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第1話

 ビーフシチューは故意の味      カメヤマナホコは、ふっと吐息をついた。解せない。しかしおおよそは、多分そういうことなのだ。 学祭最終日。後夜祭の喧騒の中で、彼女は酔えないでいた。すべては彼女の右肩にもたれる、この男が招いたことなのだ。  【学祭前夜】 「じゃあ、ナカイチャンがオーミに告る」  うわっと女の子達の歓声が上がる。狭いプレハブ小屋の部室で、学祭前夜の部室は盛り上がっていた。王様ゲームの王様を引いたキヨシが、得意げな顔でよしよし、と両手を振り、部員の歓声を鎮めた。 「はいっ!」 勢いよく男が立った。酔っているのか、赤い顔でだらしなくにやけている。誰が切りそろえたのか、パッチリと揃った前髪が、目の上でさらりとゆれた。 「…」 もう一人の男が無言で立ち上がった。ヒョロリとした彼も赤い顔で、だがこちらは決まり悪そうにもじもじとしている。 「俺には…お前だけだ」 だらしなくにやけていた顔を一変、きりっとした真剣な表情で四年次のナカイが告った。 「そういうとこ、好き」 消えいる様なハスキーヴォイスで二年次のオミが答えた。 「うおおおぃ」 一堂歓声を上げ、拍手と共に再び乾杯の声が上がった。 「ナカイチャーン、トモコちゃんにおこられっぞ」 「ゲームゲームゥ。余興だから」 部員のヤジに、ナカイはふへへっとだらしなく笑った。一瞬オミの表情がこわばったが、誰もそれには気づかなかった。      明日はいよいよ学園祭。オレが所属する『アニマルセラピー同好会』も、グッズの販売で出店することになっている。馬頭観音祭も終わった。明日から二日間、学内はお祭り状態だ。ごめんねケイ。オレは馬頭観音に祈った。バタバタと飲み会の片付けをしていたら、のそっとナカイさんが寄ってきてオレに耳うちした。 (さっきの冗談だと思ってる?) 切りそろえた前髪の奥から、上目遣いの目があざとく光った。  「そこまで言うならやってみてよ」 ぷいと顔を背け、素っ気なく答えたつもりだったが、オレはまともに彼の顔を見られなかった。    【学園祭第一日目】  今朝の犬舎の掃除当番は俺とオミ。アニマルセラピー同好会は、保護センターから譲渡してもらった犬を飼い慣らし、セラピードッグとして施設慰問の活動をしている。同好会で譲渡してもらう犬は、比較的老犬が多い。だから当然同好会で命をまっとうする犬も多いわけで。先日もケイが死んだ。急死だった。俺とカメヤマは研究室でケイを剖検した。直節的死因は不明。症状は極度の貧血。だが内臓所見は特に異状なしだった。  ケイの最期は俺とオミが看取った。泣きじゃくるオミは思わず抱きしめたくなるほど痛々しかった。 「ナカイさん、掃除してよ」  ケイのいたケージをぼおっと見つめていたら、オミに怒られた。 「へーへー」 俺達は掃除を終わらせると、朝の学内散歩へ出かけた。といっても、ケイが死んでしまったから、犬はナインのあと一頭しかいない。俺はナインを連れたオミと並んで歩いた。 「ナカイさん学祭終わったら引退かー」 ぽつりとオミがつぶやいた。部活動は原則四年次の学祭まで。俺が在籍する獣医学科はあと二年間あるから、引退後俺は学内OBになる。 「さーみしーなー」 「何?オレに引退して欲しくないの?」 半笑いでそう言うと、オミは立ち止まり、冗談ぽく軽い口調で言った。 「えっ、先輩はナカイさんだけじゃないでしょっ!もー」 強がらなくったっていいよ。そんな泣きそうな顔で言うなよ。喉まで出かかった言葉を飲み彼の方は顔を向けると、彼はぷいと前を向いてまた歩き始めた。    オミとは入学前の新歓合宿からの付合いだ。オミは本当は獣医になりたくて、でも受からなくて、すべり止めで唯一受かったのがこの大学だと言っていた。オレ達は学科は違うが、部活では数少ない男子部員だったから、夜通しの犬の看護とか何かとよく一緒にいた。 部室で夜を明かす日、オレは研究室で夜食を作った。オレの趣味で、玉ネギをたっぷり仕込んだビーフシチュー。もちろん研究室でも大好評。だから部の犬の生化学検査を研究室内でするのも多めにみてもらえた。そんな毎日ももうすぐ終わってしまうのか。  ちらちらとこちらを伺いながら歩くオミとナインがシンクロして、思わずクスリと笑うと、なんだと言う顔でオミが頬をふくらませる。オミの外見はどこからみても男だ。