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第16話 二人静
頼隆と柾木の打ち合いをじっ---と見つめていた直義は、ゆるりと縁から立ち上がった。
傍らの、少年の使っていた木刀を手に取った。既に、襷が背に掛けられていた。
「今度は儂が相手をしよう。」
「殿---!」
悠々と頼隆に歩み寄る直義に、柾木も少年達も慌てふためいた。
「儂が負けると思うてか?」
直義は青ざめる柾木達に、口元を小さく歪めて、微笑した。
「そうではありませぬ。そうではありませぬが------」
木刀といえども、凶器である。自ら打ち合う、というのは、命を懸けるに等しい。
ましてや相手は、信のおける家臣ではない。かつては敵同士であった『白勢の鬼神』。どんな手に講じてくるか、わからない。
「心配いらぬ。あれは骨の髄からの武士よ。儂も一度は刃を交えてみたいと思うておった。鬼神の太刀筋、この身で確かめたい。」
直義の眼がかつて無いほどに輝いていることを柾木は見留めた。領主然としていても、本性は武士、生死を賭けた戦場でのやり取りに生命を燃やしてきた男だ。『強い』相手を前に血が騒がぬ訳はない。
「早う参られよ。」
涼やかな声が挑発する。
「身体が冷えてしまう。-----そなたが、暖めてくれるのであろう?」
直義は苦笑いしつつ、頼隆に歩み寄った。
「その台詞は床の中で言うてくれぬか?」
「断る」
頼隆の手がすぅ---と中段に木刀を構えた。直義も同じく中段に構える。
ー正々堂々ーとの意志の表明である。
柾木は、大きく溜め息をつき、言葉を放った。
「いざ!」
次の瞬間、周りを取り巻く者達は凄まじい気の放出を二人の背から見た。
激しく打ち合う音は、強く重く、真剣さながらの気迫が天をも貫かんばかりだった。
そこはもはや異空間だった。
柾木は、百星煌めく兜卒天の景色を見た。
貫禄充分に神気みなぎる帝釈天と花の顔も麗しく疾風の如く攻めかかる阿修羅王とを。
火花を散らして激しく打ち合う会話、生命がけの交歓------天上を焦がす凄絶な戦いのうちにあったのは------。
ー至上の歓喜、だったやもしれぬ。ー
柾木は、ふっと口元に小さな笑みを浮かべた。
ー釈尊も、とんだ野暮をしたものだ---ー
猛然と打ち合うふたりと、仄かな笑みを浮かべて見守る柾木------少年達は呆然とそれを見ているほかはなかった。
「---たいがいになされませ。」
小半時は続いたであろう打ち合いを収めたのは、ふんわりとした女性の声だった。
ピタリ---と二人が手を止めて、同時に声の発せられた縁の方を見た。続いて、柾木と少年達が、平伏した。
そこには、この城の女主、絢姫が、侍女を二人、従えて立っていた。
山吹色に薄い青紫の暈しを裾回りから立ち上らせた上品な袿の足許で、眞砂が淡く光を纏っていた。
その顔には、やれやれ---といった、母が子どもを窘めるような笑みが浮かんでいた。
「冷した瓜をお持ちいたしましたゆえ、温くならぬうちに召し上がられませ。」
彼女は、後ろをちら--と見やり、侍女達に瓜を乗せた器を盆ごと床に置かせた。侍女達は役目を終えると一礼して立ち去った。
「これは良い。頼隆、皆も食え。」
直義は破顔し、大股で戻ると、六つに割った瓜を一つ、わし掴みにした。
「いただきまする。」
頼隆も指を伸ばし、一つ、その手に取った。さすがに喉が渇いていた。額にはうっすらと汗の珠が浮かび、光を弾いていた。紅潮した顔を綻ばせて、瓜にかぶりつく男達を絢姫はにこにこと眺めた。
「楽しそうでございますねぇ---、殿。」
絢姫の言葉に、直義は満足げに
「うむ。」
と、頷いた。
「久しぶりに良い汗をかいたわ。のぅ頼隆。」
「お陰さまで。」
頼隆は、やや皮肉まじりに、だが小さく笑って言った。
「頼隆さまは、刀を振るお姿もお美しゅうございますねぇ。まるで、舞をなされているようにございます。」
絢姫は感嘆の溜め息を漏らして言った。隙の無い、実に優美な動きだった---と絢姫は絶賛頻りだった。
「強すぎるがな。」
直義は、絢姫の差し出した手拭いで両手を拭きながら苦笑いした。
「殿もお強うございましょうに---。私には、お二人が打ち合うているお姿が、連れ舞いをなさっているように見えました。」
絢姫は、何気にそっぽを向いて瓜を食んでいる頼隆の背をチラリと見て、言った。
「連れ舞いじゃと?」
これには直義も苦笑したが、絢姫は真顔で続けた。
「打ち合う呼吸がピタリと合ってらして、実に美しゅうございましたよ。」
ー然り---ー
と柾木が頷いた。
「でも---。」
絢姫が苦笑しながら続けた。
「三千年も打ち合うてらしては困りますよ。」
「三千年?」
「言いおるのぅ---!」
怪訝そうな頼隆を傍らに、直義が豪快に笑った。
「案ずるな。いずれは飽きる。我らは人ゆえのぅ---。どうじゃ、頼隆、今度は相撲でも取るか?」
「遠慮させていただく。」
組み合うのは、体格差がありすぎる。直義の意地悪な提案に、頼隆はむっ---とした。
絢姫は、ころころと笑いながら、す---と袿の裾を翻した。
「取っ組み合いは、お褥の中だけになさいませ。」
「絢どの!」
「絢!」
赤面する男達を尻目に、絢姫は悠然と自室に戻っていった。
ー頼隆さまは、殿の番(つがい)---。ー
絢姫は、胸の中で自分の確信を噛みしめていた。ずっと苦しかった胸がすっ---と楽になった気がした。
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