笑いと共に、焦る勇者の顔を見返した。
「じゃ、話の続きはまた後でな――ユリウス」
と、声をかけるが、ユリウスは先ほどの発言が癪に障ったのか、むっとした様子で黙りこんでしまっている。
――こりゃ、後でご機嫌とりしてやる必要がありそうだな。
と、俺は苦笑してしまった。
従者に連れられて、謁見の間へとやって来た。
玉座の上には王が腰かけている。
その威厳ある姿を前にして、俺は背筋を伸ばした。
いつもは温和な雰囲気をまとわせている王は、いつになく険しい表情を浮かべていた。辺りの空気まで恐縮したかのようにぴんと張りつめている。
「伸太郎殿。此度の貴殿の働きは誠、ご苦労であった。貴殿の働きのおかげで、この国は安寧の時をとり戻すことができた」
「恐れ入ります」
「そこでだ」
ごほん、と咳払いの音が重苦しく辺りに響き渡る。
王の双眸がすっと細められる。冷たい視線が俺を射抜いた。俺は反射的に背を震わせた。
その視線は見覚えがある。それは養父の家で散々、味わった――『邪魔者を見る時の目』だったのだ。
「貴殿はもうこの国には不要じゃ」
は……?
何を言われたのかわからなかった。
次の瞬間。
背後から近付いてきた衛兵が、俺の首の後ろを強打した。目の前に星が散る。
「なっ……にを……」
突然のことで、理解が追いつかない。頭がくらくらとする。目の前がかすんでいく。
徐々に暗転していく視界の中で、
「祖国に戻りたまえ。――神崎伸太郎 殿」
酷薄に告げる王の声が、脳裏に響き渡った。
初めに視界に飛びこんで来たのは、白い天井だった。
目の前がぼやけ、光が膨張して映っている。何度か瞬きをくり返すと、それがやがて形を持った物へと変わっていった。
ああ、電灯だ。
久しぶりに見たな……。
頭が痛い。思考が散って、考えがまとまらない。呆然と天井を見上げ続けていた。
体を動かそうにも、指の1本持ち上げることができない。
「先生! 神崎さんが目を覚ましました!」
突然、そんな声が聞こえてくる。
慌てたような声、ばたばたと足音が近寄ってくる音。
そして、俺の視界には、知らない男の顔が入りこむ。
「神崎さん……聞こえていますか?」
ここ、は……?
そう聞きたかったのだが、口もうまく動かすことができない。だが、俺の意を汲み取ってくれたらしく、男は答えてくれた。
「ここは病院です。あなたは7年間、ずっと眠っていたんですよ」
落ち着いた声がゆっくりと脳裏に浸透していく。
こんな現実は信じたくない。だが、受け入れざるを得なかった。
俺は7年の時を越えて――異世界から、日本に戻ってきてしまったのだということを。
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