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〈番外編〉笹竜胆~軍師の憂鬱~
それは彼が若かった頃に起こった。主君の何気ない気紛れから始まったことだった。そして、軍師-柾木恒久の生涯をかけた大仕事になった---。
「これを---」
と文箱と小刀を渡されて、柾木は恭しく受け取り、主君、九神直義の前を下がった。
そして小さく溜め息をついた。
恋の使いの手配などどうということではない。問題は、相手である。
主君の恋の相手は、隣国、佐喜の領主の嗣子、白勢頼隆である。
同性同士の恋愛は別に珍しいことではないし、家中の者同士なら仲の取り持ちをしたこともある。しかし---
ー相手がなぁ---ー
嗣子である。いずれ国を継ぐ男であり、いつ敵に回るかわからない。
いやそれよりも---
ー可愛いらしゅうてなぁ---。なんとしても欲しゅうなった。ー
目尻を下げて想い浮かべる相手は、まだ十四才。しかも色事の「い」の字も知らない箱入り息子を出来心で手籠めにしてしまったのだ。ひとつ間違えれば、即、戦になりかねない暴挙だ。
ー酔うてしもうたゆえ、泊めてやれ。ーと言い出した時点でマズイ---とは思ったが、主の意向に叛く訳にはいかない。まぁ、人はいずれ『経験』することではあるから、悪い相手でもなかろう---と随行の家老を抱き込んだ。
果たして、あまりの初心さで『事の次第』を全くわかっていないことが幸いして、何事も起こらなかったことには安堵した。
しかし、しかし---である。
主君は『本気』になってしまった。
褥を共にした時の少年の初々しさ可愛らしさを事あるごとに漏らしては溜め息をついている。
ー早く冷めてくれ---。ー
柾木は真剣にそう思った。美女でも美少年でも巷にごまんといる。
よりにもよって、隣国の嗣子、しかも噂ではとんでもなく過保護な庶兄がいて、頑強にガードしているという。
ー無茶ですぞ、殿。お諦めなされ。ーとは言ってみたものの、ジロリと睨まれて拒否された。
翌年、隣国の御曹司は国主となった。バレたのは、一目瞭然。代理で挨拶に来た庶兄にものすごい目で睨まれた。
ーさすがにこれで諦めてくださるだろう---ー
と思ったところが甘かった。かの庶兄に猛然と対抗心を燃やされてしまった。
ーあんなヤツに任せておけるか!なんとしても手に入れる!ー
息巻いて、また奥御殿の御正室の絢姫さまのところへ行った。
止めてくれればいいものを、この方が、何故か止めない。止めないどころか焚き付ける。曰く
ー殿の、初恋です。成就させてさしあげねば---ー
年上だからって、再婚だからって、物分かり良すぎます。---と申し上げれば、
ー隣国の御曹司さまなら、男でしょ。女に惚れて、お子を成されるよりは、まし。ー
あ、本音はそこですか、やっぱり。---とも言うわけにはいかず、夫婦の密談に頭を抱えた。仲良くされるのは良いが---とも思っていた。
翌年の戦では進退を誤ったかの世嗣ぎを見つけると一目散に馬を走らせ救出に行ってしまった。本陣の幕の中にいたはずが、いなくなっていた。
ー気にかかって様子を伺っていたら、絶体絶命の危機であったゆえ、救いに行ったー。
と、しれっと言う。
ー殿、ご自身に何かあったらどうするのですか!ー
柾木が怒っても、
ー儂がそうそう殺られると思うか?ー
とニンマリするばかりで、何気に唇に手を触れるのは、口づけでもしてきたか---とまた重い溜め息をつき、決意した。
ー成就させてさしあげます。ー
さて、それからの柾木は忙しかった。白勢の家臣の中に入り込ませていた密偵によれば、とにかく庶兄は御曹司を溺愛している---という。普通、弟に国主の座を奪われたとなると不仲になるものだが、むしろ庶兄が弟を国主に据えた---という。ー悪い虫が付かないよう、桐箱に据えた。ーと言っていたらしいことから、完璧に直義から守る体制になっていることは明白だった。
ー面倒なことになった---。ーとは思ったが、反面、家臣の多くが兄の幸隆を国主に望んでおり、家督を譲られたとは言え、頼隆はやはり子供でお飾りに過ぎない。
