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第1話

大学の午前中授業がない日にコンビニで夜勤を始めて1年、身に付いたルーティンワークをこなしながら、今日も合間にレジに立つ。 勤務時間は22時から翌7時、途中の休憩1時間を差し引いての8時間だ。仕事内容はまあ多岐に渡り、商品の補充、陳列、消費期限切れの確認や在庫のチェック、新商品やくじ景品の棚作り、フライヤーの掃除、店内清掃、朝が近づくと新聞や雑誌の入れ替えなど……合間にレジと言ったのはこの作業の多さからだと分かってもらえるだろうか。 「そろそろ"エコーさん"が来るかな」 時刻は0時30分頃。タバコの棚から"エコー"を1つ取り出して、カウンターの脇に置いた。 場所にもよるだろうが、深夜のコンビニは常連が多い。飲食店の遅番勤務の店員、残業続きのリーマンなど……スーパーも飲食店も閉まっているところがほとんどのため、食事の調達がコンビニになるのだろう。 "エコーさん"もその1人だ。いつも日付が変わる頃に入店する、疲れた顔したサラリーマンの男。少し伸び気味の黒髪から覗く黒い目はいつも険しかったり虚ろ。エコーという銘柄のタバコを毎夜買って行くので、エコーさんと勝手に呼んでいる。他意はない。 「いらっしゃいませー」 数分後軽快な入店音と真逆の重い足取りで、エコーさんは現れた。今日もお疲れのようだ。いつものように店内を一周して、適当な弁当と、店の機械で入れるタイプのコーヒーを手にレジに来る。 「いらっしゃいませ、こんばんは。エコー出しときましたよ」 「ああ、いつもありがとう」 用意しておいたタバコを見せると、エコーさんは眉間に寄ったシワを伸ばしてふにゃりと笑った。 ああ……癒される。 接客をしていて笑顔で挨拶をしてもらえることなんて、それほど多くはない。特に深夜は、お客さんもお疲れの方が多いのでなおさら。愛想の良いお客さんは本当に癒しだ。お辞儀の1つでももらえるとありがたい気持ちにさえなる。それをエコーさんは、笑顔も挨拶もしてくれるのだから癒しポイントとしても良いと思う。 「そういえばエコー、無くなるんですね」 「えっ……あ、そうなの?」 一瞬戸惑ったように沈黙して、理解してから彼は目を丸くした。いつも険しいけれど、和らいだ目は意外にも大きめだ。 「はい、わかばとバットも」 わかば、ゴールデンバット、そしてエコー。どんどん値上がりしていく各銘柄に比べ、比較的低価格なのがこの3つ。近年の禁煙ブームに押されてか、近々生産中止になるというニュースがやっていた。それを見た時、真っ先に"エコーさん"のことが頭に浮かんだ。 「あー、知らなかった。最近ニュース見てないからなあ。……そうか、喫煙者は肩身が狭くなる一方だなあ」 どうしようかなあ、と、あまり困ってなさそうに彼は呟いた。 「はい、1000円」 「お預かりします」 お釣りを返して、話しながら商品を詰めていた袋を渡す。弁当はいつも温めない。 ありがとう、と彼はまたはにかんだ。慣れた手つきでコーヒーを入れてから店を出る彼の背を、「ありがとうございました」と見送った。 エコーさんと初めて会ったのは、バイト始めたてのまだ新人の頃。覚えることの多さにいっぱいいっぱいになり、厳しいお客さんに洗礼を受ける日々。特に、銘柄をはっきりと言わない、独自の略し方をする、振った番号を言ってくれない、出し間違えると猛烈に怒る……決して少なくない、そんなタバコを買うお客さんに苦手意識が芽生えていた。 エコーさんを接客したのは、初めて完全に1人でレジに立ったタイミングだった。研修のため3人体制にしてもらっていたのが、ちょうどその日から2人だけになったところで。相方の先輩は品出し中。 店内をぐるっと回って、疲れた様子のサラリーマンがレジへ来る。「いらっしゃいませ」と挨拶をすると一瞬、「あれ」という顔をされたのを覚えている。新人の名札が気になったのだろうかと当時思ったけれど、今思えばたぶん、タバコが用意されていなかったからだろう。彼に限らず、うちは常連さんの"いつもの"商品を前もって用意するお店だったから。 「エコー1つ」 「はい?」 当時週に1回、2回程度のシフトで、銘柄でピンと来るほどタバコは覚えていなかった。聞き返されて嫌な顔をするわけでもなく、彼は続ける。 「あっ分かんないか。タバコの、その、右下のオレンジ……40番かな」 「えっ、あっ……」 タバコ、と聞いて自然と焦ってしまうダメな癖がついていた。それに前述の通り、お疲れの彼は目が死んでいる。怒らせてはいけない、そう思ってあたふたしたところで見つかりにくくなるだけで、それでも彼はエコーの位置を分かりやすく教えてくれた。 「すみません、これですか?!」 「そうそう、それ!エコーっていうの。ありがとねー」 やっと正解を手にして振り返ったら、彼は嬉しそうにはにかんでいた。きっとあの時から、恋をしている。 「そろそろ店外清掃行っとくか」 回想で癒されて現実に帰って来た。 夜勤の相方(防犯のため、うちの店では必ず2人1組で夜勤に入ることになっている)にひと声掛けて、用具入れから掃除道具を取り店外に出る。 時期は7月の後半。今年の梅雨は遅く、つい先日この地域でも明けたところだ。冷夏だったのに急激に暑くなり、外気に触れると瞬間ぶわっとむわっと汗が噴く。 「あっっっつ」 「ね、あっついよねー」 思わずこぼしたら相槌を打たれて驚いた。声を辿れば、店外の喫煙コーナー(といってもスタンド灰皿が置いてあるだけ)に、エコーさんが居た。