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第3話

 宮沢(みやさわ)ユリウス。  渡された生徒手帳にはそう記されていた。ロシア人と日本人のハーフということになっている。 「どういうことだよ、これは……」 「その話をする前に一度、謝らせてほしい。君がいなくなったあの日……衛兵に話を聞いて、何が起きたのかは知っている。我が国のために長年、砕身してきた君に、王が身勝手な真似を……。申し訳なかった」 「お前が謝ることじゃねえだろ」 「第一王女が俺との婚約を望んでいた。そのために、君の存在が邪魔になったのだろう」 「大方そんなところだろうとは思っていたが……まあ、その話はいい」  さらりと流そうとすると、ユリウスは険しい目付きをした。 「よくはないだろう。こちらの国の事情で君を呼びつけておいて、用が済んだからと送り返すなど、恥知らずも甚だしい。自国の王ながら、情けない……」 「何も思わないってわけじゃねえが、過ぎてしまったことは仕方ねえだろ? 俺はこうして日本に戻って来ちまったんだ」 「伸太郎……君は本当に……」  感激したように目を潤ませ、俺を見つめるユリウス。  そんな目で見られると照れる。 「それより、お前の話を聞かせてくれよ。死んだって……何があった?」 「会いたかったんだ。君に」 「……は?」 「君が日本に送り返されたと聞いて、俺もそこに行く方法を調べた。しかし、召喚術を扱える魔術師はすべて王の配下にある。他の方法について調べるうちに、こんな噂話を耳にした。日本で死んだ者の魂が、稀にテルディオの地に転生することがあると……。そういう例があるなら、逆のパターンもあるのではないかと思ってな」 「お前、まさか……それで自ら死を選んだなんてこと、言わねえよな……?」 「まさか。そんな噂話を頼りに、命を絶つなんて浅はかなことはしない。最終的には女神に聞いた」 「女神に!?」  一瞬、驚いてしまったが、そういえばテルディオにいた頃、俺も女神とは話したことがあった。というか、旅の途中、何度か助けてもらったし、俺が女神の言葉を届ける通訳のような役割をこなしていたんだった。何せ、神子だったからな。  しかし、こいつはさらりと言うが、相当な覚悟のいることだったにちがいない。  俺に会うためにわざわざ死んで、こっちの世界に生まれ変わるなんて。こんな若い姿にまでなっちまって。 「ん……? いや、ちょっと待て。今のお前って何歳だよ」 「18だ」 「ってことは、お前がこっちの世界で生まれたのが18年前……? 計算が合わなくねえか?」 「転生ポイントを利用して、過去の世界に生を受けられるように女神に調整してもらった。ついでにすぐに俺だと伸太郎に気付いてもらえるよう、容姿と名前は引継ぎ設定にした」 「設定って何だよ!? しかも転生ポイントって!」 「転生者は生まれ変わる際に異世界で有利に生きられるよう、特典がもらえるらしい」 「ああ、転生チートってやつですか……!」  WEB小説では流行だよな。転生チート。  日本で死んで異世界で転生する時に、最強スキルをもらえて「俺TUEEE!」ができるというアレだ。まさか、異世界から日本に転生する場合でも、チート能力がもらえるとは知らなかった。 「伸太郎」  ユリウスが机の上に置いた俺の手に、掌を重ねる。 「18年前にこの国で生を受けた時から……すぐにでも君に会いに行きたかった。だが、君がテルディオに召喚される前に、俺と君が会ってしまったら、いろいろなことがつじつまが合わなくなってしまうだろう。だから、ずっと我慢していた。遠くから君のことを見ることしかできなかった……」 「お前まさか……前から俺のことを知っていたのか?」 「ああ、もちろんだ。実を言えば、一度だけ我慢ができなくて声をかけてしまったこともあるのだが……」  ユリウスは俺を静かに見つめる。  迷いも嘘もない、まっすぐすぎる眼差しだ。  その時、俺の鼓動がドクンと一際大きく鳴った。  何だ、この感覚は。俺は知っている。この双眸を。前にどこかで見たことがある。  そうだ、あれは確か……俺がまだ13歳だった頃の話。  俺の両親は車の追突事故で死んだ。本当に突然のことだった。2人の死を俺はなかなか受け入れることができなかった。  その日は公園のベンチでぼんやりとしていたんだ。  時刻は夕暮れ時だった。不意に女性の声が響き渡った。子供を迎えに来た母親の声だった。子供がはしゃぎながら俺の前を駆け抜けていった。  子供と母親が手をつないで公園を後にする後姿――  気が付けば、頬が濡れていた。溢れ出てくる涙をどうすることもできずに、俺は1人で泣いていた。  「大丈夫?」声をかけられた。そこに立っていたのは、息を呑むほどに綺麗な姿をした少年だった。銀髪で碧眼の……。  そこまでを思い出して、俺はハッとした。  嘘だろ……。  だって、ということはつまり。  俺がテルディオに召喚される前から。俺とユリウスは顔見知りだったということになる。 