華奢だけど肩幅もあるし、喉仏も出ている。背だってそんなに低くない。顔は結構美人系だと思う。それに何気ない仕草が可愛い。(いつだったか、カメヤマにオミが可愛いって言ったら、それはあんただけでしょって返されたが) オミはしゃべり方もしぐさもおネエっぽくて、他分そうなんだと思う。でも男気があって優しいから、女の子の恋愛相談によくのってあげているみたいだ。オミのツンとすました口調やハスキーヴォイスと人柄は、犬相手にも遺憾なく発揮されていて、部に迎えたての譲渡犬が馴れるのは大概彼が一番早かった。そうか、この学祭でそんな彼を見られるのももう最後か。 「ナカイさん、まだ酔ってんの?」 訝しげに覗き込むオミに、俺は力なく微笑んだ。  俺達は犬舎のケージへナインを入れると、部室へ向かった。   「ねえ」 「ん?」 魔術研究会(通称マケン)のテントの下で、カメヤマはキヨシに声をかけた。眼線の先に、アニマルセラピー同好会のテントが見える。テントの中には、物販の机を前に、ナカイとオミが二人きり並んで座っている。 「あの二人、どう思う?」 「どうって?」 「付き合ってるかどうかよ」 「ああ、じゃ、見てみよっか」  キヨシはカードをきり始めた。カードを並べ、一つずつめくっていく。カメヤマは横からそれを覗き込んだ。 「んーんー」 二人の声が重なった。  「友達以上恋人未満、すれ違い。関係の停滞。じれったい。で、和解。お?この恋は叶うのかな?」 また一枚、キヨシがカードをめくる。 「良いじゃん。ちゃんと付合う様になるのかも。危なっかしい相手を心配しちゃってるのかな。嫉妬、独占欲。あーこれオーミのことか」 「うんうん」  「つぎはナカイチャン。明るい未来?ほー前向きじゃん。もしかして二人のカンケイは進展しちゃったりする?」 「うおおお」 「で、もう一度オーミ。秘めたる想い。ありゃ、戸惑い?ふーんオーミは迷ってるみたい。で、疑問。ナカイチャン、オーミが何考えてるのか分からない」 「…そうかもね」 カメヤマは静かに言った。   「萌えるねえええぇ」 カメヤマの表情に気づかず、キヨシが続ける。 「オーミにアドバイスー。お?またまた良いの出たわ。もっと相手に甘えて良いんだって」 「ツンデレオーミ、確かにあのナカイチャンじゃ頼り難いのかもね。ふふふ」 「ストップ、ネガティブシンキング。願えば叶う。前向きに」  「おー。て言っても、誰がアドバイスすんのよ⁈」 「あはははは」  腐女子と腐男子の会話を知らず、眼線の先の二人は道ゆく人を眺めていた。 「あの、何であんな事言ったんです?」 勇気を出してオレはナカイさんに尋ねた。数秒置いて彼がオレの方へ顔を向けた。何の事?って言われると思ってた。オレはフリーズした。ズルい、いつもはそんな顔しないのに。 「分からん?」 ナカイさんがオレを真剣な顔で見ている。だめだ、涙出そう。オレは震える声で答える。 「だって、ナカイさんはカノジョいるじゃないですか」 「別れるよ。お前が俺の気持ちに応えてくれたらなー」 オレは前を向いてだまってうつむいた。しばらくするとお客が来て、会話は途切れた。         【学園祭二日目・後夜祭】  その日、大学は大盛況だった。片田舎にある大学が、普段は有り得ない程の人込みで溢れ帰っている。これは農学科の生産した野菜配布によるもので、農学科のオミも学園生活を満喫していた。結局、彼は午前中の出店には参加できず、午後からの参加となったが、昨日とはうって変わって店も大忙しで、俺とオミは二人きりになれなかった。 間が悪いことに、オレは研究室の急用もあって、後夜祭に参加したのは日が落ちてからだった。   「ナカイ、あんた、ケイの死因なんだと思う?」 流し場で、検査器具を洗浄しながらカメヤマがナカイに問うた。 「明らかな貧血、あれもしかしたら、何かの中毒じゃないの?だけどさ、分かんないんだよね。ほら、犬舎の犬は皆んな同じフードの筈じゃない。何か口に入れるとしたら、投薬試験か実習か、もしくは連れ出した時だと思うのよねぇ」 言った途端、カメヤマははっとした。彼女の変化を見たナカイは、暗い表情で答えた。 「うん。俺もそう思うよ。だけどそれ、部員の連中には黙っててくれないかな」 カメヤマは口を開きかけたが、ナカイの顔を見ると何かを察した様に黙った。                      出店はすっかり片付いていた。部員も散開し、部室には誰もいなかった。オミに会いたかった。