白勢の家臣から見れば、実質的な領主は父隆久亡きあとは幸隆になる。頼隆=御曹司は、言わば『幸隆さまの念持仏』お守りのようなもの---というのが大方だった。
とは言え、頼隆は暗愚ではない。ある意味人並みでない知勇を見せる。
みせるが、敢えて兄の策に反論したり、強烈に自分の考えを主張しないだけのことだ。戦に関しては兄以上の武勇を示す。しかも、兄の幸隆は主君の直義とほぼ同年代、頼隆は十歳は若い。つまりは伸び代がある。このまま二人ながら成長したら、那賀に、九神にとってもかなりの脅威になりかねない。柾木は決意した。
「あのお方が自分を守ることを知らないなら、殿が守って差し上げればよろしいのです。」
「儂が、守る---?」
キラリと両目が輝いた---がすぐに落胆の溜め息が溢れた。
「だが、あやつには白勢の家臣がおる。あの庶兄がいる。どうすれば、我が手に入る?」
「戦---にございます。」
「戦だと?」
「はい。殺させないための戦をなさいませ。」
頼隆を捉えるのは、鷲や鷹を捕まえるのと同じ。自分の巣を守るために襲いかかってきたら、捕らえて、下羽根を断ち、籠に込める。---柾木は、直義に、そう告げて、下準備にかかった。
白勢の家臣達を抱き込んだ。頼隆の生命は取らない。人質として差し出しさえすれば、九神は今後、白勢の後ろ盾になる。どんな敵の侵攻でも、九神が守ってやる---と。
今ひとつ戦に弱い幸隆を案じていた家臣達は喜んだ、が悩んだ。己のが当主をどうやって人質に差し出せというのか---下手をすれば、即、叛臣逆臣となり、世間から謗られる。
ー戦を---起こします。---ー
柾木はニヤリと笑った。
そして、謂わば囮の形で湯原が謀叛を起こし---波状的に攻撃を加えて、程よく兵力を削ったところで和議に持ち込む---というのが柾木の策だった。
問題は頼隆の『特攻好き』と幸隆の『過保護』だった。
とりあえず、白勢の家臣達は、なんとか奇襲は諦めさせ、苦手な籠城戦に持ち込んだ。
ー和議の話し合いを致したい。当主、頼隆さまが御一人にて参られよ。ー
使者の口上に、当然の如く幸隆は激怒した、がこれを宥めたのは、他ならぬ頼隆自身であった。
ー死ぬるは、我れひとりで良い。ー
少年の健気な思いは無残に打ち砕かれた。端から打ち砕く予定ではあったが、柾木の想定はもう少し、『平穏』だった。人質に来ることを承諾させ、連れ帰れば、幾らでもゆっくり口説ける---とりあえず那賀に連れ去れれば良い、と思っていた。
が、直義の考えは違っていた。
いきなり、
『儂の室に、情婦(おんな)になれ』
と言い出したのだ。確かに外堀は埋めた。行く引くもならないよう、周囲は固めた。
ーしかし---ー
遣りすぎだ、と柾木は正直なところ絶句した。渋々と、正しい意味はわからずとも、直義の側女扱いを承諾させただけでなく、あのような事までさせるとは---。白勢の連中に漏れたら、即座に城に火をかけて討ち死にしかねない、とんでもない行為だった。
だが、無理矢理にでも、頼隆に自身の『雄』に奉仕させている直義の表情を見ていた柾木は、諫める事を諦めた。
ーん---、そうじゃ。もちっと舌を使え---そこをな--ー
愛し気に頼隆の髪を撫でながら、自身の股関に顔を埋める恋人を愉悦と慈愛のない交ぜになった表情で見つめていた。支配することの優越---ではなく、漸く触れあえる歓喜に身を震わせる主君に諭せる言葉は無かった。
ーご存分に愛でられませ。但し、相手は誇り高き『鶴』にございますぞ。ー
絢姫の手を借りて設えた豪奢な座敷牢の鳥籠に頼隆を押し込めて、その肢体を心ゆくまで愛で慈しみ愉しんでいる様子の直義にほっ---としつつ、釘を差した。
ー組敷けば、惚れる---というような代物ではございません。ー
初心過ぎるほど初心なぶん、交合の衝撃は強いだろうし、その肌に直義という『男』を馴染ませるのは難しくはない。その瞳に孤独な陰が漂っていたのを気付かない柾木ではない。
ーお身体だけではなく、お心を抱いてさしあげなされ。ー
直義は黙って頷いていた。
そして、柾木は籠に囚われた主君の情人を『躾る』ことを始めた。
何せ主君もその妻君も、この情人に『甘い』。扱いが難しいと言えば其れまでだが、柾木は単なる「情人」にしておく気はなかった。戦国乱世である。人材は欲しい。しかも才も武もある。