「……馬鹿じゃねえのか……何で……そこまでして……」  何もかも捨てて、自分の命まで投げ打って、こっちの世界で生まれ変わって。  今度は18年間も俺のことを待っていただなんて……。  ユリウスが俺の隣に移動して、俺の肩に手を回した。  少し小さくなってしまった体。しかし、それは紛れもないユリウスのもので。  心を丸ごとぎゅっと抱きしめられたような気がした。 「俺には、君だけだよ」  テルディオから日本に戻ってきてから、俺はどうしようもない虚無感に苛まれてきた。俺の手には何も残っていないと思っていた。  本当は、少しだけ後悔もしていたんだ。テルディオで自分がしてきたことを。  こんな思いをするくらいなら、テルディオになんか行かなければよかったと思っていた。  だけど、ちがった。  俺にはこいつがいてくれる。今までも、そして、これからも。  そう思った途端、張り詰めていた糸がぷつんと切れた。  テルディオから日本に戻ってきてから、決して泣くまいと思ってきた。  それももう限界だ。 「……俺にも……お前だけだ……」  異世界から日本に戻ってきて。何もかも失くしたと思っていたけど。俺の手にも残っているものがあった。  バカ真面目で、とんでもないくらいに一途な――俺の勇者様がな。  かんかんと階段を登っていく俺の足音は弾んでいた。  何て言ったって今日は金曜日。しかも、珍しく残業がなく、早帰りすることができた。  そして、俺が浮かれているのは、それだけが理由ではなく―― 「おかえり、伸太郎」  玄関の扉を開ければ、ユリウスが俺を迎えてくれる。さすがにこいつも高校生だし、家族に心配されるだろうから、毎日ここに来るってわけにもいかないが……金曜の夜だけは特別だ。  ユリウスは制服の上にエプロンを着けていた。前髪をピンで止めていて、かわいい。高校生を家に泊めるなんて犯罪臭がしないでもないが、こいつと俺は元は同い年だからな。セーフということにしておこう。  台所からはカレーのいい匂いが漂ってくる。こいつが作るカレーはスパイスも自分で調合していて、めちゃくちゃに美味い。  日本に転生したユリウスは、料理の腕をとんでもなく上げていた。テルディオにいた頃は、焼き魚さえ炭に変えるほどの、致命的な料理オンチだったのに。 「そういや、お前、料理ができるようになったんだな」 「これか? これは転生する時にもらったスキルのおかげだ」 「へぇ、どういうスキルもらったんだ?」 「『伸太郎の役に立てる力が欲しい』と願ったら変な物ばかりもらってしまって……今、ステータス画面を出す」  そう言って、ユリウスはスマホを操作する。  ステータス画面ってスマホで出せるのか。そういうところは日本風なんだな。  スマホの画面にはこう書かれていた。 名前 宮沢ユリウス 年齢 18 主夫レベル 99 所有スキル 『主夫適性』『シフトチェンジ』『ご近所付き合い』『PTA役員回避』『良妻の采配』『内助の功』  などなど……所有スキル多数。 「めちゃくちゃチートじゃねえか!?」  俺は叫んでいた。  チートはチートでも、『日本風チート能力』。  主婦、もしくは主夫が喉から手が出るほどに欲しがるようなスキルの数々だ。  中でも俺はこのスキルに大注目した。  良妻の采配 < LV10 > - パートナーの残業時間を減らす  それでか! 最近の俺の残業時間が減ったのは。  まさかユリウスの神スキルの恩恵を受けていたとは。 「さすがは勇者様! ナイスチート! 俺の嫁!」 「伸太郎は、けっこう現金だな……」  ユリウスは呆れたように半眼になっている。 「まあ、そういうとこも、好きだ……」 「しっかし、お前、おもしろいスキルばっかもらったなー。ん? 何だこれは……?」  そこで俺は1つのスキルの存在に気付いた。  『夜の帝王』。  スキル説明は……省く! 省くったら省く!  スマホをユリウスに突っ返し、見なかったことにしようと決めた。  しかし、同時にすげー嫌なことを思い出してしまった。  テルディオでこいつが10代だった頃って、爽やかな顔に似合わず、とんでもねえ絶倫野郎だった気が……。そして、今、ユリウスはこの通り、体だけは若返ってしまっている。何とか盛りの高校生に。 「でも、俺も伸太郎が早く帰って来てくれるようになったのは嬉しい。これで夜は一緒にいられる時間が増える」 「お? おう……そーだなー……」  素直に喜んでくれているはずなのに……途端に別の意味に聞こえるんだけど……。  気のせいだよな……?  誰か気のせいだと言ってくれ!  ユリウスが俺を見て、にこりとほほ笑む。まぁ、一抹の不安がないわけではないが――主に今後の夜の生活については、めちゃくちゃ不安だらけだが――それは置いとくとして。  こうして異世界から日本に戻ってきちまったけど、今の俺は幸せだ。  何せ俺の嫁は、チート能力持ちの元・勇者様なんだから、な。

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