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恋すてふ
放課後。図書館にでも行こうとしてテニスコートの脇を足早に歩いていた俺は、思わず足を止めていた。
シュッ、とボールが飛んでいく音がして、俺は身動きが取れない。
金網の向こうで、春日がサーブをしようとしている。
どこまでものびやかに右手を伸ばして。
ラケットがボールに触れたと思った瞬間、シュッ、とまたボールが飛んでいく。
ボールの音と共に、俺の心臓もキュッと、握り込まれたみたいな心地がする。気持ち悪い。
『あれ、樫川じゃん』
誰かが俺の名前を呼んでいる。春日と同じ、ソフトテニス部のやつだろうか。
『あいつ、春日狙ってんのかな』
『まさか、あいつでもさすがに玉の輿には乗れないだろ。春日はどこか、いいうちのお嬢さんと結婚するだろ』
『春日は女好きだしな』
『かわいそうだなあ、エリちゃん』
あいつ狙ってるとか玉の輿とかかわいそうとかマジ意味わかんね。
別に、俺あいつのこと好きとかじゃねえし。
今目が離せないのは、純粋に試合が気になるからだ。あと真剣なあいつが、珍しいから。いつもへらへらしてるくせに。
「あ……!」
春日はギリギリのところでボールを打ち返した。危なかった。こういうの続くと崩れて失点しやすいよな。頑張れ。なんとか持ち直せ。
「樫川!」
満面の笑顔で、俺を見つけたあいつが駆け寄ってきた。おまえなんなの。なんで俺見てそんな嬉しそうなの。負けたのに。
「今からどこ行くの?」
「別に。ヒマだから図書館でも行こうかなって」
「片付けたら終わるから、一緒に帰ろ」
「なんで俺が……」
おまえを待ってやらなきゃいけないんだよ。そう言おうと思ったけど、春日はそんな俺に小さくウィンクしながら、指先を自分の唇に当てた。
「帰りに買い食いしよ? 最近できたカフェのタピオカ食いたい」
買い食いは校則違反だし太るだろ。そう思ったけど、秘密のしぐさが様になりすぎていて、俺は反論する気持ちにもなれない。こいつほどウィンクが様になる日本人もいないだろうと思えるくらいのスマートっぷり。
ずるい。なんでおまえはそんなカッコイイしぐさが似合うの。苦しい。心臓が痛い。口から心臓を吐きそう。
くっそ。誘われて嬉しいとかさ。一緒に秘密を持てて嬉しい、とか。俺、マジであいつらの言うとおりみたいじゃね。
「恋すてふ我が名はまだき立ちにけり……」
俺が言うと、春日は戸惑ったような顔をした。
「何? オレ古文補習受けてたの知ってるでしょ?」
きょとんとした顔はなかなかかわいい。まあ、こいつにはわかんねえとは思ってたけどな。
「大学進学するんだろ? 自力で調べろ」
「え、いいじゃん、減るもんじゃないし。なあ樫川、どういう意味?」
「おまえみたいなアホには絶対言わねー。それより早く片付けてこいよ。十分しか待たないからな」
「え、マジで? 待って待って、今片付けてくるから! おいてかないで!」
バタバタと駆けていくその姿が、散歩に連れて行く前のテンションの高い犬みたいで本当にかわいい、とか。
俺は絶対絶対認めたくないのに。
なんでこんなにきゅんきゅんしてんの、俺は。
「……人知れずこそ、思ひそめしか」
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