片手にタバコ、片手にさっき買っていったアイスコーヒーを持っている。珍しくスーツの襟元を開け、袖をまくり、ネクタイは胸ポケットに無造作に押し込まれている。なんというか、大人だ。 「あ、はい。この時間でも蒸しますね」 「うん。暑いの苦手だから参っちゃう」 レジでのやり取りでも片鱗はあったが、こうして話すとより分かる。エコーさん、喋り方が可愛い。 「きみ、背高いね。ずっとレジのとこだけ一段高いのかなって思ってた」 「あはは、そんなことないですよ」 190近くあるからたまに同じこと言われるんだけど。エコーさんも175はありそうだから、低くはないんじゃないかな。 「中身が伴ってないんでよくがっかりされます」 「なにそれ?ギャップ萌えってやつじゃん?」 小さく噴き出したエコーさん可愛すぎか。あなたの方がギャップ萌えだ。 「終電まだ大丈夫なんですか?」 「んー、そろそろかも」 緩みそうな口を無理やり動かすと、それを受けて彼が腕時計を目視する。意外にごつい腕時計。その手の先に持ったタバコを灰皿に押し付ける動作に見惚れてしまった。 「掃除の邪魔してごめんね。お疲れ様」 いつの間にか飲み干していたコーヒーカップを横のゴミ箱に押し込むと、ひらりと手を振ってエコーさんは駅の方へと歩いて行った。 「お、お疲れ様です!……またお待ちしてます!」 返す言葉にふと立ち止まると振り返り、笑顔で少し頷いてまた歩き出す。その背を見送りながら、顔の熱がおさまるまで闇雲に箒をかけ続けた。 ……あれからエコーさんが来ない。 もう1ヶ月になる。そうは見えなかったけど、馴れ馴れしくして気分を害してしまったのだろうか。いつもより話せて舞い上がってしまっていたから、気をつけていたつもりで無意識で何かしてしまったのかも。 とにかく、癒しが足りなくてそろそろ夜勤に耐えられなくなりそうだった。 今日ももう夜中の1時を回っている。エコーさんは来ないだろう。憂鬱な気分で店外清掃に出て、だけどそこで箒を捨てた。 「い、いらっしゃいませ……!」 来た!エコーさんが来た! 久しぶりに見たエコーさんは髪を切っていた。心なしか顔色も良い。 「やあ、久しぶり」 「はい、お久しぶりです。お元気でしたか?」 「うん」 にこり、と微笑まれてもう泣きそうだった。犬だったらめちゃくちゃ尻尾を振っていたに違いない。 「良かった……、今エコー用意しますね!まだ在庫あるので……」 「あ、いや」 店内に戻ろうとしたところを制止された。もしかしてもう別のどこかで確保しているのだろうか。そうかもしれない。毎日買うほど吸っていたということだろうし、1ヶ月も経っていれば、きっともう。 「タバコはもう、止めたんだ」 「え」 「きみにエコーが無くなるって聞いて。じゃあ、ちょうど良いから止めようって」 落ちたままの箒を拾い上げて、彼が入口前から少し移動する。つられて動くと、開きっぱなしだった自動扉が静かに閉じた。店内からの冷気が遮られると、外気はまだまだ暑い。 「ごめんね、ちょっとだけ話聞いてもらえたりする?」 「あ、はい、いくらでも」 いくらでもは言い過ぎた。つい。エコーさんが笑う。嬉しい。でもなんだろう。コンビニ店員に一体何の話だと思う?全然分からない。 「俺さ、仕事辞めてきたの」 「えっっっ。そんな、すぐ辞めれるもんなんですか?」 「普通は、たぶんもうちょっとかかる。でも押し切ってきた」 バイトなら割とすぐ辞めれる。1日で来なくなるやつだっている。でもこの人はたぶん正社員ってやつで、サラリーマンで、よく知らないけどあれだけ毎日帰りが遅かった会社はブラックってやつっぽくて、たぶん余計に中々辞めさせてはくれなかったんじゃないかと思った。 押し切ったってどうやったんだろう。あとなんでそんな話をするのか。 「タバコ止めてさ、自然に、じゃあ会社も辞めちゃおうって思った」 「どうしてですか?」 「きみに、またお待ちしてますって言われたから」 エコーさんがタバコを探すように胸ポケットを触るけど、そこには何も入ってない。癖が残ってるんだな。その手はバツが悪そうに頭をかいた。 「ずっと仕事がうまくいかなくてさ。残業は増えるし、体調も悪くなる一方で……きみの言うまたが、来ないかもしれないとふと思った」 「顔色悪かったですよねずっと」 苦笑いのあと、ひと呼吸してエコーさんがこちらを見る。その目はもう険しくない。 「うん。……変なこと言ってごめんね。たぶん今日で最後だから言い逃げしようと思って。ずっときみのいらっしゃいませに元気もらってた。ありがとう、きみのことが好きでした」 「あ、の」 時よ止まれ。うそ。でもちょっとだけ時間が欲しい。 フリーズしていると箒を渡され、エコーさんが立ち去ろうとする。だめ、待って、ちがう。 「エコーさん!」 「え、もしかして俺のあだ名……」 「あ……」 足を止めて振り返った彼は何とも言えない表情だ。あああテンパってつい! 「ご、ごめんなさい!あ、じゃなくてその、おれ……ぼくも!あなたが好きです!」 「うっそ……」 彼が近づいてくる。再び箒を捨てて、彼の手を取った。 「ずっと、あなたの笑顔が癒しでした。良ければこれからも癒しをください。"また"を、何度でも言わせてください」 「はは、きみ、かっこいいなあ」 はにかんだ彼からは、長年染みついたものだろうか、ほんの少しタバコの残り香がした。 終

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