だが連絡するほどの口実がない。だけど彼とじっくり話し合いたい。意を決してメールをしたものの、既読も返事もこなかった。ナカイはひとり、後夜祭でも残って営業しているテントを回ることにした。  軽音楽部の出店で酒を飲みつつ、カメヤマはふっと吐息をついた。飲んでも飲んでも酔えなかった。成り行きで引っ張ってきたオミは、何が気に入らなかったのか、凄い勢いで酒を飲み、早々に潰れてしまった。 解せない。何故ケイは体調を崩さねばならなかったのか。何故ナカイは自分に口止めをしたのか。全てはこの肩にもたれる男のせいなのだ。 ケイの体調が急変したのは、施設に慰問した日の夜だった。だからカメヤマは施設で何かがあったのではないかと考えた。だが。振り返ってみると、今年死んだ犬達には別の共通点もあった。  極度の貧血・飲み会やイベントの後・部内でナカイのビーフシチューふるまい・犬の容態急変の発見者は全てオミ… その度に、ナカイとオミが二人で夜通し看病し、犬を看取ってきた。 飲み会で毎回出されるのはタマネギたっぷりのビーフシチュー。故意に起こされた、犬の玉ねぎ中毒…。充分すぎる証拠ではないか。キヨシの占いも、犯行動機を裏付けた。だが、私は誰にそれを訴え、誰を責めるべきなんだ?  カメヤマの隣では、酩酊したオミが肩にもたれ、軽い寝息をたてている。伏せられた長い睫毛は涙で固まっている。彼は酒を飲みつつ泣いていたのだ。全ての罪を、洗いざらいカメヤマに打ち明けることなく。彼は後悔と先輩への募る想いに打ちひしがれていたのだ。  カメヤマは、オミのナカイに対する気持ちを事あるごとに直接聞いてきた。彼らは側から見ると、もしかして?と揶揄われる程仲の良い先輩後輩の関係だったが、ナカイには付き合っている女の後輩がいて、彼ら二人はあくまでも『アヤシイ関係』なだけだった。だからオミは私にしか相談できなかったのだ。私はナカイにそれを伝えなかった。もしナカイが受け入れなかったら、オミが傷つくだけだと思ったから。  しかし、ナカイは一体何を考えているのか。 「カメ」 振り返ると、ナカイが立っていた。少し困った顔で、こちらを向いている。 「ナカイ、もしかしてこの子探してたの?オミは見ての通り。誰かさんに会えなくて拗ねてたわ。面倒だからあとよろしく」 カメヤマに促され、ナカイは彼女にもたれる後輩を見た。殆ど意識はない。 「ホラ、行こう」 ナカイはオミをおぶった。    【祭の後】   「ここどこ?」 半開きの目でオミが尋ねる。 「ん?ウチだけど」 「今何時?」 「夜中の二時」 「マジかよ」  ぱちりと目を開き、立ち上がったオミの手首を無言で掴むと、彼は俺を見上げた。そのままそっと引寄せると、彼は抵抗なく俺の胸へ来た。 「なんで」 不安と戸惑いを含んだ息が俺の胸にかかり、甘く疼いた。 「お前の気持ち、俺が気付いてないとでも、思っとー?」 骨張った肩を抱くと、オミは俺の肩へと顔を埋め、深呼吸を一つした。そして俺の胸を押して顔を上げた。 「だって、ナカイさんカノジョおるやん」 「別れとったよ。とっくに」 そう答えると、彼の泣きはらした両目から、はらはらと涙がこぼれた。 「なんで言ってくれんかったの!もっと早く言ってくれたら、オレ、……のに」 「ごめん。アイシテル」 「ばか!ばかばかばかばかばか…」 俺はばかばか言い続けるオミの口にくちづけた。彼はきゅっと口を結んだが、くすぐるように上唇を舐めると、強張っていた口がおずおずと開いた。そこへすかさず舌先を滑り込ませ、熱い唾液を流し込むと、彼のカラダがふっと緩んだ。ごめんな。そう声をかけながら、俺は彼の頬の涙を吸い、顎から首すじへと唇を滑らせた。  オミ、今のお前はどんな気持ち?後悔と喜びと驚きと、きっと言葉では言えないくらい混乱しているんだろうな。俺はお前のことが好きだよ。自分の気持ちを一番に考える、身勝手なお前が愛おしいよ。自分が犯したあやまちを、お前がずっと悔やんでいたのも知ってる。犬が体調を崩す度に、お前と二人きりになれるの、俺は正直ぞくぞくした。お前が俺のシチューを犬達に与えているのも知ってたんだよ。そうでもしないと、お前俺と二人きりになれなかったもんな。  赤い唇から漏れる掠れた声が、次第に俺の理性を痺れさせていった。             (おしまい)                 

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