ー殿の片腕に---ー
と思わない訳がない。早い話が、天女のごとき、女と見間違うような容姿でなければ、一端の若武者である。衣から覗く腕、脚、背---十分に鍛え上げられ、磨き上げられた武士の肉体であり、骨格が細身に出来ているだけで、筋肉はしっかりとついている。---と言うより、過ぎるほど鍛練されている。
身に付けさせるべきは、
ー殿への忠誠心ー言い換えれば、ー囲い者としての自覚ー、それとー執政者としての能力ー。
率直に言うなら、柾木はひそかに頼隆を自分の後継として考えていた。
直義より二十才は上の自分である。長生きできるか、いつまで戦に随行できるかわからない。
柾木は、頼隆を軍師として輔弼として、徹底的に育て上げることに決めた。学問は、すぐに喜んでするようになった。直義の肌にも比較的早く馴染んだ。直義の胸元に円くなって眠っている様子は、幼子のように無防備で愛らしい。
問題は---やんちゃ過ぎるのである。捕らえた忍びは『脱出』ではなく『諸国の情勢の収集』を命じられたと言い、柾木の手のものに捕まったら、ー手伝えと言っておけ。ーと言っていた---という。これには、さすがに、参った。しかも、懲りない。柾木を巻き込んで他国に『策』を仕掛けて楽しんでる。
ー本当にこの方は---。ー
子供だ。何度叱られても悪戯を止めない子供だ---と柾木は思った。だが、その『悪戯』のおかげで、一度は敵同士となった弟にも会えた。ともに働けるようになった。情のある方だったのだ---と初めて知った。
結果、言うことを聞くのは、直義に叱られた時だけ、になった。褥での『仕置き』もしくは『折檻』というのが一番堪えるのだろう。
だが、それとてほんの一時、喉元を過ぎれば、せいせいと熱さを忘れて、また『悪戯』を企む。そして、直義にこっぴどく叱られる。
まぁ、叱られているうちに少しは大人しくなった。少しずつ戦に出してもらえるようになったのが、よほど嬉しいのだろう。やはり武士だな---と改めて思った。絢姫お手製のヤタガラスの陣羽織に恥じない働きだった。
活き活きとした背中を眺めて目尻を下げている直義に、
ーやはり躾は、殿のほうが上手ですな。ー
と言うと、
ー愛があるからな。ー
と胸を張っていた。
やはり頭の痛い方々だ---。
「どうした?熱が下がらんのか?」
四つの眼が柾木の顔を心配そうに覗き込んでいた。髭を蓄え、天下人に相応しい風格を得た我が主君-----と相変わらず美しくも、やんちゃを企んでは主君に叱られるその情人---今は籠ではなく、ちゃんと自分の屋敷を持って、せいせいと『軍師』と『執政』の仕事にいそしんでいる。が、やはり夜の『お勤め』も相変わらずらしい。睦まじいことだ---。
「昔の夢を見ておりました---」
柾木は床から体を起こそうとしたが、主君の情人に止められた。
「すっかりおしとやかになられましたな--。」
と言うと、とんでもなくイヤな顔をする。
「柾木は、いつまで我れを女扱いするんじゃ。大概にせい。」
と怒る。直義になだめられて、機嫌を直す。
そうして並んで枕元に座っている姿は、やはり夫婦だ。
ー良かった---。ー
と柾木は深く息をついた。二十年かけて仕込んだのだ、立派な軍師、執政、いやそれ以上に、立派な相方(つま)になってもらわねば困る。
その甲斐はなんとか見えてきた。しかし---
「殿---」
柾木は直義に小さな薬包を、頼隆に見えぬように渡した。
「柾木?」
訝る直義に、柾木はひそ----と囁いた。
「殿に万一の事がありました時のために---できるだけ苦しまないよう---」
直義は小さく頷いた。
頼隆さまは我が主君のもの。返すべき白勢幸隆も、もはやこの世にいない。---ならば、主君に万一があった時にお一人で残しては不憫---かと言って他所の者、特にあの西海の海賊あがりになど託せない。思い悩んだ末に薬師に頼んだ。毒---と聞いて薬師は驚いたが何も訊かなかった。
最後の務めは終わった---。
戦でなくても、軍師に休む暇は無いのだ---と呟いて、柾木は眼を閉じた。
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